第57話 悠真、会えない大晦日に紗月から「会えなくても、繋がってる感じ!」と言われて詰む
スマホが、さっきからずっと震えてる。
大晦日の夜。
水野家のリビングで、俺はソファに沈んで、画面を見下ろしてた。
『悠真ー! もう年越しそば食べた?』
『私はね、いま食べてるよ!』
『年越しそばって、なんで年越しなんだろうね』
『調べたよ。細く長く、長生きの願いだって!』
『すごくない?』
……連打すんな。
一個返す前に、もう三個来てる。
紗月のやつ、テンションが完全に大晦日仕様だ。
テレビでは、紅白がやってる。
誰かが知らない歌を歌ってて、会場がきらきらしてる。
親父はソファの端で、缶ビール片手に、半分くらい寝てる。
母さんはその隣で、テレビに目をやりながら、そばをすすってる。紅白の歌に合わせて、ときどき小さく口ずさんでる。
うちは、普通の年越しだ。
毎年こんなもんで、特別なことは、何もない。
……でも。
スマホの画面に、また紗月のメッセージが増える。
『悠真は何してる?』
『紅白見てる?』
こいつ、今ごろ何してんだろうな。
ふと、そう思った。
年末は家に誰もいないって、前に言ってた。
家族はみんな料亭のほうにかかりきりで、年末年始はずっと、家に一人なんだと。
あの坂の上の、やたら広い家。
六人掛けの、長いテーブル。
あそこで、紗月が一人で年越しそばすすってんのか。
……それは、なんか。
スマホをいじる指が、一回止まった。
LINEで返すのも、別にいい。
いいんだけど。
迷惑か。
……いや、年越し前だしな、ちょっとくらい。
……いや。
短く息を吐いて、ソファから立ち上がる。
決めた。電話する。一人で年越しさせとくより、声くらい、聞かせとけ。
リビングを出ようとしたとき。
「あら、悠真」
ソファのほうから、母さんの声が飛んできた。
「どこ行くの。もうすぐ年明けるわよ」
「……ちょっと、部屋」
「スマホ握りしめて?」
ぴた、と足が止まる。
「何、彼女と電話?」
……鋭すぎるだろ、母さんは。
「ちが……っ、うるせえな」
「あらあら」
母さんが、にやっと笑って、そばをすすった。
「いいじゃない。大事にしなさいよ」
「……っ、するっつーの」
言い返したはいいものの、顔が熱いのが自分でわかる。これ以上でかい声を出したら、よけいに墓穴を掘る。語尾を呑み込んで、声をひとつ落としておいた。
言うだけ言って、母さんはもうテレビのほうを向いてる。
畳みかけてこないあたりが、よけいに効く。
顔の熱を持て余したまま、廊下に出た。
冬の廊下は、リビングよりずっと冷える。
自分の部屋のドアを閉めて、ベッドに腰を下ろす。
スマホを、もう一回見る。
紗月のLINEは、まだ増えてる。
……家族のいる年越しってのは、こういうのなんだろうな。
あいつんちには、たぶん、これがない。
通話の発信を、自分の指で、押した。
◇
ワンコールも待たなかった。
『もしもしっ! 悠真!?』
いきなり、耳元で声が弾けた。
「うるせえ、声でけえって」
『えへへ、だって、悠真からかけてくると思わなかったから!』
別に、電話くらいするだろ。
『あっ、そうだ。ねえ悠真、ビデオにしよ。顔見たい!』
「は?」
『だってせっかくだもん! 年越しなんだし、顔見ながらのほうが――』
「いい、声で」
つい、声がでかくなった。
……今、ろくな顔してねえんだよ。母さんにからかわれた熱が、まだ顔に残ってる。こんなの見せられるか。
『えー、なんで!? ちょっとだけ!』
「なんでもいいだろ。声で十分だって」
『むー。悠真、たまにケチだよね』
「うるせえ。そばは、食ったのか」
無理やり、話を変える。
『食べたよ! お母さんが、出かける前に作ってくれてたの』
「ちゃんと食えたのか」
『食べれるよ! 茹でるだけだもん。……ちょっとのびちゃったけど』
「のびてんじゃねえか」
『だってカウントダウンの動画見てたら、忘れてて!』
もう年越しモードに振り切ってんな、こいつ。
『あのね、悠真』
「ん」
『一緒にカウントダウンしよ!』
「は? まだ十分以上あるだろ」
『えー、今からスタンバイしないと!』
「カウントダウンに準備運動いらねえだろ」
『いるの。心の準備!』
ったく。
スマホを耳に当てたまま、ベッドに転がる。
天井を見ながら、紗月のはしゃいだ声を聞いてる。
声だけだ。
顔は見えない。
なのに、なんでこんな、すぐそこにいる感じがすんだよ。
『あ、テレビでも今、カウントダウンの特番やってる。悠真もチャンネル合わせて!』
「合わせたところで、お前のとこと秒数ずれてんだろ、それ」
『えっ』
「テレビ、ちょっと遅れんだよ。電波より」
『……えっ、じゃあ、ほんとの年明けはどこなの!?』
「時計見ろ、時計」
『あっ、そっか!』
なんで時計が一番後回しになってんだよ。
けど、まあ。
こいつとくだらない話してると、年末の夜が、やけに賑やかだ。
『ねえ、そっちは家族みんないる?』
「まあな。親父はもう半分寝てるけど。母さんに、さっきからかわれた」
『ふふっ、何て?』
「彼女と電話か、って」
『……っ、ば、ばれてるじゃん!』
「お前のことは、とっくにバレてんだよ」
『ど、どんな顔して会えばいいの、それ!』
「会ってねえんだから、どんな顔でもいいだろ」
『そうだけど。心の問題なの!』
また心の問題か。
今日のお前、心が忙しすぎるだろ。
つい、ちょっと笑った。
電話の向こうで、紗月が、ふぅ、と一息ついた。
『いいなあ、悠真んち。みんないて』
その声が、ちょっとだけ、トーンを落とした。
ほんの、一瞬だ。
『うちはね、お父さんもお兄ちゃんも、お店。お母さんも手伝いに行っちゃってるから。年末はいつもこうなの』
いつもこうなの、を、紗月は軽く言った。
ぜんぜん、湿っぽくない。
むしろ、けろっとしてる。
『だから一人なんだけど、平気だよ。悠真と電話できるし!』
……平気だよ、か。
俺は、天井をにらんだまま、ちょっと黙った。
いつもこう、ってことは。
今年だけじゃない。
子どもの頃から、大晦日のあの広い家に、紗月一人ってことだ。
みんなが家族と過ごす日に。
胸の奥が、ちょっと重くなる。
スマホを耳に当てたまま、寝返りを打って、横向きになった。
「……なあ」
『ん?』
言いかけて、続きが出てこない。
何か、言ってやりたいような気がした。
でも、何を言えばいいのか、わからない。
下手に同情してる感を出すのは、たぶん違う。あいつが一番、嫌がるやつだ。
俺は、自分の部屋の天井を見上げて、ふっと息を吐いた。
そばにいてやれたら、一番いいんだろうけど。今夜は、会えねえもんは会えねえ。あいだにあるのは、この電話だけだ。
「……一人で、平気なのかよ」
飲み込もうとして、半分、口から出た。
『えっ?』
「いや」
……言っちまった。
『平気だってば! ほんとに』
紗月の声が、ぱっと明るさを取り戻す。
『だってね、今は悠真がいるもん。電話の向こうに』
「……電話の向こうって、なんか言い方が」
『えへへ、なんかいいでしょ? 会えなくても、繋がってる感じ!』
……ずるいな、それ。
たいしたことみたいに言ってないのに、すぐ耳元で囁かれたみたいに、その一言が、まっすぐ刺さってくる。
返す言葉が、すぐには出てこない。耳の裏まで、じわっと熱が上がってくる。
こっちは本気でちょっと心配してたのに、そういうことを、こいつはなんでもない顔で、まっすぐ言ってくる。だから困るんだよ。慣れねえんだ、そういうのを、正面から受け取るのは。
耳に当てたスマホが、なんか、あったかい気がしてくる。
……電池のせいだ、ってことにしておく。
『あ、悠真!』
「うおっ、急にでかい声出すな」
『鐘っ、鐘聞こえる!』
「鐘?」
『除夜の鐘! ほら、こっち、神社が近いから』
耳を澄ます。
電話の向こう、紗月の声の奥に。
ごーん、と。
遠い、低い音が、かすかに混じってた。
……ほんとだ。聞こえる。
『この坂の上だと、夜、よく響くんだよ。桜ヶ丘神社の』
「ああ……夏に行った、あれか」
『そう、あの神社!』
夏祭りで行った、あの神社の鐘が、今、年の暮れに鳴ってる。
俺の部屋からは、聞こえない。
でも、紗月の電話越しになら、聞こえる。
なんだ、それ。
会えてもいねえのに、あいつが聞いてる鐘を、俺も聞いてる。
◇
鐘が、ゆっくり、何度も鳴った。
そのたびに、年の終わりが、近づいてくる。
『悠真、あと一分!』
「お、時計見たな、ちゃんと」
『見たよ。ばっちり!』
「じゃあ、ずれてねえな」
『うん! 二人で、いっせーので』
ベッドの上で、起き上がる。
なんでか、寝っ転がったまま年を越すのは、違う気がした。
スマホを、耳に当て直す。
『あと、三十秒!』
「カウント早すぎだろ、まだ三十秒あんだろ」
『緊張してきたー!』
「年明けるだけで緊張すんな」
『するもん! 悠真と年越すの、初めてだから』
――。
初めて、か。
電話くらい、前にもした。
飯も、毎日のように一緒に食ってる。
でも、年を越すのは、初めてだ。
会えてないのに。
声だけなのに。
それでも、初めて、こいつと一緒に年を越す。
『あっ、あと十秒!』
「おう」
『悠真も数えて!』
「わかったって」
時計の表示が、進んでいく。
『九、八、七――』
俺も、声を合わせる。
「六、五、四」
『三、二――』
紗月の声が、上ずってる。
俺も、なんか、喉のあたりがきゅっとなって、スマホを握る手に力が入った。
『一!』
日付が、変わった。
電話の向こうで、除夜の鐘が、ひときわ大きく一つ、響いた気がした。
しん、と。
一瞬、二人とも、黙った。
それから。
『あけましておめでとう、悠真!』
まっすぐ、耳元に、その声が届いた。
名前を、呼ばれた。
胸のあたりが、じわっと、あったかくなる。
「……ああ。あけまして、おめでとう」
ちゃんと、返した。
『へへっ、言えたね、二人で!』
「言えたな」
『新年、一緒に迎えられたー!』
はしゃいだ声が、また弾ける。
部屋には俺一人で、隣にこいつがいるわけでもない。なのに、ちゃんと年が明けた感じがすんのは……まあ、この声、ずっと聞いてたからだろ。
『ねえ悠真』
「ん」
『あのね、お願いがあるの』
「なんだよ、改まって」
ベッドのそばに、置きっぱなしのマフラーが、目に入る。
紺色の、よれた編み目の。
紗月が編んでくれた、あれだ。
なんとなく、それを手に取って、膝に乗せる。
『初詣! 初詣、行こうよ』
「初詣?」
『うん! 桜ヶ丘神社。さっきの、鐘の』
「ああ……あの神社な」
『二人で、お参りしようよ! 新年だし』
膝の上のマフラーを、ちょっと握る。
会えなかった大晦日の、次の日。
今度は、会える。
『ね? 行こ? 行こうよ!』
「……わーったよ。行く」
『やったー! ぜったいだよ』
「おう。ぜったいな」
『指切りしたいけど、電話だからできないー!』
「電話で指切りすんな」
くだらねえこと言いながら、俺は、ちょっと笑ってた。
膝のマフラーが、あったかい。
もらったやつだから、っていうのも、たぶんある。
『じゃあ、明日! ……あ、もう今日か。初詣の時間、また連絡するね』
「おう。寝坊すんなよ」
『悠真こそ!』
もうちょっとだけ、話して。
それから、電話を切った。
部屋が、しんとなる。
さっきまで耳元にあった声が、すっと消えて、急に静かだ。
窓の外で、まだ、どこか遠くで、鐘が鳴ってる気がした。
……うちのほうからは、ほんとは聞こえないんだけど。
膝のマフラーに、ちょっとだけ、顔をうずめる。
あいつは今ごろ、あの広い家で、一人で布団に入るんだろう。
明るく「平気」って言ってたけど。
いつもこう、なんて、軽く流してたけど。
……ほんとに、平気なのかな。
みんなが家族といる日に、一人で。
考えても、答えは出ない。
それに、踏み込みすぎるのも、違う気がする。
でも、ちょっとだけ、引っかかる。
胸の隅に、小さいトゲみたいに、それが残った。
……まあ、いい。
明日は、会える。
マフラーから顔を上げて、一回、伸びをする。
会えてもいねえのに、声だけで年を越して。
次の日には、初詣の約束まで取りつけられて。
……あいつのペースだ、完全に。
なのに、なんでこんな、悪くない年明けなんだか。
「……あけましておめでとう、か」
誰もいない部屋で、ぼそっと、もう一回、言ってみた。




