第6話 モブ、偽彼氏なのにアイドルの親友から『ちゃんとしなよ?』と釘を刺される
「ねえ水野、昨日モールにいなかった?」
朝のHR前。斜め前の女子が、こっちを振り返った。
「は?」
「やっぱり! 橘さんと一緒だったでしょ? 友達が見たって言ってたんだけど」
背中に嫌な汗が滲んだ。
「いや、あれは——」
「お前ら、休日にガチで一緒にいたのかよ!?」
横から男子が食いつく。
「カフェで二人で飯食ってたって」
「てか、なんか二人で買い物してたらしいじゃん!」
「マジかよ、休日に二人で買い物とか仲良すぎだろ。白状しろ!」
待て。待て待て待て!
なんで情報がそこまで出回ってんだ!
俺は机の横にかけた鞄を、無意識にかばうように手で押さえた。見られるわけにはいかない。内ポケットにつけたこれを見られたら終わる。
「違うんだって。あれは打ち合わせで——」
「打ち合わせで休日にショッピングモール行くやついねえよ」
返す言葉がない。
「あー」
隣の席から、聞き覚えのある呑気な声がした。
矢野が頬杖をつきながら、スマホをいじっている。
「お前、朝からモテモテじゃん」
「助けろ。マジで助けてくれ」
「知ーらね。自業自得だろ」
こいつは本当に、本当に助けてくれない。
「ていうかさ、水野って橘さんとどこまでいってんの?」
「どこまでって!? 何も! 何もいってない!」
「いや休日に二人で買い物行ってる時点で——」
「あれは、その、ちょっとした用事で!!」
「用事って何の?」
しまった。墓穴掘ってるぞこれ。
否定すればするほどボロが出る!
「あー、その。兄——いや、なんでもない。とにかくデートとかじゃないから」
矢野がスマホから顔を上げた。
目がニヤニヤしている。嫌な予感しかしない。
「お前さ、『デートじゃない』って否定してるけど」
「してる。全力でしてる」
「誰もまだデートって言ってないのに、自分からデートって言ったよな」
——は?
教室がザワッとした。
「言った! 水野いまデートって言った!」
「自白だ自白」
「ちが——自白じゃねえ! これは——矢野ぉぉぉ!!」
矢野はスマホに視線を戻した。コメントなし。
こいつ、完全に楽しんでやがる。
だぁぁぁーっ!!
なんで俺、月曜の朝から公開処刑されてんだ!!
◇
昼休み。屋上。
嵐のような午前を何とかやり過ごして、俺は矢野と屋上に避難していた。
弁当箱を開ける。中身を見て、自分で固まった。
おかずが、明らかに多い。
卵焼き、きんぴらごぼう、ほうれん草のおひたし、ミニトマト。
いつもの倍近い量が弁当箱にみっちり詰まっている。
なんで俺、無意識に二人分作ってんだ。
「お前、今日やけに豪華じゃね?」
矢野が覗き込んできた。
「冷蔵庫の中身がたまたま余ってただけだ」
「ふーん。週末のデートで完全に浮かれてんだろ」
「デートじゃねえし浮かれてもない。食材が安かったから作りすぎただけで——」
「はいはい」
矢野の「はいはい」に反論する気力はもう残っていない。
階段を駆け上がる足音がして、屋上のドアが勢いよく開いた。
「水野くーん!」
橘だ。
満面の笑みで弁当箱を持って突っ込んでくる。
「今日も一緒に食べよ!」
「……勝手にしろ」
橘は当然のように俺の隣に座った。近い。いつも通り近い。
「わ、水野くん今日おかず多くない?」
「余っただけだ」
「やった〜。じゃあこれ、一つもらうね!」
聞く前に箸が伸びている。
「おいしー。水野くんの卵焼き、好き!」
……頼むから、そういうことをサラッと言わないでくれ。
「あ、きんぴらも食べていい?」
「お前もう全部食う気だろ」
「細かいことは気にしない!」
横で矢野がポテチをかじりながら、ぼそっと言った。
「お前さ、最初から橘の分まで意識して作ってんだろ」
「作ってない」
「嘘つけ。卵焼き、いつもの倍あんじゃん」
…………。
今朝。冷蔵庫を開けたとき。
卵のパックを見て——「橘は卵焼き好きだったな」と、一瞬だけ思った。
いや、思ってない。余っただけだ。余っただけ。
「やっぱりおいしい……ねえ、明日も作ってきてよ」
「毎日は無理だっつの」
「えー、じゃあ明後日ね。またお弁当もらいに来るからね!」
「……好きにしろ」
橘がにこにこしながら俺の弁当をつついている。
矢野が「はいはい」と呟いて自分のパンをかじった。
なんで俺、こんな返事しかできないんだ。
「嫌だ」って言えばいいだけなのに、たった一言がどうしても出てこない。
——いや、違う。
これも彼氏のフリをする業務の一環だ。……たぶん。
ふと、橘が箸を止めた。
「……あのね、水野くん」
「なに」
「玲奈にバレちゃった。昨日のこと」
「玲奈?」
「うん、宮田玲奈。私の親友なんだけど……めちゃくちゃ怒ってた」
橘がちょっとだけ困った顔をした。
いつもの全力笑顔が引っ込んでいる。
「怒ってたって、何に」
「『なんであたしに言わないの』って。たぶん、来ると思う」
「来るって? ここに?」
「ううん。水野くんのクラスに」
嫌な予感しかしない。
矢野が口元だけニッと笑った。
「偵察だな」
「やめろ。そういう呼び方すると本当にそうなるだろ」
◇
放課後。
嫌な予感は、大体当たる。
帰り支度をしていると、教室の入り口に見慣れない女子が立っていた。
ショートカットに、キリッとした目つき。
橘とは正反対の雰囲気で、腕を組んだまま教室を見回している。
誰だ、あれ。
——その後ろに、橘がいた。
いつもの橘じゃない。
俺のクラスに乗り込んでくるときの、あの突撃モードが完全に消えている。
ショートカットの女子の後ろに半分隠れるようにして、そわそわしている。
ていうか橘、お前なんでそんなにしおらしいんだ。
いつもの突撃モードはどうした。
「水野ってどいつ?」
ショートカットの女子が教室に向かって声を張った。
よく通る声だ。教室が一瞬、静まる。
全員の視線が俺に集まった。
朝に続いて本日二度目の公開処刑。
「……はい」
手を挙げた自分が恨めしい。
女子がまっすぐ歩いてきた。
俺の机の前で止まって、上から下までじっくり見る。
「へえ。あんたが水野」
品定めだ。完全に品定めされている。
兄のときとは違うやつだ。
兄は真正面からドーンと来る感じだったけど、この人は——じーっと見てくる。
頭のてっぺんから爪先まで、全部チェックされてる気がする。
「あたし、宮田。宮田玲奈。紗月の親友」
「あ、はい。水野悠真です……」
「知ってる。学校中で噂になってるから」
宮田さんは腕を組んだまま、首をかしげた。
「紗月がさ、あんたといるようになってからずっと上機嫌なんだよね」
「……はあ」
「お弁当がおいしかったとか、キーホルダー買ったとか。週末中ずっとメッセージのテンションがおかしくてさ。画面越しでもニコニコしてるのが透けて見えたんだけど」
後ろから橘が慌てて割り込んできた。
「れ、玲奈! そういうこと言わなくていいから!」
「事実でしょ」
「事実だけど……事実だけど!」
橘の頬がじわじわ赤くなっていく。
あの強引な橘が、宮田さんの前では完全にタジタジだ。
……いや、なんだこの光景。
俺のクラスにいつも突撃してくる、あの橘だぞ?
それが誰かの後ろに隠れてもじもじしてるとか、初めて見たんだが。
宮田さんが俺に視線を戻した。
「で、あんた。紗月のこと、ちゃんと大事にする気、あんの?」
「ちゃんとって……何を……」
「紗月がここまで誰かに懐くの、あたし初めて見たんだよね」
その一言が、妙に重く刺さった。
懐く。
橘が、俺に、懐いている。
橘のことを一番近くで見てきた人間が、はっきりそう言った。
……「偽の彼氏」に、懐くもんなのか。
それも、俺みたいなモブに。
「だからまあ、紗月が楽しそうだからいいけど」
宮田さんはそう言って、ふっと笑った。
「——ちゃんとしなよ?」
笑顔なのに目が笑ってない。
兄と同じ系統の圧が、まったく別の角度から飛んできた。
「は、はい……」
思わず敬語が出た。
この人、怖い……。
後ろで橘がもじもじしながら小さい声で言った。
「……玲奈、もういいでしょ?」
「うん、まあ合格。……今のところは、ね」
「「合格って何!?」」
俺と橘のツッコミが完全にハモった。
宮田さんは「面白」とだけ言って、くるっと背を向けた。
「じゃ、あたし先帰るわ。紗月、あとはご自由に」
ひらひらと手を振って去っていく。
嵐みたいな品定めだった。
——直後。
橘のスイッチが入った。
「よーし。水野くん、今日一緒に帰ろ!」
さっきまでのしおらしさはどこに行った。
いつものテンションが完全復活している。
「お前、さっきまで宮田さんの後ろでおどおどしてただろ」
「してないもん。ちょっとドキドキしてただけ!」
「ドキドキって何に」
「玲奈が水野くんのこと、ちゃんと認めてくれるかどうか心配だったの!」
堂々と言うな、そういうことを。
「ほら、行こ!」
腕をぐいっと引っ張られる。
またこのパターンだ。
否定する間もなく物理的に連行される。
……俺の拒否権、今日も息してないな。
隣の席で矢野がポテチの袋を畳んでいた。目が合う。
「矢野くんも一緒に帰ろうよ!」
「遠慮しとく。三人目は邪魔なだけだろ。俺は帰ってガチャ引くわ」
「え? 邪魔って……何が?」
橘が首をかしげている。本気でわかっていない顔だ。
自分たちが周りからどんな目で見られているのか、ここで1ミリも気づいていないらしい。
矢野が俺に視線を寄越して、小さく口パクで何か言った。
——お前、もう無理だろ。
……うるせえ。
鞄を持ち上げると、内側につけたキーホルダーがカチャリと鳴った。
朝からずっと気になっていたそれを、俺は結局、外すことができていない。
◇
家に帰って自分の部屋に入ったあと、私は鞄につけたキーホルダーをなんとなく指で弾いた。
カチャ、と小さな音が鳴る。
玲奈、「合格」って言ってた。よかった。
——水野くん、またお弁当、作ってきてくれるかな。
あの卵焼き、おいしかったな。




