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「この人が彼氏です!」と学園アイドルに言われたモブ、逃げられなくなる  作者: もりぞー


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24/30

第24話 モブ、学園アイドルと二人きりの海で正気を保てない

 夏休み、三日目。


 事の始まりは昨日の夜のLINEだった。


 橘からの通知。


『ねえねえ、明日、海行かない??』


 ……海?


 プールじゃなかったか?

 夏休みのプール、ちゃんと予定空けといてね——って言ったの、こいつだろ。


『プールじゃなかったのか』


 既読。

 すぐ返ってきた。


『プールは室内じゃん! 夏なんだから海でしょ!!』


 いつからプールは海にアップグレードしたんだよ。


『海って、どこの』


『調べた! 電車で一時間くらいのとこ! ちゃんと海の家もあるって!』


 調べてやがる。もう行く気満々だ。


 こいつに「行かない」が通じないのは、偽彼氏を引き受けた四月の時点で学んでいる。


『……わかった』


『やった!!! じゃあ明日の朝、駅で!! 水着は秘密ね!!』


 秘密にしなくていい。っていうか秘密って何だ。


 ——で、今。次の日の朝九時半。


 俺は駅の改札前に立っていた。


 Tシャツにハーフパンツ、サンダル。リュックに着替えとタオル。

 普通だ。夏に海に行く、普通の格好。


 ……なのに、なんで俺、家を出る前に鏡を三回も見たんだよ。


「悠真くーん!」


 聞き慣れた声が飛んできた。


 橘だった。


 白いキャミソールワンピースに、つばの広い帽子。

 大きめのトートバッグを肩にかけて、小走りで来る。


 いつもの制服とも、前に見た私服とも、ちょっと違う。

 肩が出てる。

 腕も。


 ……なんか、夏、って感じだ。


 ……うまく言えない。なんだこれ。


「おまたせ!」


「いや、俺が先に来ただけだろ」


「えへへ、私も早く来ちゃった」


 橘がにへっと笑って、トートバッグの持ち手を両手で握った。


「ねえ、電車来るよ! 行こ行こ!」


 腕を引っ張られる。

 いつものことだ。いつものことなんだが。


 肌が、直接触れてる。

 夏服で、袖がないからな……。


 ……気にするな。夏だから、仕方ない。



 電車は空いていた。


 平日だし、方面が逆だからだろう。ボックス席に向かい合って座れた。


 橘は窓の外を見ながら、足をぱたぱたさせている。


「海、久しぶりなんだ」


「そうなのか」


「うん! 去年は行けなくて。——あ、でもお兄ちゃんと行ったのが最後かな」


「兄貴と海……」


 橘兄がビーチにいる画を想像した。

 スーツで砂浜に立ってる姿が浮かんで、すぐに消した。


「お兄ちゃん、パラソルの下でずっとスマホいじってたけどね」


「想像通りすぎる」


 橘がくすっと笑った。


 窓の外の景色が、住宅街からだんだん緑に変わっていく。


「ねえ悠真くん」


「ん」


「今日、楽しみだね」


 橘がこっちを見て、にこっと笑った。


 目を逸らした。


「……まあ」


「まただ。悠真くん、いっつも『まあ』って言う」


「事実だからな」


「ふーん」


 橘が頬杖をついて、にやにやしている。


 ……勘弁してくれ。電車の中で心臓うるさくなるのは困る。



 海だった。


 改札を出て、五分くらい歩いたら、もう潮の匂いがした。

 防風林を抜けると、一気に視界が開ける。


 砂浜。海。空。


 平日でも夏休みだからか、人はそれなりにいるけど、芋洗い状態ってほどじゃない。


「うわー! 海だ!!」


 橘が走り出した。


「おい、荷物——」


「持ってて!」


 トートバッグを押し付けられた。


 ……なんで俺が二人分持ってんだ。


 いや、別にいいけどな。重くないし。


 波打ち際まで走っていった橘が、すぐに戻ってきた。サンダルを片方飛ばしかけて、慌てて拾っている。


 海の家でパラソルを借りて、場所を確保した。

 荷物を置いて、まず俺が先に着替えに行った。


 海パンに着替えて戻ると、橘はまだパラソルの下にいた。


「じゃあ私も着替えてくる!」


「おう」


「待っててね!」


 橘がトートバッグを抱えて、海の家の更衣室に走っていった。


 一人になった。


 パラソルの下で、砂浜に座る。

 波の音が、ざあっと繰り返す。


 ……なんだろう、この緊張。


 プールの時も同じだった。橘が着替えに行って、戻ってくるまでの時間。

 あの時は学校のプールで、クラスのやつらがいて、矢野もいた。


 今は、俺たちだけだ。

 学園のアイドルと二人きりだ。信じられねぇ。


「悠真くーん!」


 声がした方を向いた。


 ——。


 橘が、更衣室の方から歩いてきた。


 帽子は手に持っていて、髪が風で揺れている。


 水色の。


 ……ビキニ、だった。


 プールの時のワンピースとは、全然違う。


 いや。いやいやいや。


 なんていうか、その。

 見えすぎだろ。全部見えてるんだが。


 頭が、真っ白になった。


 学習しろ俺。プールの時と同じだろ。同じパターンだろ。

 ——同じじゃねえ。全然同じじゃねえ。


 橘が、パラソルの下まで来た。


「どう?」


「どうって」


「水着! 新しく買ったの!」


「……ああ」


 それだけ絞り出して、視線が勝手に海の方に逃げた。


 知らねえよ。

 知らねえけど、もう目の置き場がない。


 周りの男が、ちらちらこっちを見ている気がする。

 いや、気がするじゃない。見てる。明らかに見てる。


 ……なんか、さっきからちらちら見てくるやつ多くないか。


「悠真くん? 顔赤いよ?」


「暑いだけだ」


「七月だもんね!」


 プールの時と同じやり取りをしている。

 学習能力がないのは俺の方かもしれない。


「ねえ悠真くん」


「なに」


「日焼け止め塗ってくれない? 背中届かないの」


 ……おい。


「プールの時も同じこと言ってただろ」


「うん。あの時は断ったでしょ?」


「あたりまえだろ!」


「今日は二人だから、いいじゃん」


 橘は楽しそうに言う。


 『いいじゃん』、じゃねぇよ!

 二人だから、の意味がわからない。

 二人だからこそ無理なんだよ。


 橘が日焼け止めのチューブを差し出してきた。


「お願い?」


 その格好で上目遣いしないでくれるか??


 ……断る理由が。

 いや、あるだろ。あるはずだろ。


 ないんだよ。二人しかいないから、本当に背中は自分じゃ届かないし、別の誰かに頼むこともできない。


「……貸せ」


「やった!」


 橘がパラソルの下で、背中をこっちに向けた。


 水色のビキニの紐が、背中の真ん中で結ばれている。


 日焼け止めを手に出した。


 ……冷たい。いや、手が熱いのか。


 背中に手を置いた瞬間、指先から橘の体温が伝わってきた。


「ん、冷たい!」


「日焼け止めってそういうもんだろ」


「もうちょっと丁寧にやって?」


 丁寧って何だよ。どうすりゃいいんだ。


 肩甲骨のあたりで、手が止まった。


 こいつ、恥ずかしくないのか。

 背中向けて、平然と「丁寧にやって」って。


 俺の心臓が限界なのに、橘は鼻歌を歌ってる。


「……終わった」


「ありがとー! はい、悠真くんも塗る?」


「自分で塗れる」


「えー」


 えー、じゃない。

 少しは気にしろ!



 波打ち際で橘が水に足を入れて、きゃっと声を上げた。


「冷たい! でも気持ちいい!」


 橘が走って波に突っ込んでいく。


 ……あいつ、怖いもの知らずか。


 腰くらいまで入ったところで、橘が振り返った。


「悠真くん、早く来てよ!」


「今行く」


 海の中の橘は、プールの時よりもっと楽しそうだった。

 水をかけてくる。波が来るたびにこっちにしがみつく。手を引っ張って沖に行こうとする。


 距離感がバグってるのはいつものことだが、水着でバグられると破壊力が段違いだ。

 もう今日は朝から現実感がなさすぎる……。


「ねえ、あっち行ってみようよ!」


 橘が俺の手を掴んで引っ張った。


 手。

 濡れた手。

 指が、絡まりかけてる。


「……橘、手」


「え? あ、ごめん!」


 橘がぱっと手を離した。


 ——え。

 離した? こいつが?


「ね、あっちに岩場あるよ! 行こ!」


 何事もなかったみたいに、また走っていく。


 右手が、なんか変だ。


 ……今の、なんだ?


 考える暇もなく、先を行く橘を追いかけて岩場まで歩いた。



 岩場の日陰で、二人で座った。


「あ、かき氷! 買ってくる!」


 言うが早いか、橘が立ち上がって走っていった。


 ……座ったばっかりだろ。


 戻ってきた橘の手には、ブルーハワイとイチゴのかき氷。


「悠真くん、どっちがいい?」


「どっちでも」


「じゃあブルーハワイね! ……あ、でもイチゴも気になる」


「好きな方食え」


「両方食べたい。ね、一口ちょうだい?」


 橘がスプーンを差し出してきた。


 ……こいつは。


「自分のを食えよ」


「一口だけ!」


 俺のかき氷にスプーンを突っ込んできた。


「うーん、ブルーハワイもおいしい!」


「勝手に食うな」


「一口だけだよ? はい、お返し」


 橘がイチゴのかき氷を差し出してきた。スプーンごと。


 ……それ、橘が使ったスプーンだろ。


 いやいや。いやいやいや。

 なんで平然と差し出してくるんだこいつ。


「ほら、溶けちゃうよ?」


「……一口だけだからな」


 なんで食ってんだよ俺。


 甘い。けど味がまともにわからねえ。


「えへへ、おいしいでしょ?」


「普通だ」


 普通じゃない。

 偽彼氏が間接キスって、何やってんだ俺……。


 岩場に寄りかかって、海を見た。

 橘が隣に座っている。近い。いつも通り、近い。


 波の音だけが繰り返す。


「ねえ」


「ん」


「今日、来てくれてありがとね」


 橘が、海の方を見たまま言った。


 声が、いつもよりちょっとだけ静かだった。

 指先が、岩の表面をなぞっている。


「……別に。暇だっただけだ」


「嘘。悠真くん、夏休みに入ったら実行委員の作業日あるって言ってたじゃん」


「それはまだ先だろ」


「でも、来てくれたじゃん」


 橘が、こっちを見た。


 髪が潮風で少し乱れている。

 頬が日焼けで、うっすら赤い。


 目が合った。


 ……駄目だ。この距離でこの顔を見るのは、心臓に悪い。


「……だから、暇だったって」


「ふふ」


 橘が小さく笑って、また海の方を向いた。


 波の音。

 かき氷の溶ける音。

 それだけ。


 なんで俺、暇だったなんて嘘ついてんだよ。

 来たかったから来たに決まってんだろ。


 溶けかけのかき氷を一口すくった。味がしない。


 ……わかってるけど、それ以外の言い方を知らねえんだよ。



 帰りの電車。


 橘は着替えて、朝のキャミソールワンピースに戻っていた。

 髪が少し湿っていて、日焼けで鼻の頭と肩が赤い。


 帰りの電車は行きより混んでいて、ボックス席は空いてなかった。

 二人並んでロングシートに座った。

 電車が動き出して、しばらく。


 橘の目が、だんだん落ちてきた。


「……橘?」


「ん、起きてるよ……」


 起きてない。完全に船を漕いでる。


 がたんと電車が揺れた。


 橘の体が傾いて、こっち側に倒れてきた。


 肩に、橘の頭が乗った。


 ——。


 動けない。


 起こした方がいいのか? 起こすべきだろ。普通に起こすべきだ。


 でも。


 こいつ、気持ちよさそうに寝てる。


 日焼けした鼻の頭が、すぐ近くにある。

 髪から、かすかに日焼け止めの匂いがする。


 ——この背中に日焼け止め塗ったの、俺なんだよな。


 偽の彼氏が、なんでこんなに心臓うるさいんだよ。


 起こさなかった。


 駅に着くまで、ずっと。



 家に帰った。


 シャワーを浴びて、部屋に戻って、ベッドに座った。


 スマホが鳴った。矢野からのLINE。


『今日何してた?』


 何してた、か。

 正直に言うしかない。嘘をつく理由もない。


『海』


 既読。

 間があった。


『誰と?』


『……橘』


 既読。


 ……長い。


 電話が来た。


 出た。


「……お前さ」


 矢野の声が、いつもより低い。


「偽彼氏っつっても、普通女が男を二人きりで海に誘うか?」


「プールの代わりだって言ってた」


「プールの代わりに海ってスケールアップしてんじゃん」


「…………」


「完全にデートだろそれ」


「…………」


「で、行ったんだろ? 断らずに」


「……行った」


「水着は?」


「……ビキニ」


 矢野が、黙った。


「お前、もう手遅れだろ」


「うるせえ」


「事実だろ」


 矢野が小さく笑った。


 電話の向こうで、ポテチの袋を開ける音が聞こえた。


「まあ、楽しかったんだろ?」


「……別に」


「はいはい」


「うるせえって」


「分かった分かった。じゃあな」


 電話が切れた。


 スマホを枕の横に置いた。


 天井を見上げる。


 橘の水着姿が、頭に貼り付いて離れない。

 背中に触れた手の感触が、まだ残ってる。


 ……なんで全部覚えてるんだよ。


 肩に乗ってた頭の重さまで、まだある。


 プールの時は、忘れようとして、忘れられなかった。


 今回は忘れようとすら思えない。


 ……夏休み、まだ始まったばっかりだぞ。


 俺、大丈夫か?

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