第58話 悠真、紗月のマフラーを直したら、逆に真っ赤にさせてしまった
「悠真ーっ! こっちこっち!」
人混みの向こうから、聞き慣れた声が飛んできた。
元日の昼。
桜ヶ丘神社の鳥居の前は、初詣の人でごった返してる。
その人の波の中で、紗月が、両手を高く振ってる。
……昨日の夜は、電話の声だけだったやつだ。
除夜の鐘を一緒に聞いて、カウントダウンして、年越して。それが、今、目の前で手を振ってる。
なんか、それだけのことで、ちょっと、にやけそうになった。
あぶね。
「おう」
口元を引きしめて、人をかき分けて、紗月のところまで行く。
「悠真、おっそーい! もう待ちくたびれたよー」
「いや、時間ぴったりだろ。お前が早すぎるんだよ」
「だって、早く来たかったんだもん。えへん」
なんで胸張るんだよ。
そのえへんと張った胸の上、紗月の髪に。
なんか、見慣れないものが、光ってた。
——髪飾りだ。
クリスマスに、俺が渡したやつ。
駅前のモールで散々びびって、結局買えなくて、商店街のちっこい雑貨屋で見つけた、あれ。
あいつ、家ではいつもポニーテールで、ついてるとこはまだ見たことなかった。
「ねえ、見て見て!」
俺の視線に気づいて、紗月が、ぱっと顔を輝かせた。
「つけてきたんだよ。悠真がくれたやつ! ね、似合う?」
得意げに、ちょっと首をかしげて、こっちに見せてくる。
うっ。
なんか、胸の奥が、ちょっとくすぐったくなった。
「……似合ってる」
言うか言うまいか、迷って。
そうしてるあいだに、本音のほうが、先にこぼれた。
自分で言っといて、言い終わったとたん、顔が、じわっと熱くなる。
黙っとけばよかったろ、俺。
ごまかすように、目を逸らす。
……けど、つい、横目で紗月を見ちまう。
紗月が——固まってた。
「……えっ」
さっきまでの得意げな顔が、一瞬で、崩れる。
ぶわっと、頬が赤くなって。
「に、似合うって……今、似合うって言った? 悠真が?」
「言ってねえ」
「言った! ぜったい言った!」
「……っ、もういいだろ」
……墓穴。完全に、墓穴った。
「うう……不意打ち……」
紗月が、両手で頬を押さえて、しゃがみそうになってる。
「お前が見せてきたんだろうが」
「見せたけど! でも、まさか、ちゃんと似合うって言われると思わなくて……っ」
ぶつぶつ言ってたかと思うと、紗月が、ぱっと顔を上げた。
もう、いつもの調子に戻ってそうだった。
立ち直り、早すぎだろ。
「……でも。えへへ、うれしい。つけてきてよかったー!」
「……忙しいやつだな、ほんと」
あきれた声を出しつつ、こっちはまだ、耳が熱い。
そのとき、紗月の目が、今度は俺の首元に留まった。
「あっ」
指を、さした。
「悠真、それ……マフラー、してくれてる!」
「……ああ」
首に巻いてるのは、紺色の、よれた編み目の、あれだ。
クリスマスに、紗月が編んでくれたやつ。
「私が編んだの、巻いてくれてるじゃん!」
「……寒いからな」
「ふふっ、でも、巻いてくれてる!」
紗月が、両手を口に当てて、ぴょこぴょこしてる。
別に、説明するようなことじゃない。
寒いから、巻いてきた。
こいつが編んだやつだから、っていうのも、まあ、ある。
でも、それはわざわざ言わない。
「ほら、行くぞ。寒いんだろ」
片方の手を、軽く差し出す。
「うん!」
紗月が、ぱっと手を絡めてくる。
……ほんと、冷てえ手だな、こいつ。
◇
鳥居をくぐって、参道を進む。
両脇に屋台がずらっと並んでて、いか焼きだの、たこ焼きだの、湯気が上がってる。
人の流れに乗って、ゆっくり、本殿のほうへ。
「あ、お清めするとこ!」
紗月が、横の水場を見つけて、たたっと駆け寄った。
屋根のついた、石の水場だ。
順番に、何人かが柄杓で手を清めてる。
「私、ちゃんとやり方知ってるよ!」
紗月が、柄杓を取った。
水を汲んで——いきなり、その柄杓に、口をつけようとした。
「待て待て待て!」
慌てて止める。
「柄杓に口つけんな!」
「えっ、だって口をすすぐんでしょ?」
「柄杓から直で飲むやつがあるか。手に水ためて、そこからだろ」
「えー、そうなの!?」
「常識だろ、それくらい」
「だって、テレビでみんな柄杓持ってるから、てっきり……」
ぶつぶつ言いながら、紗月が、今度は手に水をためる。
冷たかったらしく、ひゃっ、と肩を跳ねさせて。
で、それでも、その水を、ごくっと飲んだ。
「飲むな!」
「えっ、すすぐって、飲むことじゃ……」
「すすいで出すんだよ! なんでぜんぶ飲んでんだ!」
「だって、もったいないし……」
「もったいなくねえ! 神社の水だぞ!」
……こいつ、自信満々だったのに、全部まちがえてんな。
周りで手を清めてた人たちが、ちょっとこっちを見て、くすっと笑ってる。
「順番も、たぶん逆だろ、それ。左手からだ」
「ええっ、順番まであるの!? むずかしいよぉ」
「むずかしくねえ。落ち着いてやれ」
俺も柄杓を取って、手本に水をすくう。
手の甲に落ちた水が、刺すみたいに冷たくて、指先が一瞬、かじかんだ。
結局、隣で一個ずつ指示出しして、なんとか紗月の手を清めさせた。
なんで初詣で、こいつの作法の先生やってんだ、俺は。
◇
お清めの水場を抜けて、本殿の前まで来た。
賽銭箱の前に、人が並んでる。
俺たちも、その列に並ぶ。
順番が来て、二人で、横に並んでお参りした。
賽銭を入れて、鈴を鳴らして、手を合わせる。
……何、願えばいいんだ、こういうの。
隣の紗月は、目をぎゅっとつぶって、すごく真剣に手を合わせてる。
長い。
なんか、めちゃくちゃ長い。
お参りが終わって二人で賽銭箱から離れる。
「……お前、なに願ってたんだよ。長すぎだろ」
気になったので、つい聞いてしまった。
「内緒!」
「即答かよ」
「えへへ、願い事は、言うと叶わなくなるんだよ」
「……まあ、そういうことになってんな」
「悠真は、なに願ったの?」
「俺は……まあ、普通だよ」
「ずるい。悠真も内緒じゃん!」
「お前が先に内緒っつったんだろ」
言い合いながら、参道のほうへ戻る。
屋台の一つで、甘酒を売ってた。
白い湯気が、もくもく上がってる。
「あ、甘酒。悠真、寒いし、飲も飲も!」
返事する前に、紗月がもう、二つ買ってた。
あいかわらず人の話聞かねぇな、こいつ。
まぁいいけど……。
紙コップを、片方、こっちに押しつけてくる。
「ほら、悠真の」
「……ん」
受け取ると、紙コップごしに、じんわり、あったかい。
かじかんでた指が、その熱で、ちょっとほどける。
一口、すする。
……あったけえ。
甘くて、生姜がぴりっとして、冷えた体に、すっと染みる。
「ふぁ……あったかい」
紗月も、両手で紙コップを包んで、ほっとした顔で飲んでる。
こいつ、体感温度が低いとか言って、いつも寒がってるからな。
白い息と、甘酒の湯気が、二人のあいだで、ふわっと混じった。
◇
甘酒を飲み終えて、本殿の脇のほうへ回る。
おみくじを引くとこと、絵馬を掛けるとこがあった。
「おみくじ引こ!」
紗月が、目を輝かせて、さっそく一枚引いた。
俺も、なんとなく一枚引く。
紙を開いて——俺のは、中吉だった。
「悠真、なんだった?」
「中吉」
「私は、末吉!」
「微妙なとこだな、二人とも」
「ねえ、恋愛のとこ、見て見て!」
紗月が、自分の紙を、ずいっと近づけてくる。
「『想い人とは、素直になればうまくいく』だって。えへへ、ぴったりじゃない?」
「……自分で読み上げんなよ」
「悠真のは? 恋愛、なんて書いてある?」
「見せねえ」
「えー、なんでよ。見せてよ!」
紗月が、ぴょんと跳ねて、俺の紙を覗き込もうとする。
「見んなって」
とっさに、紙を持った手を上げて、よける。
俺の恋愛運の欄には、『焦らず、ありのままを伝えよ』とか書いてあった。
……今日のことか。
ありのまま伝えて、こっちが赤くなってんだよ、もう。
絶対、見せねえ。
「むー、ケチ」
紗月が口を尖らせて、それでも、すぐ次に興味が移った。
「絵馬も書こうよ。願い事、ちゃんと書くやつ!」
絵馬掛けのところで、二人で、絵馬を一枚ずつもらう。
紗月が、備えつけのペンを取って、すらすら書き始めた。
……書くの、早いな。
ちらっと覗いたら。
「お前、何書いてんだよ!」
「え?」
絵馬に、でかでかと、『悠真♡紗月 ずっと一緒にいられますように』って書いてあった。
「名前、二人ぶん……っ、しかもハートでつなげて……っ、ここ、人が見るとこだぞ!」
「いいじゃん、ほんとのことだもん!」
「よくねえ! 絵馬にそういうの書くやつがあるか!」
「みんな書いてるよ?」
紗月が、周りの絵馬を指さす。
たしかに、『〇〇くんと両思いになれますように』とか、けっこう、ある。
……あるな。マジかよ……。
でも、二人の名前を、ハートでつなげて、でかでかと書いてあるのは、なかなか、ない。
「ね、悠真は何書くの?」
「……俺は、家内安全とかでいい」
「えー、おじいちゃんみたい!」
「うるせえ。無難でいいんだよ、無難で」
◇
結局、自分のは家内安全で無難に済ませ、紗月に押し切られてあの相合い絵馬まで掛けた。
目立たないところにしようとしたのにそれもダメだった……。
今は二人で、参道の脇で休んでた。
屋台の人混みを、ぼんやり眺めてる。
家族連れが多い。
ちっこい子どもが、親の手を引っ張って、屋台のほうに駆けてったりしてる。
……そういや。
ふと、昨日の電話のことが、頭をよぎった。
紗月んち、年末年始は、家に一人だって言ってたよな。
「なあ」
「ん?」
「お前んち、正月も……親父さんたち、店、出てんのか」
なるべく、軽く、聞いたつもりだ。
「うん、お店のほう」
紗月が、あっさり答えた。
「お正月って、料亭、すごく忙しいんだって。おせちとか、宴会とか。みんな、ずーっとお店」
「……正月もか」
「うん。だから初詣も、仕事終わってからだと思う。毎年、夜にちょこっと行くだけ」
その言い方が、一瞬だけ、平坦になった。
ほんの、一瞬だ。
寂しいとか、そういうのを、わざと乗せてない感じの。
「ふぅん」
「あ、でもね、うちの料亭、お正月のお料理、すっごいんだよ! 格式が、とか、いつも言ってる」
すぐに、紗月が、明るい声に戻った。
「格式、ね」
「うん。よくわかんないけど、すごいんだって!」
えへへ、と笑う。
……まあ、それ以上は、突っ込まなかった。
あいつが、それを、当たり前みたいに話してるから。
でも、こっちの胸の隅には、昨日のトゲが、まだちょっと、残ってる。
屋台に駆けてく子どもと、その手を引く親。
そういうのが当たり前にある日に、あいつは、あの広い家で、一人で。
◇
日が、だいぶ傾いてきた。
「そろそろ、帰るか」
「うん。送ってくれるの?」
「坂の下までな」
神社の高台を下りて、紗月んち方面の坂へ、二人で歩く。
夕方の風が、出てきた。
冷たいのが、頬に刺さる。
「うー、さむい」
紗月が、肩をすくめて、首を縮める。
「お前、ほんと寒がりだな」
「だって、ほんとに寒いんだもん!」
明るく言いながら、歩いてる。
その横顔を、見るともなしに見てたら。
風で紗月のマフラーが、ちょっとずつ、ずれてきてた。
マフラーが緩んで、首元が半分開いてる。
寒い寒い言ってるくせに、紗月は気づいてない。
「紗月」
「なに?」
「ほら、マフラー。ちゃんとつけろよ」
言いながら、足を止めた紗月のマフラーに手を伸ばす。
首元の開いたところを、ちゃんと巻き直す。
冷えた毛糸が、指先に触れる。
その下の、紗月の首が、すぐそこにあって。
思ったより……近い、な。
でも、もう手は動いてるし、気にすんな、俺!
もう一巻きして、首元を、きゅっと閉じる。
「……ほら。これで少しは暖かくなったろ」
手を、離す。
離してから、首の後ろまで、じんと熱がのぼってきた。
急に恥ずかしくなってきて、何か言おうと、紗月のほうを見たら。
紗月は、声も出てなかった。
「…………」
目を、まんまるにして。
口を、半分開けて。
マフラーを直された格好のまま、ぴたっと、止まってる。
「お、おい。なんだよ、その顔」
「……っ」
紗月の顔が、耳まで、かあっと赤くなった。
「な、な、なんで……今、悠真が、直して……っ」
「緩んでたからだろ。寒いんだろ、お前」
「そうだけど! でも、いつも、私が……っ、いつもは、私のほうが……っ」
言葉が、うまく出てきてない。
あの紗月が、こんなにわたわたしてる。
……ちょっと、面白いな、これ。
「ふは」
つい、笑いがもれた。
「な、なんで笑うの!」
「いや。お前がそういう顔すんの、珍しいなと思って」
「悠真のせいでしょ!」
「お前がいつもやってるやつだろ、これ」
「うっ……そ、それは……っ」
紗月が、両手で顔を覆って、その奥で、うー、とか、声にならない声を出してる。
「不意打ち、ずるい……心臓、もたない……」
「俺の台詞だっつーの」
……俺だって、心臓、もってねえんだよ。
まだ火照ってる頬を、片手で雑にこする。
目の前で、真っ赤になって、わたわたしてる紗月。
それを見てふと思った。
胸の奥のあのトゲは、まだ、ちょっと残ってる。
でも、今日は会えて、ちゃんと、笑えた。
……まあ、それで、いいだろ。
「ほら、行くぞ。風、強くなってきた」
「ま、待ってよぉ」
顔を覆ったまま、紗月が、よたよた追いかけてくる。
しばらく歩いて、やっと顔を上げた紗月が、にやっと笑った。
……あ。
「ねえ悠真」
「……なんだよ」
「今日、私、いっぱい不意打ちされたから」
マフラーに半分顔をうずめて、上目遣いで、こっちを見る。
「次は、私の番ね」
「……は?」
「えへへ、覚悟しといてね!」
そう言って、紗月が、たたっと、坂を駆け上っていった。
「おい、待て、なんの覚悟だよ!」
言ったところで、もう聞いちゃいない。
その背中を見送りながら、思う。
……次、って。
こいつのことだ。
絶対、ろくでもないやつが来る。
でも、まあ。
その「次」を、ちょっと、楽しみにしてる自分もいて。
……正月から、調子狂わされっぱなしだ、ほんと。
坂を上りかけたところで、紗月が振り返って、また手を振ってる。
髪飾りが、夕日にちらっと光った。
「悠真ー、またね!」
「……おう」
手を振り返す。
あの坂を上った先の広い家に、あいつはこれから、一人で上がっていく。
心配だ、なんて。
……まあ、言わねえけどな。
紗月が坂の上に消えるまで見送ってから、俺は、冷たい風に首をすぼめて、家へ帰った。




