第二話 初陣
初陣が決まってから、8日が経過した。
この8日間、浅井領を通っていたおかげか敵に遭遇することもなく、俺たちは無事に丹波の防衛前線までたどり着いた。
――のだが。
「う……なんですか、これ……」
砦の中へ足を踏み入れた瞬間、言葉を失った。
あまりの惨状に吐き気が込み上げてくる。それなのに、開いた口は閉じようとしてくれなかった。
最前線の砦は負傷兵で溢れ返っていた。
呻き声。
慌ただしく駆け回る兵士たち。
そこかしこに漂う、血の匂い。
戦場というものを、俺はまだ知らなかった。
だが、ここにある光景だけは嫌というほど理解できる。
――まさに、惨敗だった。
「こういうのはザラにある。恐ろしい世界だよ」
森田さんは、そんな光景を前にしても落ち着いていた。
「も、森田さんは慣れたのですか?」
思わず尋ねてしまう。
「まぁな。俺もここに来て6年……いや、前の時もあるから何十年も経つ」
「そ、そんなに!?」
何十年。
その言葉の重さに、思わず森田さんを見る。
自分がこの世界に来てから、まだそれほど時間は経っていない。
それなのに、この人は何度も戦場を経験している。
「いいか、天宮さんは俺みたいになるなよ」
森田さんはそう言って、少しだけ表情を曇らせた。
慣れは怖いものだ。
慣れは時に、無情なものだ。
こんなにも血生臭い光景を前にして、何も感じないのか。
「……あぁと、勘違いしてるようだが、何も感じないわけじゃないぞ?」
「!? ……顔に出てました?」
「いいや。長年の勘だよ」
森田さんは、それだけ言って視線を前へ戻した。
その横顔を見ていると、余計にわからなくなる。
この人は一体、どれだけのものを見てきたのだろう。
そんなことを考えていると、
「森田さん!」
声が飛んできた。
「おぉ。亀倉、生きとったんかワレぇ」
「はぁ、なんとか……」
いつもの調子で声をかける森田さんに、亀倉さんは疲れ切った様子で答えた。
だが、その顔には冗談を返す余裕すらあまり残っていない。
「ふざけてて良い感じじゃ無さそうだな。何があった」
それから俺たちは、亀倉さんから何があったのかを聞かされた。
「不意打ちか……」
「です。全く気づきませんでした……申し訳ないです……」
「謝ることはないさ。取られたら取り返せばいい。不意打ちをしてくる程度の相手だ」
そこで森田さんは、一度言葉を止めた。
そして、低い声で尋ねる。
「………何人やられた」
「16人です……」
その数字が告げられた瞬間、部屋の空気が変わった。
さっきまでのざわめきが嘘のように消え、重たい沈黙が広がる。
16人。
ただの兵が死んだ数ではない。
この数は――現代人が死んだ数だ。
もちろん、この世界の一般兵がどれだけ犠牲になったのかも計り知れない。
そう考えるだけで、また吐き気が込み上げてくる。
人は人だ。
一般兵だから、現代人だから。
そんな区別を戦場ですることなんてできない。
それに、相手を生かしておけば戦況が悪い方向へ傾くかもしれない。
わかっている。
頭では、理解している。
それでも――。
「もっといい方法は……」
「……あんまり考えすぎるな。考えすぎた奴から死ぬぞ」
「なんで……どうしてそんなにカラッとしてるんですか!?」
思わず声が大きくなった。
「そうだな。天宮さんに比べると、俺は無情で最悪な男かも知れないな」
森田さんは苦笑する。
「だから言ってるんだ。俺みたいになるなよ」
「……どうして……」
どうして。
なぜ彼は、森田剛はこんな状況であんなにも平然としていられるのだろう。
その答えの見えそうにない疑問に、俺の心はどんどん蝕まれていった。
「あっ、君。こっちに来なさい」
そんな時だった。
愛菜さんから声をかけられた。
「はぁ……あんたの気持ちもわかるけど、仕方ないことはあるのよ」
「何が仕方ないんだよ! なんで殺し合いなんか……」
「相手を殺さなきゃ自分が殺される。そんな世界に来てしまったからには、それに従うしか生きられない。郷に入れば郷に従えよ」
何も言い返せなかった。
この世界では、これが正解なのだ。
人を殺すことが正解。
それを不正解にするためには、この内乱を一刻も早く終わらせるしかない。
「早く帰りたい」
口から、自然と言葉が漏れた。
早く帰って。
家で穏やかな生活を過ごしたい。
戦うことも、殺し合うこともない。
そんな当たり前の日常へ。
「そんなの、みんな思ってるわ」
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森田さんから、詳しい話を聞いた。
亀倉 裕作
一門・白夜の当主であり、この事件に巻き込まれてから3年が経つという。
戦況は芳しくない。
2日ほど前の夜、三好の一門――カゲロウとやらに奇襲されたらしい。
一門メンバーの半分が逃げ遅れた上、部隊にも大きな被害が出た。
そして、なんとかこの砦まで逃げ込んできたということだった。
相手の一門には何も言えない。
確かに、もっと平和的な解決方法はなかったのか。
そんな愚痴が出てくるのもわかる。
それでも、こんな世界では仕方ないのかもしれない。
そう思ってしまう自分が、少し嫌だった。
「合併するか」
森田さんが突然そう言った。
合併。
あまり聞き覚えのない言葉だった。
「何それって顔してる。そんなあなたに教えてあげる。今、森田さんが言ってるのは、一門と一門を1つにまとめない?ってことよ」
「いや、わかるよ。それぐらい」
「本当かしら」
愛菜さんの疑うような目が刺さる。
……本当に失礼な人だ。
それから3日。
結局、白夜と炎楽は合併することになった。
そして俺たちは2つの部隊に分かれ、丹波奪還に向けて動き始めていた。
しかし――不思議なことが起きていた。
「敵がいない……」
焼けた村。
見るに耐えない光景。
火事場泥棒をする賊。
そういったものを目にすることはあった。
だが、肝心のカゲロウがいない。
「どうやら、下の方で織田が暴れてるそうだ。斎藤にも喧嘩売ってるのに、よくこっちにも来れるなって感じだよ」
三好を惹きつけ、斎藤にも喧嘩を売っている織田家。
正直、どれほど凄いことなのか俺にはよくわからない。
ただ、とんでもないことをしているらしい。
「このまま、大阪まで行っちゃおうぜ」
森田さんが、まるで散歩にでも誘うような軽い口調で言った。
「大阪まで?」
「おう。敵がいないなら、行けるところまで行っちまおう。向こうの状況も見ておきたいしな」
「よく、そんな簡単に言いますね……」
大阪まで行く。
言葉にすれば簡単だ。
だが、ここは戦場だ。
「まぁ、危なくなったら帰ればいいさ」
「それができるなら苦労しないじゃないです……?」
「はっはっは! そうかもな!」
「相変わらず、楽観的すぎじゃないです?」
そんなやり取りを交わしながら、俺たちは南へ進むことになった。
その後も、大した抵抗はなかった。
村を通り、街道を進み、いくつもの集落を越えていく。
時折、遠くから煙が上がっている。
どこかで戦が起きているのだろう。
それでも、こちらへ敵が向かってくることはなかった。
「全然敵がいないな」
「だな」
森田さんは笑っている。
そんな調子で歩き続けていると、しばらくして前方から兵士の声が上がった。
「見えてきました!」
「ん? 何がだ?」
「石山御坊です!」
「やっとか……」
遠くに、大きな建物が見える。
あれが石山御坊。
後の時代では、大阪城が建つ場所らしい。
「へぇ……ここが後の大阪城か」
歴史の教科書や資料で聞いたことのある場所を、実際に自分の目で見ている。
なんとも不思議な気分だった。
そんなことを考えていると、
「……止まれ」
森田さんの声がした。
足が止まる。
森田さんは、真っ直ぐに向かいの丘を見つめていた。
「あれって……」
その視線の先を追い、目を凝らす。
そして――息を呑んだ。
丘の向こう。
そこには、大量の兵が待ち構えていた。
「なるほどな。満を持して、ここで待ってたってわけだ」
森田さんは何かを理解したような顔で、正面を見据える。
「なんだ、あの数は!」
周囲が一斉に騒然とする。
理由は明白だった。
敵の数である。
……多い。
とにかく、多い。
「……これ、勝てます?」
「いや、無理だな」
森田さんが即答した。
「ですよねぇ……」
「よし、逃げよう!」
「判断早っ!」
「いったろ? 危なくなったら逃げりゃいいんだよ」
森田さんの号令とともに、部隊が一斉に後退を始めた。
背後から怒号が響いている。
だが、意外なことに三好の軍は追ってこなかった。
一定の距離を保ったまま、こちらを見ている。
「……あれ。こっちに来ない? なんで……」
「知らん!」
森田さんも困惑しているようだった。
それでも、ここに居続ける理由はない。
俺たちはそのまま距離を取り続けた。
結局、大きな戦闘になることはなく、丹波へ戻ることになった。
「……いつか、あれと戦うのか」
帰り道。
思わず、そんな言葉が口から漏れた。
「そうだわね」
愛菜さんが隣から答える。
「心配?」
「そりゃ」
「私もよ」
そう言って、愛菜さんは前を向いた。
俺も、それ以上は考えなかった。
ただ一つ。
今回のことで分かったことがある。
三好は、俺たちが思っていた以上に大きな勢力らしい。
――それだけだった。
丹波に戻ってきた一行は、今回の行軍で受けた傷を確認し、そのまま丹波防衛を継続することになった。
そして、次の日。
「と、こんなもんかな」
「律儀なものね。私なんか、思い出した時にしか書かないわよ」
「それはそれで、どうなんだ……」
最近の日課は、日記を書くことだ。
日記を書くことで、少しだけ心の整理がつく。
それに、現代に戻れた時にはレポートの材料としてきっと役立つだろう。
何より――。
この世界で起きたことを、忘れないためでもあった。
「そういえば、ここ最近静かだな」
「そうね。なにせ森田さんらが出張しちゃったもの」
「えぇと。存じ上げないんですが。そんなこと言ってた!?」
「あなた、本当に人の話聞かないわね。織田家に礼を言いに行くから、数日頼んだって言ってたじゃない」
「あぁ……多分寝てたな、これ」
「はぁ……」
愛菜さんから、失望のため息が漏れた。
自業自得なのだが。
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10日後。
森田さんらが帰ってきた。
その間、三好からの攻撃もなく、比較的平和に過ごすことができていた。
「お前らぁ! たーだいまぁ!」
森田さんは帰ってくるなり、扉を勢いよく開け放った。
そして、少し誇張気味な帰還報告。
その瞬間、部屋中が一気にざわめいた。
「あ、帰ってきた!」
「お疲れ様です!」
「早かったですね!」
あちこちから声が飛び交う。
森田さんは満足そうに周囲を見渡し、笑った。
「これ本当に織田さんへ定期報告しに行っただけですよねぇ……」
俺が少し呆れながら呟くと、その場にいた一人が手を挙げた。
「あのぉ……盛り上がってるところ悪いんですが、本題に入ってよろしいでしょうか」
亀倉さんだった。
ざわめいていた部屋の空気が切り替わる。
話は本題へと入った。
「え? あ、あぁ。本題なんだが、斎藤との戦いが終わったらしい。次は三好を潰すのが目標と決まったんだ。なんで、我々もそれに合わせる。ここからもっかい南下する。目標は大阪だ」
なかなかに衝撃的な知らせが入った気がする。
なのに、以前ほど驚きを感じない。
――嫌な感覚だった。
この世界に、少しずつ馴染んできてしまっている。
それが嫌だった。
「天宮くん。そんなに嫌そうな顔をしないでくれ」
「え? あ、いや、その……」
「冗談だ。各々準備を進めておくように。以上、解散!」
なんてヒヤヒヤさせてくる人なのだろう。
ここで戦が嫌だなんて言ってしまえば、違反分子。
謀反も同然ではないか。
それのせいで死ぬのはごめんだ。
「そう考えてしまう自分も大概嫌いなんだが……」
「何、まだ一人でぶつぶつ言ってるの」
どうやら考え事が口に出てしまったらしい。
愛菜さんに聞かれてしまっただろうか。
「あんたの気持ちはもちろんわかるよ。この件が治まれば、みんなでなんとかしましょう」
「みんなでなんとかって、どう……」
「森田さんはあんたの敵じゃないの。むしろ味方よ? 提案すればすぐ実行してくれる。ただ、それが現実的なことか、そうじゃないかの違い。理想は語ってるだけじゃ理想でしかないの。
たくさんの理想を提案してれば、現実的な理想が見つかるかも、でしょ?」
「難しいことを言ってお姉さんぶってる?」
「な! これでも真面目な話をしてるのですが?」
愛菜さんの顔がどんどん膨らんでいく。
……多分、怒ってるのだろう。
一応、謝っておこう。
「はいはい、悪かったです」
「全然反省してる感じしないんだけど。まぁいいわよ」
「なぁ、帰ったらなんかしたいことでもないのか」
「そうね。好きな人にでも告白しようかしら?」
「へぇ。お前が告白ねぇ」
「何よ。何か文句でも?」
「いいえ。何にもないですよ」
「それこそ、あなたはないの? 現世に帰ってしたいこと」
現世に帰ってしたいこと。
聞いてみたけど、自分では考えたことがなかった。
毎日、珍事件を調べて、それをレポートにして提出。
たまに番組に使われるかどうかの仕事を続け、家では自堕落に過ごす。
あの頃は幸せだと思っていた。
けれど、今になって考え直してみると――終わっていた生活だったのかもしれない。
それでも、それ以上は求めない。
求めすぎると、物事は悪い方向へ傾いていく。
それを、俺は知っている。
だから――。
「あの頃の日常に戻ることかな」
「つまんないわね」
「ストレートだな」
「まぁいいんじゃない? あっ君ぽくて私は好みよ?」
「お前、本当に俺のことからかうの好きだよな」
「たまに面白い反応が見られるもの。今後もよろしく頼むわよ?」
「何を頼まれたのかわからないけども。まぁOK?」
「じゃ、私これから用事あるから」
そう言って、愛菜さんは部屋を出ていった。
扉が閉まる寸前。
何かを呟いていたような気がした。
だが、何を言っていたのかまでは聞き取れなかった。
少し気にはなったものの、多分次のスケジュールでも確認しているのだろう。
そう自分を納得させた。
5日後の朝。
「でわ、皆、用意はできたかぁ?」
少し気の抜けた声で、森田さんが声をかける。
用意と言っても、武器の手入れ。
積み荷と食料の確認。
兵士の健康状態の確認など、やることは多い。
もちろん、この世界に来て最も歴の浅いであろう天宮には、特にすることもない。
たまに積み荷の確認を手伝っていたくらいだ。
正直、これから戦に出るというのに、こんなのでいいのか。
そんな罪悪感が、常に胸の奥にあった。
だからこそ、これから巻き返していきたい。
「よぉし。じゃ! ワイの故郷、大阪に出発や!」
「森田さんの故郷、初耳ですし、あまり大きな声で言うものじゃないですよ」
亀倉さんが、森田さんの気合の入った関西弁の号令にツッコミを入れる。
これから戦に行くというのに、今のやり取りはまるで軽いコントだ。
けれど――。
「これくらいの方が気が楽だなぁ」
「そうでしょ。だから、あなたも今ぐらい気を軽くしておきなさい」
「……そうだね」
「さ、私たちも行きましょう」
愛菜さんに促され、俺も歩き出す。
これが――
天宮拓人の、二回目の出陣であった。
次回は9/8(火曜)
進め炎楽




