第84話 重大な欠陥を発見しました
あれから数時間をかけて、ようやく家まで帰ってきた。
帰り道については——あの鎖を伝って、ダンジョンの入口まで登るという苦行が待っていた。
探索者として活動していない俺にとって、あれは本当にきつかった。
建物三階分ほどの高さを、ひたすら鎖につかまって登る。
とてつもない労力を必要とする作業だったことだけ告げて、詳細については割愛しておこう。
腕が死ぬかと思った。
写見さんなんか、蛇みたいにするすると登っていったので、何事かと思ってしまった。
あの人、本当に研究者だよな?
なお、あの鎖。
ただの鎖ではないらしい。
探索者向けに作られた特殊な合金製で、錆びないうえに魔法にも強く、そう簡単には破壊できない代物だという。
値段を聞いたときはびっくりした。
俺が想像していたより、桁がひとつ多かった。
「そんな高いもの、山の中に置いておいて大丈夫なんですか?」
そう聞いたところ。
「魔物より、ああいう物を盗みに来る人間のほうが厄介なんだよ」
と、凪原さんに言われた。
「…………」
確かに。
もうやだよ、この世界。
◇
凪原さんと写見さんについては、後日、移動手段を用意できたらこちらへ来てもらうということで話をつけた。
連絡先も交換して、その日は解散。
そして、我が家へ戻ってから。
今度は鐘々に凪原さんについていろいろ聞かれ、こちらからもいくつか質問してみた。
だが、結局のところ、俺が本人から聞いた以上の情報はほとんど出てこなかった。
というか——鐘々も、凪原さんが教授と一緒に行動していたこと自体、知らなかったらしい。
まあ、向こうは二年間もダンジョンの中で生活していたのだ。
まともに連絡も取れなかっただろうし、その辺は仕方がない。
とりあえず。
二人がこちらへ来たときのために、今のうちから根回しをしておくことにする。
まず、コアちゃんシステムについて。
教授が勝手に話す可能性までは止められないが、少なくとも俺たちの側から積極的に教えることはしない。
そしてもうひとつ。
教授にも隠していることについての箝口令。
そう。
俺が、ダンジョン人間であることだ。
右腕。
身体の一部。
そして、あの緊急離脱。
この辺りについては、当然ながら秘密にしておく。
ちなみに七築には、この件について——。
「新種の異形かと思ってたわ」
との評価をいただいた。
「…………」
まあ——間違いではない。
ほかにも、やることは山ほどあった。
現在の金銭事情の確認。
借金返済のための振り込み。
生活費の計算。
その他もろもろの事務作業。
腐るほどある。
だが、この辺については、もうわざわざ話すこともないだろう。
うちは、いつだって家計が火の車なのだ。
鐘々は、いつの間にか個人の貯蓄をかなり増やしているようだが。
だからといって、個人の金をダンジョン運営の資金へ突っ込ませるわけにはいかない。
そこはきっちり分けている。
なので、たまに飯を奢ってもらう程度に留めていた。
おい、やめろ。
ヒモって言うな。
ただでさえ今は、家事まで暦にやってもらっているせいで――。
『若い異形の女の子を何人も囲って生活しているヒモ男』
として、近所のおばちゃんたちの間で噂されているらしいのだ。
違う。
断じて違う。
俺はちゃんと働いている。
……ダンジョンの管理とか。
借金返済とか。
役所への書類作成とか。
ほら、いっぱいあるだろ? なぁ?
「くそう……」
ともかく。
そんなこんなで慌ただしく日々を過ごしているうちに――。
あっという間に、二人がやってくる日になったのだった。
◇
「おー、鐘々ちゃん。大きくなったじゃん」
「そんなに変わってないよ。そっちも元気そうじゃん、シオン姉さん」
大型二輪から、天使が降りてきた——かと思えば、凪原さんだった。
バイクに乗る天使。
かっけえな。
ちなみに彼女の異形は、有翼種というものらしい。
天使ではない。
それと、あの翼だけで空を飛ぶこともできないそうだ。
なんでも、翼の大きさに対して人間の身体は重すぎるとか、それを羽ばたかせるための筋力が足りないとか。
まあ、いろいろあるらしい。
見た目が天使だからって、そう都合よく空を飛べるわけではないようだ。
「あの……トイレを貸していただいても……」
そして。
そんな凪原さんとは対照的に、ふらふらとサイドカーから降りてきたのが写見さんである。
「大丈夫ですか?」
「ちょっと……風が……」
この辺は、ものすごく解釈一致だ。
あの日。
鎖を蛇のようにするすると登っていった彼の姿は——たぶん、幻覚だったのだろう。
◇
二人を家の中へ案内する。
——が、まずひとつ、問題が発生した。
「…………」
凪原さんが、玄関で止まっている。
「これ、いけます?」
「やってみる」
翼を限界まで畳む。
中腰になる。
さらに身体を横へ向ける。
そのまま、カニ歩き。
「待って待って待って! もういいです。やめましょう」
「いけると思うんだけどな」
「絶対どこか引っかけますって」
そうか。
こうなるのか。
よく分かったよ。
というわけで。
凪原さんには、縁側から入ってもらうことにした。
こちらなら開口部も広いので、そこまで苦労することなく入ることができる。
「こっちなら楽だね」
「最初からこっちにすればよかったですね……」
縁側から居間へ入り。
久しぶりに会った鐘々と、凪原さんが和気藹々と話し始める。
その様子を眺めていたところで——。
俺は、ふと。
本当に、ふと。
倉へ目を向けた。
「…………」
倉の扉。
その向こうにある、コアちゃんのダンジョン。
もう一度。
凪原さんの翼を見る。
そして、倉の扉を見る。
「…………」
うん。
重大な問題だよな、これ。
そう。
お気づきだろうか?
このままだと——凪原さんは、コアちゃんダンジョンに入れない。




