第十話 約束
対斎藤戦から二日が経った。
猫影はやることもなく、いつもの場所で景色を眺めながら黄昏ていた。
「ふぅ……何かと、ここが一番落ち着くや」
風の靡く音。
その風に揺られる草の音。
時間帯によって表情を変える景色。
そして、沈みつつある太陽。
その全てが、猫影の心を癒し続けている。
………でも、物足りない。
何かが足りていない。
なにが?
いや、わかっている。
静かさとは真逆の存在が、足りていない。
「璃奈さん……」
この静けさとは裏腹に、騒がしさを提供してくれる彼女。その人は昨日に続き、今日も現れていなかった。
なんなら、戦から帰ってきてからまだ一度も顔を見ていない気がする。
別に静かな方が好みというわけじゃない。
むしろ落ち着くし、好きな方である。
ただ、こうもずっと自然の音だけを聴いていると、何か悟りでも開いてしまいそうだ。
「はぁ……いつもなら、『また悩み事かい? 少年』なんてことを言って、ここら一帯、騒がしくしに来る頃合いだけども……」
軽口を挟んでみても、彼女はやってこない。
今日もいないのか。
そう思い、自室へ戻ろうと振り返る。
すると――
部屋の出入り口に、俯きながら気まずそうに立っている彼女がいた。
「えーと……聞かれてました……?」
「………」
反応がない。
前のやり返しだろうか。
「あのぉ、璃奈さん?」
「グスッ……」
「へ?」
再度呼びかけると、何故か彼女は涙を流し始めた。
一体、何があったというのだろうか。
「はぁ……面倒ごとは嫌いですが、女性の涙に応えない男は、漢やない!!……」
「う、うぅ……ぐすっ」
どうやら、この軽口は逆効果だったらしい。
流石に真面目に聞いた方がよさそうだ。
「えーと……何が、あったんです……?」
「わ、私……ごめんなさい!」
「……?」
そう言うと、彼女は俯かせていた顔をさらに下へ向けた。
しかし、猫影には何故謝られたのかわからない。
なぜなら、謝られるようなことをされた覚えがないからだ。
強いて言うなら、日頃の行いでヒスってしまったのか? くらいである。
「えーと。なんで謝るんです?」
「だって、だって私!」
「ゆっくりで大丈夫ですよ」
——それから、ざっと一時間後。
「……まだ泣いてます?」
「だってぇ……」
「もう一時間経ってますよ?」
「うるさい……ゆっくりでいいって……ぐすっ……言ったの、誰……ぐすっ」
「あはは……たしかに……」
彼女を落ち着かせるため、猫影はできる限りの笑顔で言葉をかけ続けた。
そして、さらに一時間ほどが経った頃。
ようやく彼女は、少しずつ泣き止み始めた。
その間、なぜ謝られたのか。
その理由を聞くことは、結局ほとんどできなかった。
「ふぅ……落ち着きましたか?」
「う、うん。だいぶ……」
「それはよかったです」
「その……迷惑ばかりかけちゃってごめんね……情けないよね。私、お姉ちゃんなのに……」
「いつも言ってますが、あなたの弟になったつもりはないですがね。……まぁ仕方ないことなんじゃないんですかね。僕も辛い時はそんな感じだったので」
「ネコちゃんはすごいよね」
「……そうかもしれませんね」
「それ、認めちゃうの?」
たまに自分でも思っている。
自分は、すごい奴なんだと。
そう思っていなければ、できないことが多すぎる世界だからだ。
でも、本当は知っている。
本心ではわかっている。
自分が、すごい奴なんかじゃないことくらい。
それでも、そう思い込まなければ立っていられない。
自分自身さえ騙して、騙し続けて。
少しでも自分を大きく見せることで、今の今までなんとかやってきた。
「こう見えて、歳は下ですけど、実は人生経験は璃奈さんより長いですよ?」
前回の事件もある。
その差は、何十年にもなる。
歳を取らないせいか、あまり実感はないのだが。
「そういえば、ネコちゃんも前の時の被害者だもんね……」
「『も』というのは?」
「多分……私の弟もなの。ある日突然消えて、また現れて……それからすごく臆病になっちゃって、ここに来るまでは私にべったり」
「あなたのブラコンはそこからなのか……」
「そういうこと!」
彼女の重度のブラコンの発生源がわかったところで、話を本題に戻すとする。
なぜ謝ったのか。
謝るという行為そのものに、何か問題があるわけではない。
ただ、何か誤解がある。
それが、猫影の心をどうにも落ち着かなくさせていた。
「それにしても、あの謝罪って?」
「私ね、後悔してたの。なんで私も行かなかったんだろうって」
「なるほど。それは僕もよくありますよ? 友達に遊びに誘われたけど、めんどくさくて断って、後々後悔すること」
「今ふざけるところじゃない」
「すみません……」
怒られた。
「でね……もしネコちゃんが帰ってこなかったらって考えたら……怖くなって」
「……」
「あの時、行かなかったことをずっと後悔するんじゃないかって」
こんな世界に長くいるからこそ、その気持ちはとてもよくわかる。
それで何かを救えたのかと言われれば、言葉が出なくなるのだが。
「だから、謝らなきゃって……」
「……嬉しいですよ。心配してもらえて」
「やっぱり、」
「でも、さっきも言いましたが、こう見えてこの世界には僕の方が長くいます。心配されなくても、明らかな危険くらい自分で判断できますよ。それに」
「それに?」
「それに、怖かったら残っていいって言ったのは僕ですからね。自分は、それで怒るなんていう理不尽な人ではないと思ってますので」
「……」
「だから、謝らないでください」
全て、心の奥底から思ったことだ。
織田家の戦は、最悪参加しなくても本能寺以前ならなんとかなる。
戦に参加する理由は、ほとんどがこの世界に対して少しでも慣れておくこと。
だから、彼女が無理して行く義理もない。
「……ううん」
そう、喉から声を絞り出すように、彼女は首を横に振った。
「私、甘えたくない。これからはどんなに危ないところにでも、絶対にネコちゃんと一緒に行く!!」
「いい心構えですね。ただ、無理はしないでくださいよ?」
「必要なら無理もするの!」
「えぇ……」
必要な無理も、できるだけ避けてほしい。
それが猫影の本音だった。
必要な無理や無茶なら、自分がやればいい。
わざわざ彼女が背負う必要はない。
そう考えているからだ。
「じゃあ……もし私が危なかったら、ネコちゃんが助けてね? 代わりにネコちゃんが危なくなったら、私が守ってあげる。これでどう?」
「ふっ……ふふふ。ははははは!」
彼女の言葉につい大笑いしてしまった。
「ねぇ、笑うところぉ?」
その笑いに頬を膨らませ、そう答える。
「すみません、すみません。ついつい……わかりましたよ。その条件、呑ませていただきますね」
猫影は、さっきの大笑いで作られた笑顔のまま小指を立てた。
「うん」
それに答えるように、彼女の小指が猫影の小指に絡む。
「指切りげんまん、嘘ついたら命はないとおーもえ♪」
「いや、こえぇな!」
夕日を背景に。
その日 猫影は彼女――璃奈との、大切な約束を交わしたのだった。
—――――――――――――――――――
それから三日後。
清洲城に、炎楽という一門の森田と名乗る男と、他数名がやって来たらしい。
最近、自室に引きこもりがちな猫影は、その男たちと会うことはなかったので、あまり詳しくは知らない。
「ただ、森田ってどっかで聞いたことあるよなぁ……?」
顔も声も知らないはずなのに、なぜか名前だけは身に覚えがあった。
それが前の事件で聞いた名前なのか、最近聞いたことがあるのか。
聞いた話によると、炎楽は浅井の筆頭一門。
そして森田は、その当主らしい。
なら最近聞いた話の中に、その名前が出てきていてもおかしくはない。
「まぁ、そんなことはどうでもいいかぁ」
森田さんのことは、頭の片隅にでも置いておこう。
問題は、さっきの会議で愉遊開会の次の行動が決まったことだ。
ざっくり言うと――三好本土、岸和田の陥落。
数日後、炎楽は丹波から南下するとのこと。
そして天下騒乱は、斎藤戦が終わってからそのまま三好領にちょっかいをかけに行っているのだとか。
「はぁ……」
一門名通りなのだが、騒乱の行動にはもうため息しか出てこない。
「うーん。まぁ、こうかぁ?」
猫影は、一人自室に設置した簡易日本地図を眺めながら作戦を考えていた。
そこで思いついた内容は、騒乱への加勢。
伊賀の山を越えるのも考えたが、こちらが圧倒的人数不足になること。
そして山攻めは不利なことを考えると、これが一番の安全策だと思えた。
鶴賀に相談してみるとしよう。
—―――――――――――――――――
「普通に伊賀から行けるのではなかろうか?」
鶴賀に相談すると、意外な回答が返ってきた。
「でも、戦うには不利じゃないか?」
「わっしは、戦いなんぞ起きないと思うのだがなぁ」
「そう?」
伊賀が全くのガラ空きなのは、あまり考えられない気がするが。
「うむ。だって騒乱がもう暴れとるんじゃろ? なら、伊賀まで守れるほど、もう体力はないだろうて」
「確かに、そうだな……」
言われてみると、そうだ。
本気で一人百人を相手にしているような一門と、もう五日近く戦っているのだ。
しかも丹波からは炎楽も来る。
どこかが手薄になってしまうのは、必然的であった。
「よし、それで行こう」
「では、皆に知らせますかな。出陣はいつ頃に?」
「明後日かな」
「りょーかい」
そのまま猫影と鶴賀は、一門内に織田家の動きと、明後日の作戦概要を伝えることにした。
—――――――――――――――――――――
その後、再び自室へと戻ってきた。
「……伊賀、か」
机の上に広げた地図を眺めながら、先ほどの鶴賀との会話を思い返す。
確かに、騒乱と炎楽が同時に攻め込むのであれば、伊賀まで大軍を置いておく余裕はない――はずだ。
だが、それでも何もないとは考えにくい。
「罠……って可能性もあるよな」
そう呟きながら、伊賀から岸和田へ向かうルートを指でなぞる。
もし敵が待ち構えていれば、さっきも考えた通り、こちらの人数ではかなり厳しい。
だが、逆にそこを抜けられれば、騒乱への援軍――いや、この戦の切り札として大きな意味を持つだろう。
「……結局、行ってみないと分からないし、あとはアドリブでやるとしますかな」
そう呟き、猫影は地図を畳む。
そして、ここ数日出しっぱなしの布団に横たわり、次の戦で足りなくなるであろう睡眠時間をまた確保するのだった。




