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「この人が彼氏です!」と学園アイドルに言われたモブ、逃げられなくなる  作者: もりぞー


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第25話 モブ、浴衣の学園アイドルの「来年も、きたいね」で偽彼氏を忘れる

『今日18時な』


 矢野からのLINEが来たのは昼過ぎだった。


 桜ヶ丘神社の夏祭り。

 四人で行こう、と橘が言い出したのは三日前。

 俺は一分で了承した。宮田は「暑いからやだ」と渋ったらしいが、橘の猛攻に二十分で陥落した——と、橘が嬉しそうにLINEしてきた。


 ……二十分も保ったのか。俺は一分だったぞ。


 鏡の前で、三枚目のTシャツに腕を通す。

 一枚目は首元がヨレてた。二枚目は柄が変だった。三枚目は——普通の黒い無地。


 祭りだぞ。誰も俺のTシャツなんか見ない。


 なのになんで三枚も試してんだ。


 ……もういい。これで行く。



 商店街の入口。


 矢野が先にいた。

 いつもの半目で、コンビニの前に立ってる。


「おー」


「おう」


「暑いな」


「な」


 矢野がペットボトルの水を飲んだ。

 俺もコンビニで麦茶を買う。矢野のレジ袋にはポテチが入ってた。

 こいつ、祭りでもポテチかよ。


 スマホを取り出してLINEを開く。

 無理やり作らされた四人のグループLINE。うさぎが謝ってるスタンプと、宮田の文字だけのメッセージが並んでいた。


「橘、遅れるってさ」


「だな」


「ま、少し待つか」


 矢野と駄弁りながら待っていると。


「あ、いたいた!」


 商店街の奥の方から、宮田が歩いてきた。

 デニムのショートパンツに白いノースリーブ。サンダル。普通の夏の格好だ。


「橘は?」


 俺が聞いた。


「着付け。帯がうまくいかないって」


「着付け?」


 宮田がこっちを見た。


「浴衣。聞いてないの?」


「……聞いてない」


「ふーん」


 宮田の口の端が、ほんの少し上がった。


 浴衣。橘が。浴衣。


 ……心の準備をさせてくれ。


「ごめんごめん、待った!?」


 声が聞こえた。


 商店街の奥から、小走りで来る人影。


 淡い紺地に、白い花の模様。

 髪がいつもと違う。上で結んでる。うなじが見えてる。

 下駄がカランと鳴った。


 橘が、三人の前で立ち止まった。


 少し息が上がっている。

 髪を上げたせいで、耳が見えてる。いつもは髪に隠れてるのに。


 橘が、両手を少し横に広げた。


「……どうかな?」


 裾が、風に揺れた。


 ——止まった。


「紗月、かわいいじゃん」


 宮田が先に言った。


 俺はまだ、何も言えてない。


「悠真くん?」


 橘が、小首をかしげた。

 耳の横の後れ毛が揺れた。


「…………」


「悠真くん、どうしたの?」


「……いや」


 声が出た。かろうじて。


「……いい、んじゃないか」


 それだけ絞り出すので精一杯だった。


「ほんと!? えへへ、よかったぁ」


 ……一言でそんな喜ぶな。


 橘が笑った。浴衣で笑うと、いつもと同じ笑い方なのに、なんか違う。


 何が違うのか、わからない。わからないけど、目が離せない。


「悠真」


 矢野が、横から小声で言った。


「顔」


「……うるせえ」



 商店街から参道にかけて、屋台が並んでいる。


 焼きそば、りんご飴、射的、金魚すくい。

 提灯の灯りがオレンジで、浴衣の人も私服の人もごちゃ混ぜだ。


「わあ、りんご飴!」


 橘が屋台に駆け寄った。

 下駄で小走りするな。転ぶだろ。


「悠真くん、どれがいい?」


「別にいらない」


「えー、お祭りなのに!」


 橘は赤いりんご飴を二本買って、一本を俺に差し出した。


「はい!」


「……だから要らないって」


「もう買っちゃったし!」


 ……受け取った。

 仕方ねえ。もう買っちまったもんは捨てられないだろ。


 矢野が隣でりんご飴を齧りながら、何も言わずにこっちを見ている。何も言わないのが一番怖い。


「あたしのは?」


 宮田が橘に言った。


「玲奈、りんご飴好きだっけ?」


「別に。聞いただけ」


「じゃあ焼きそば! ね、矢野くん、あそこの焼きそば美味しそうじゃない?」


「俺に振るな」


「四人で分けよう!」


「分けるサイズじゃねえだろ」


 結局、焼きそばを二パック買って四人で突っついた。


「あっちのたこ焼きも気になるんだけど」


「橘、お前胃袋どうなってんだ」


「お祭りは別腹だよ、矢野くん!」


「別腹って何個あんの」


「数えたことない!」


「数えろよ」


 矢野が呆れた顔で割り箸を動かした。


「紗月は昔からそう。お祭りになると胃袋が三倍になるよね」


 宮田が淡々と追加情報を出した。


「三倍って、そんなに食べないよ!」


「中学の文化祭、クレープ三個食べてたじゃん」


「あれは二個!」


「三個。あたしが三個目のチョコバナナ持ってるの見た」


「…………」


 橘が焼きそばに集中し始めた。黙々と麺を口に運んでいる。

 敗北の沈黙だ。


 橘は割り箸で麺を取ろうとして、浴衣の袖が容器に触れそうになるたび「あっ」と声を上げている。


「橘、袖」


 俺が言うと、橘が袖を片手で押さえた。


「えへへ、慣れないね、浴衣って」


「着たことないのか」


「あるよ! でもこういうお祭り、久しぶりで」


 橘が笑いながら焼きそばを口に運んだ。

 頬に青のりがついた。


「橘。ほっぺ」


「え?」


「青のり」


 橘が慌てて手の甲で擦った。全然違う場所。


「……そっちじゃない。右」


「ここ?」


「もうちょい上」


「ここ!?」


「取れてない」


 もう。


 俺は自分のハンカチを出して、橘の頬に手を伸ばした。


 ——触れた瞬間、橘の肩が小さく跳ねた。


「……取れた」


「あ、ありがと」


 橘が小さく笑った。

 いつもより、ちょっとだけ声が小さい。


 ……なんで俺、ハンカチなんか出した。


「水野、あんた意外と自然にやるよね」


 宮田が焼きそばを食べながら、半目でこっちを見た。


「……何がだよ」


「別に」


 宮田はそれ以上言わなかった。

 矢野は麦茶を飲んで、空を見上げている。


「金魚すくいやりたい!」


 橘が、焼きそばを食べ終わる前に次の屋台を指差した。


「悠真くん、やろ!」


「……一回だけな」


「やった!」


 ポイを受け取って、水面を見る。金魚は思ったより速い。


 橘は早速ポイを突っ込んで、一発で破いた。


「あー!」


「突っ込みすぎだ」


「もう一回!」


「お前のはもう破けてるだろ。……次、俺な」


 慎重に狙って——すくえなかった。


「水野もだめじゃん」


 後ろから宮田が覗き込んでいた。


「うるせえ」


「あたしやろっか?」


 宮田がポイを受け取って、涼しい顔で一匹すくった。


「えっ、玲奈すごい!」


「昔から得意」


「玲奈ってたまにこういうとこすごいよね!」


「たまにって何よ。今のは普通でしょ」


「普通じゃないだろ」


 俺がつい言ってしまった。宮田が半目でこっちを見た。


「水野だってやればできるでしょ。力入れすぎなだけ」


「力加減の問題か?」


「大体そう。あんたは色々力入れすぎ」


 ……なんか別のこと言ってないか、今。


 ……色々、ってなんだよ。


 矢野が横で「お前ら騒がしいな」と言いながら、射的の景品を眺めている。こいつは参加する気がない。


 橘が宮田のすくった金魚を覗き込んで、「かわいい!」とはしゃいでいる。

 宮田は袋に入った金魚を橘に渡して、「あんたが持ってなよ」と言った。


 四人で屋台を回りながら、参道を登っていく。


 橘は金魚の袋を大事そうに持ちながら、人混みの中で俺の腕を掴んだ。


「はぐれちゃうから」


 ——掴むな。

 掴むなって毎回思ってるのに、毎回振り払えない。


 半袖の下、素肌に指先が触れてる。


 浴衣で、金魚の袋持って、俺の腕掴んで笑ってるこいつは——


 学園のアイドルには、とても見えなかった。



 ドーン、と低い音が鳴った。


「あ、花火!」


 橘が空を見上げた。


 参道の上の方、神社の鳥居の向こうに、花火が一つ上がった。


「始まったな。どっか行くか」


 矢野がスマホをポケットにしまいながら言った。


「上の方に、いい場所知ってるの!」


 橘が参道の先を指差した。


「あたしはここでいいや。暑いし」


 宮田が屋台の横のベンチを示した。


「え、玲奈も一緒に——」


「あんたたち行ってきなよ。あたし座ってる」


 矢野がちらっと宮田を見た。宮田がちらっと矢野を見た。

 一瞬だけ目が合って、すぐに逸れた。


「じゃ、俺もここで」


 矢野がベンチの隣に腰を下ろした。


「矢野くんも!?」


「疲れた。お前ら行ってこい」


「えー、みんなで見たほうが楽しいのに!」


「花火はどこで見ても同じだろ」


「同じじゃないよ! 場所で全然違うよ!」


「紗月、行くなら早く行きなよ。場所なくなるよ」


 宮田がスマホを見ながら言った。


 ……お前ら。


 二人が同時に残ったのは、偶然じゃない。

 ……こいつら、またやってるだろ。


 でも今さら「俺も残る」とは言えなかった。

 橘がもう、石段の方を向いてるから。


「行こ、悠真くん!」


 腕を引かれた。


 矢野が、ベンチからこっちを見ていた。

 何も言わない。ポテチの袋を開ける音だけが聞こえた。



 石段を上がっていく。参道には人が多い。浴衣の人、子供連れ、ビール片手のおじさん。提灯の灯りに照らされて、橘の浴衣の紺が揺れる。


 本殿の前を通り過ぎた。ここで止まると思ったのに、橘はさらに奥へ引っ張っていく。


「おい、どこ行くんだ」


「もうちょっと!」


 本殿の裏手に回って、木の間を抜ける。もう一段だけ石段があった。


 上がった先は、小さな踊り場だった。

 参道からは木で隠れて見えない。でも街の方は、遮るものが何もなかった。

 提灯の列が下に光っていて、その先に駅の灯りがある。


 花火が上がるたびに、空が明滅する。


 橘が石段の一番上に座った。


「ここ! ここがいい!」


「……なんでこんな場所知ってんだよ」


「小さいとき、お兄ちゃんと来てたの。お兄ちゃんが見つけたんだよ」


「ほら、座って座って」


 俺もその隣に、少し間を空けて座る。


 祭りの喧騒が下から聞こえるだけで、ここは静かだ。


「きれい……」


 橘が、空を見上げたまま言った。


 花火の光が、橘の横顔を照らした。


 髪を上げてるせいで、いつもと印象が全然違う。


 ——目が、逸らせない。


 教室で叫んで、海ではしゃいで、俺を振り回す——全部同じ人間のはずなのに。


 浴衣で花火を見上げてるこいつは、初めて会った人みたいだ。


「ねえ、悠真くん」


「……ん」


「今日、お兄ちゃんいないんだ」


「……そうなのか」


「うん。出張だって。ほんとは来たかったんじゃないかな、お兄ちゃん、お祭り好きだから」


 橘兄がスーツで焼きそばを食べてる画が浮かんだ。

 普通に怖い。いなくてよかった——とは、言わない。


「来年は来るかもね」


 橘がくすっと笑った。


 ドーン、と一際大きな花火が上がった。


 赤と金の火花が、夜空に広がって、ゆっくり消えていく。


 橘が、膝の上で金魚の袋を両手で包んだ。


「……来年も、きたいね」


 花火を見上げたまま、ぽつりと。


 来年も。


 来年の夏、俺はまだ——こいつの隣にいるのか。偽物なのに?


「……ああ」


 それだけ、返した。

 それしか出てこなかった。


 橘が少しだけ笑って、また空を見上げた。


 偽彼氏の契約に「来年」なんて書いてない。そもそも契約書なんかないけど。


 でも、来年もここに座ってる自分が——想像できてしまった。


 それが一番、やばい。


 橘が、膝の上の金魚の袋をそっと揺らした。


 花火の光が消えて、一瞬だけ暗くなった。

 暗闇の中で、橘の肩が近くにあった。


 触れてはいない。でも、あと少し動いたら触れる距離。


 ……なんで俺、こいつの隣がこんなに——。


 言葉にならなかった。

 ならないまま、次の花火が上がった。



 帰り道。


 石段を下りて、参道を戻る。


 矢野と宮田はベンチにまだいた。矢野はポテチを食べ終わって、宮田は自分のスマホを見ていた。


「おー、帰ってきた」


「……ああ」


「花火、どうだった?」


「……普通」


「はいはい」


 矢野はそれ以上聞かなかった。


 四人で参道を下りて、商店街の方に向かう。


 橘は金魚の袋を持って、宮田の横を歩いている。

 「名前何にしよう」「金魚に名前つけんの」「つけるよ!」とやっている。


 俺と矢野が少し後ろを歩く。


 矢野は何も言わない。


 いつもならここで何か突っ込んでくるのに、今日は何も言わない。


 それが、逆に——


「矢野」


「ん?」


「……なんでもない」


「そうか」


 矢野がポケットに手を突っ込んで、前を向いたまま歩いた。


 前を歩く橘の後ろ姿が、提灯の光に照らされている。

 浴衣の背中が、少し揺れるたびに、さっき石段で見た横顔が頭に戻ってくる。


 忘れられると思ってない。

 もう、そういう段階じゃないことくらい、わかってる。


 わかってるのに、言葉にできねえ。


 ——なんなんだよ、これ。



 悠真くんが、花火を見てた。


 ——ううん、違う。花火は私も見てた。


 でも途中から、悠真くんがこっちを見てるの、わかってた。


 知らないふり、しちゃった。


 だってなんか、いつもと違った。悠真くんの目が。

 怖いとかじゃなくて。

 なんだろう。


 ……石段で並んで座ってるとき、すごく静かだった。

 いつもは「うるせえ」とか「距離」とか言うのに。


 ふふっ。


 ——あの横顔、花火の光で、ちょっとだけきれいだった。


 ……変なの。

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