第96話
「君が帰るのは、今じゃない。そうだろう?」ラサエルの声は、いつもと同じく穏やかで温かいものだった。
「ラサエル……?」それなのに、レイヴンには彼の本心が何なのかについての不安が、冷たく圧しかかった。
「君は」そんなレイヴンの心情を恐らく察した上で、ラサエルは変わらずゆっくりと話を続けた。「子どもたちに、そして俺に、会いたいんだよな?」
「ああ!」対するレイヴンは感情の赴くまま声を張り上げた。「もちろんそうさ、今すぐ会って」
「けど、帰りたくはないんだろう?」
「──」
高ぶる感情は、あっという間に鎮静された。
「ふふふ。図星だな」
「い、いや、そんな、そ」
「いったい俺が何恒星回転期間、君のパートナーをやっていると思っているんだ?」ラサエルはどこか楽しんでいるようにさえ見えた。
「ラサエル──」
「いいか。もう一度だけ言う──あまり言いたくないことだからな」そして最後に、ラサエルは穏やかながら真剣な雰囲気をもってレイヴンに告げた。「レイヴン、今はまだ、地球から帰って来ちゃだめだ。ハヤミさんには俺から話をつける。大丈夫、これでも惑星労働者組合幹部の端くれだよ、このラサエル=ギニゥラムはさ」
◇◆◇
最初に感知されたのは、紛れもなく自社製自律移動殻のスペクトル、それが他でもないここ地球に向けて準光速で接近しているという信号だった。
それだけで、すべてがわかった。
モサヒーは、上空を見上げた。
シャチらとの話はすでに終了し、自分がこれからやるべきことは中枢帯にて構築済だ。まずはインドへ向かい、マルティコラスを見つける。そこからはコードセムーに従いギルドの拠点へ行くことになる。
その道中で、シャチらから指示のあった相手と、接触をする。
シャチらは、モサヒーの隣にセムーという双葉が存在していることを知った上でその話をしてきたが、モサヒーも特に隠匿措置を取るでもなく応じた。
普通に、やり取りを行ったのだ。
そして大概の予測通り、セムーが彼らの話に首を突っ込んできたり口を挟んできたりすることはなかった。
彼女はその時、例によってキャンディやボブキャットと、帰れ、帰らない、ついて来るな、ついて行くと喧々諤々やっていたからだ。
もしかするとキャンディ──というよりボブキャットの方か──が、何事かを察してセムーの気を引いてくれたのかも知れない。
有難いことだ。もっとも、基盤としてはセムーの『うすらぼんやりさ』『あまり複雑なことには関わりたくない』という性質が根差しているには間違いない。
そうして一行はシャチらと別れ、引き続きインドを目指し進んでいた。
その道中で、モサヒーは感知したのだ。
彼は自分でも気付かないうちに、地球の空を見上げ、笑っていた。
「あら、どうしたの、あなた」
基本的にうすらぼんやりしている単純思考のセムーは、それでも夫の表情と行動にだけは即座に反応した。
「うん、いえ」
モサヒーは短く答えたが、彼の中枢帯では特別な活動様式が展開されていた。
幸福を感じさせる活動様式だ。
◇◆◇
「すごく早かったね! また地球に来るの!」オリュクスが叫ぶ。
「本当だな」コスが大きく頷く。
「うん! 嬉しいなあ」キオスも。
「そ、そうだ、ね」レイヴンは多少の気まずさの中返事をしつつも、自律移動殻の制御に余念がなかった。
せっかく、この宇宙空間から再度地球大気圏内に入って行けるというのならば、いつものようにランダムな地点に降り立つのではなく、少し目的設定を施させてもらおうと急遽思い立ったのだ。
「あははははは」
動物たちは何度も、飽きることもなく笑い合う。
それを聞いていると、やはりレイヴンも嬉しく、楽しくはなってしまう。
ラサエル。
彼がどんな想いで、このような決意と行動をしてくれたのかを考えると、申し訳なさと、感謝と、宇宙のすべてに代えても幸せにしたいという強い希望が沸き起こる。
そのためにも、あと少しだけ、やるべきことをやり遂げるのだ。
今、再び眼前に堂々たる青色を示しはじめた、あの地球で。




