第61話 家を建てまくりたい人、いませんか?
「教授や暦は、もう家を作れないのか?」
「結論から言えば、難しいだろうね」
「理由は?」
「私は、この研究棟が一つあれば満足している。浅葱君も、おそらく同じだろう」
教授は、猫たちが潜り込んだ茂みを観察しながら答えた。
「つまり、今の私たちには、新たな建物を生成するだけの欲望がないのだよ」
なるほど。
暦も教授も、自分のための建物を作ることには成功した。
だが、結局のところ、それは自分のために欲した建物だ。
教授は、自由に研究できる場所を欲した。
暦は、自分が暮らしたい家を欲した。
その欲望が満たされた今、もう一度同じ濃さで建物を欲するのは難しい。
何を生み出すにしても、まず欲望ありきなのだ。
俺がいくら家を建てようとしても、まともに完成させられない理由も、そこにあるのかもしれない。
俺には、すでに住む家がある。
必要なのは俺の家ではなく、まだ顔も知らない誰かが住むための家だ。
資料や模型をどれだけ用意しても、根本的な欲望が足りていない。
そう考えると、妙に納得できてしまった。
「じゃあ、新しい住人を連れてくればいいんじゃないか?」
「それも、確実とは言えないだろうね」
教授は、茂みから伸びた枝を指先で曲げ、しなり具合を確かめる。
「家が欲しいと漠然と考えていたとしても、それが建物を完成させられるほど絶対的な欲望とは限らない」
「住む場所に困っていても?」
「人間の欲望は、動物に比べて複雑だからね。家が欲しい。仕事が欲しい。金が欲しい。以前の身体へ戻りたい。誰かに認められたい。そうした数多くの欲が、同時に存在している」
教授は、猫たちが身を隠している茂みへ目を向けた。
「隠れたい。眠りたい。獲物を狙いたい。動物のように、本能へ直結した欲望であれば、どれほど扱いやすいことか」
そう言いながら、教授は茂みの葉や枝を観察し続けている。
観察する前に、まず服を着てほしい。
だが、教授の言いたいことは分かった。
ただ家を欲しがっているだけでは足りない。
家の形を明確に思い描けるほど、建物そのものへ強い欲望を持っている人物が必要なのだ。
つまり、建築物を建てることが大好きで、放っておけば家を建てまくるような人間。
……いるのか?
そんな人間。
とりあえず、魚を連れてきたらどうなるのか、教授にも意見を聞いてみた。
結論から言えば、水源が生まれる可能性は高いとのことだった。
「それじゃあ、魚を買ってくればいいか」
「いや。それなら、野生の魚を捕まえたほうがいい」
「理由は?」
「水槽で飼育されている魚は、その水槽こそが自分の生きる世界だと認識している可能性がある」
なるほど。
それは、確かにあり得る。
水槽で生まれ育った魚が望むのは、広い川や池ではない。
清潔な水。
決まった時間に与えられる餌。
外敵のいない、小さく安全な空間。
その欲望をコアちゃんが食べても、生まれるのは自然の水源ではなく、巨大な水槽かもしれない。
「それなら、川や池に行って、野生の魚を捕まえるのがよさそうだな」
「そうだね。どのような水域に生息する魚を選ぶかも重要になるだろう」
川の魚なら、流れのある水。
池や沼の魚なら、流れの少ない水。
選ぶ魚によって、コアちゃんの中に生まれる環境も変わるかもしれない。
「おーい、コアちゃん」
「なんじゃ?」
「ちょっと、魚を捕まえに行こうか」
「ふむ?」
コアちゃんが、不思議そうに首を傾げた。
「妾に、魚の欲を食べてほしいのじゃな?」
「話が早くて助かるよ」
「私は、ここに残ろう」
教授は、茂みから採取した葉や枝を並べながら言った。
「まだ調査することが多いからね。何かあったら、研究棟まで来てほしい」
「了解」
とりあえず、変態はここへ置いていこう。
この格好のまま連れていけば、魚を捕まえるより先に、教授が警察へ捕まるかもしれない。
コアちゃんの外へ出る。
猫たちについては、ひとまず問題ないらしい。
腹を空かせた猫たちの欲望を受けて、コアちゃんが大量のカリカリを生み出していた。
当面の餌は確保できた。
とはいえ、水までカリカリで代用するわけにはいかない。
できるだけ早く、水源を作ってやらないとな。
倉を抜けて庭へ出ると、ちょうど鐘々が帰ってきたところだった。
見覚えのない自転車から降り、玄関先へ停めている。
……うん。
いつ買ったんだよ、それ。
今朝まではなかったぞ。
まあ、鐘々のことだ。
徒歩で移動する時間がもったいないとでも考えたのだろう。
実際、それについては俺も同感だった。
「ちょ、ちょっと、お兄さん! 聞いて、聞いて!」
鐘々が自転車から飛び降りるようにして、こちらへ駆け寄ってくる。
「落ち着け。どうした?」
「鱗ヶ池に、UMAが出たって!」
魚を探しに行く予定だった。
まさか、魚より先に未確認生物の話が飛び込んでくるとは思わなかった。




