第89話 反省します
「お兄さん、ちょっといいかな」
今日も写見さんの手伝い——と思っていたところで、鐘々に呼び止められた。
いつになく真剣な顔をしている。
「分かった。どこで話す?」
「できれば、あそこで」
「ん、了解だ」
ちょうどこれからダンジョンへ向かおうとしていたコアちゃんへ声をかける。
「コアちゃん、ちょっといいかな」
「なんじゃ?」
「あそこに行きたいんだ」
「ふむ。分かった」
◇
コアちゃんの洞窟。
俺たちの秘密基地。
通称、豆腐の中。
そこにいるのは、鐘々と俺、そしてコアちゃん。
今回は、この三人だけだ。
暦と俺が作ったテーブルの上に、鐘々が一通の封筒を置く。
俺がひとりで作った机?
端っこのほうにあるよ。
悲しく、その役目を果たせないまま、静かにたたずんでいるよ……。
まあ、あれはいい。
思い出の品ということで、そこにあればいいのだ。
「これ」
鐘々が、封筒を俺のほうへ押し出した。
手に取り、中身を確認する。
入っていたのは——七築の家族についての調査報告だった。
現在の居場所。
安否。
生活状況。
そして、電話番号をはじめとした連絡先。
「……ようやく届いたのか」
肝心なのは、家族の安否だ。
資料をめくる。
そして——俺は、ここでようやく理解した。
鐘々が、なぜあんな真剣な顔で俺を呼び止めたのか。
なぜ、わざわざここへ来たがったのか。
「……家にいない?」
「ええ」
鐘々が頷く。
「正確には、人はいる。家の中で生活しているようにも見える。電気も使われてるし、人の出入りもある」
「じゃあ——」
「でも、中にいるのは七築さんの家族じゃない」
「…………」
「別人よ」
思わず、資料へ視線を落とす。
「七築の家族は?」
「それも書いてある」
鐘々が、資料の一箇所を指さした。
「ダンジョン教と関係がある施設にいる可能性が高い」
「…………」
頭を抱える。
警察案件じゃないのか、これ?
いや。
警察が動いてくれるのか?
相手は、表向きにはまともな活動をしている団体だ。
しかも、教授の話が正しいなら、政治家にまで信者がいる。
「……めちゃくちゃ面倒なところに繋がったな」
「そう。めちゃくちゃ面倒。正直、どうすればいいのか分からないわ」
「真っ向から立ち向かうってのは……無理か」
「シオン姉さんなら、事情を話せば手伝ってくれると思う——けど、だからどうしたって感じね」
「鐘々は、魔法とかで何かできないのか?」
「一般教養で習うレベルの魔法しか使えないの。それに、私は探索者の免許は持ってるけど、ダンジョンのものを売り買いするために取っただけのペーパーよ。戦力になるわけないでしょ」
鐘々は肩をすくめる。
「そういうお兄さんは?」
「ウォーグルフ一匹と相打ちになるレベルだ」
「…………」
ものすごく残念そうな顔をされた。
「つまり、戦力的に真っ向勝負は無理ってことね」
「まあ、最初から想定してない。他の作戦を練らないとな」
「……助けに行くつもりなの?」
「そのつもりだけど」
「警察に任せればいいんじゃない?」
「警察が動くか分からないだろ。表向きには、何も被害が起きてないことになってそうだしな」
「だとしても、お兄さんが危険を冒す必要はあるの?」
「七築の家族だろ?」
「それでもよ」
鐘々の声は、冷静だった。
「危険を冒してまで、お兄さんが助けに行く必要はないと思う」
「…………」
随分と冷酷な——いや。
違うな。
「私たちの居場所は、ここしかない」
鐘々が、静かに言った。
「私一人なら、まだいいよ。でも、七築や暦は違う」
「確かに、そうなんだが……」
「今の彼女たちにとって、本当にここが最後の居場所になるかもしれないの。代わりになる場所なんて、そう簡単には見つからない」
鐘々が俺を見る。
「だからね。お兄さんには、簡単にリスクを冒してほしくない」
「…………」
鐘々は、七築を見捨てろと言っているわけではない。
冷たいわけでもない。
俺たちの置かれている状況を冷静に確認したうえで——それでも助けに行くのかと、俺に問いかけているのだ。
「……考えがある」
「一応、聞かせて」
「俺一人で、ダンジョン教に行ってくる」
「何言ってるわけ? そんなこと許可できるわけないでしょ」
「行ってくるっていっても、そんな変なことはしない。ダンジョン教の中に正面から入って、内部を見てくる。もし家族を見つけられたなら……」
俺は、自分の右腕を見せた。
「これで、とんぼ返りだ」
「……は?」
「だから、俺一人で——」
「聞こえてる。聞こえてるから、その顔してるの」
「そんなに変な作戦か?」
「変というか、お兄さん。それ、作戦じゃないよ」
「え?」
「お兄さんが全部のリスクを背負って、失敗したら右腕で逃げますって言ってるだけ」
「いや、失敗しなくても、家族が見つかったらその場で使おうかと」
「もっと駄目」
「えぇ……」
「お兄さんって、どうして作戦を考えると毎回、自分の命をコスト欄から消すの?」
「別に消してないだろ。俺なら移動もできるし、見た目だけなら異形でもなんでもないから警戒もされない。探索者になったのも今年のうちだから、戦闘力とかに関しても警戒は薄いだろ」
「そうじゃない。そうじゃないよ」
鐘々が、少しだけ声を強めた。
「お兄さんは明らかに、自分のことを安いと思ってるでしょ」
「そんなことは——」
「思ってるよ。だから一人で行くなんて案が出てくるの。暦や七築、コアちゃんのことを考えてないでしょ」
「…………」
コアちゃんは——俺たちの邪魔をしないように、ただこちらを見ている。
「ついでに聞くけど、その右腕、何人まで運べるの?」
「検証した限りだと、俺を中心に半径五メートルくらい。範囲内にあるものは、まとめて運べる」
「……検証した?」
「…………」
藪蛇だった。
「……開くまでのタイムラグは?」
「ほぼ一瞬。正確には分からないが、一秒もかからないはずだ」
「お兄さんが拘束されてても使える?」
「……分からない」
「意識を失ってたら?」
「分からない」
「入口を開いた先から、向こうの人間がついてくる可能性は?」
「範囲に巻き込んだら……ついてくるかも」
「…………」
鐘々が、無言になった。
「鐘々?」
「お兄さん」
「はい」
「その右腕で戻ってくる場所って、どこ?」
「……ここ」
「ここって?」
「この洞窟」
「…………」
あ。
「お兄さんさぁ!」
「はい!」
「それ、敵を逃げ切る作戦じゃなくて、敵を秘密基地までご招待する作戦になってるじゃん!」
「いや、範囲に入れなければ——」
「七築さんの家族だけ綺麗に半径五メートル以内に集めて、敵だけ全員五メートルより外にいる状況を作れるの? ひとりで?」
「…………」
「しかも、家族が全員同じ場所にいる保証もない」
「それは、まあ」
「本人たちが突然何か起きても動かずにいてくれる保証は?」
「…………」
「はい。却下」
「早いな」
「むしろ、ここまで聞いてまだ保留にしてる私を褒めてほしいんだけど」
部屋が静まり返る。
鐘々は苛立ったように、机を指先でトントンと叩いていた。
やがて目を閉じ、何かを考え始める。
俺はというと——なんか叱られたので、ちょっと動けないでいた。
あんなふうに感情を露わにする鐘々は、なかなか見ない。
しばらくして。
「……うん」
鐘々が目を開いた。
「その右腕を使う。それ自体には、今回は反対しない」
「え?」
「脱出手段としては強いもの。ただ、それを前提にして一人で敵地へ入るのがおかしいって言ってるの」
「じゃあ、どうする?」
「知恵を借りましょう」




