第90話 ぶれる偶像
「なるほど。ダンジョン教か……」
草原の真ん中。
湖や住居から少し離れたところに、凪原さんを呼び出した。
ここにいるのは、俺と鐘々、それから凪原さんの三人だ。
周囲には遮るものが何もない。
開放感しかない場所だが、普通に話をするだけなら、むしろここで十分だった。
誰かが近づいてくれば、すぐに分かる。
考えてみれば、わざわざ豆腐の中へ招き入れなくても、このダンジョンでは密談くらい普通にできるのだ。
「…………」
凪原さんは、探偵が集めた資料を読みながら、難しい顔で考え込んでいる。
「殴り込みは——」
「やりませんよ」
「なら、なんで私に相談したって話なんだけどな」
「シオン姉さんなら信用できるからね」
鐘々が答える。
「それに、教授と一緒に動いてたんだから、私たちよりダンジョン教に詳しいかなって」
「いや、私はダンジョンの中で世捨て人みたいな生活してたんだから、知るわけないだろ」
凪原さんが、もう一度資料へ目を落とす。
「しかしまあ……これ、詰んでないかい?」
「だから、知恵を貸してほしいんです」
「無茶ぶりするなぁ……」
その後も、三人で情報を整理していった。
施設への出入口。
周辺の道路や建物。
内部で想定される動線。
過去の間取りから、改築されていそうな場所。
外から調べられることについては、かなり集まってきたと思う。
だが——。
「結局、ここなんだよな」
凪原さんが、資料の一箇所を指で叩く。
職員の数。
施設内にいる教徒の人数。
警備状況。
そして、七築の家族が実際にどこにいるのか。
肝心なところは、ほとんど分からないままだった。
もう一度、探偵を使って調べてもらう案も出た。
だが、それでも完璧な情報収集には程遠い。
「…………」
スパイ映画とか見ておくべきだったかな。
いや。
フィクションだから無理だな。
都合よく通気口から潜入したり、監視カメラを三秒で無力化したりできるわけではない。
そんな感じで、いよいよ会議も行き詰まり——。
「やっぱり、教授に話を通すべきじゃない?」
「…………」
そこに行き着くか。
教授を避けたかったから、まず凪原さんに相談したのだが……。
やはり、こうなったか。
「なぁ、なんでそんなに教授を警戒してるの?」
まあ、そうなる。
「うーん……」
鐘々に目配せする。
どこまで話していい?
そんな意味を込めて。
鐘々は少し考えてから、小さく息を吐いた。
「教授が裏切ると思ってるわけじゃないの」
「じゃあ、何が問題なんだ?」
「何を知ってるのか分からない。何を隠してるのかも分からない。それに、私たちを助けることと、自分の研究を進めることがぶつかったとき、どっちを選ぶのかも分からない」
「…………」
「だから、使える情報は借りたい。でも、全部を預けるほどは信用できない」
「ああ……まあ、それなら警戒するのは分かる」
まあ、結局のところ。
普段の奇行。
妙によく回る頭。
俺の祖父との関係。
知っているはずなのに、全部は話さない態度。
そういうものが色々と混ざり合って、教授はとんでもなく胡散臭い人間になっている。
そして——何より問題なのが。
『深山を巻き込むな』
祖父が残した、この言葉だ。
これさえなければ。
俺だって、ここまで教授を警戒してはいなかったかもしれない。
「…………」
そういえば、この辺りも共有しておいたほうがいいか。
鐘々の凪原さんへの信頼の高さを見るに、もう深いところまで巻き込んでしまったほうがいいのかもしれない。
「実はですね……」
◇
「……それ、重蔵さんが書いたのか?」
話を聞き終えた凪原さんから最初に出た言葉は、それだった。
「どういうことですか?」
「いや……あの人なら、そんな言い回しはしないというか」
凪原さんが首を傾げる。
「鐘々は疑問に感じなかったの?」
「え? 私は、爺さんなら言いそうだなって……」
「えぇー。あの人がそんなふうに言うかなぁ?」
「…………」
どういうことだろう。
二人の間で、俺の祖父のキャラクターがブレているのだろうか?
「私が探索者になるために色々教えてもらっていたときは、もっとこう……端的に、ニュアンスがしっかり伝わる言い方をしてたんだけどね」
「私と話してたときは、色々けむに巻くというか……そういう意味にも取れるのか、って話し方をすることもあったけど」
「…………」
ますます分からん。
「あの、聞きたいんだけど……二人から見て、祖父って普段どんな話し方をする人だったんだ?」
「え、いや、それは……うーん」
「なんか具体的に話すのが難しいわね」
「…………」
二人揃って、考え込んでしまった。
「なんで孫の俺より二人のほうが祖父について解像度高そうなのに、肝心なところで説明できないんだよ」
「孫のあんたが知らないほうがおかしく感じるんだけどね」
「俺が物心ついたころには、もう会ってなかったので」
「それも妙な話だね。両親は何も言わなかったのかい?」
ふと考える。いまは亡き両親のことを。
そういえば……祖父の話を、家で聞いた記憶がほとんどない。
話題にも出なかったので俺も気にしたことがなかった。
いや、そういえば、一度。
友人の家が祖父と一緒に住んでいる家庭で、うちには祖父や祖母はいないのかって話をしたとき——。
「…………」
——親父になんて言われたっけ。




