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第54話 ここから始まるダンジョン生活

 道具は取り戻した。


 とはいえ、その場ですべてを持ち帰ることはできない。


 結局、宅配業者を手配し、俺の家まで運んでもらうことになった。


 こうして、暦から奪われたものを取り戻す戦いは、ひとまず決着した。


 以前の住まいや、失われた時間まで取り戻せるわけではない。


 仕事だって、元通りになるとは限らない。


 それでも、自分の意思で取り戻すと決めた暦の一歩は、きっと大きなものだったのだろう。


「これで、ひとまず一段落ですね。では、私は溜まっている仕事がありますので」


 事の顛末を見届けた白根は、今回の処理について、先輩や業者を正式に追及するつもりらしい。


 やたら協力的だとは思っていたが、暦を助けることと、組織内の問題を正すこと。

 その二つは、白根にとって同じ方向を向いていたのだろう。


 白根が去ったあと、俺たちはコアちゃんの中にある豆腐へ戻った。

 コアちゃんは、すでに何冊か本を読み終えていた。

 人との付き合い方が描かれた小学校高学年向けの児童書と、社会常識を学ぶための本だ。

 多少は、世間のことも分かるようになったはずである。


「皆さん、ありがとうございました」


 暦が、深く頭を下げた。


「いやいや、私たち、ほとんど何もしてないから」


「実際、そうなんだよな。白根さんが動いてくれたのは大きいけど、最後に取り戻したのは浅葱さん自身だし」


 暦の大きな単眼に、涙が浮かんでいた。


「私一人じゃ、ここまでできませんでした。たぶん、あの公園で、そのままどうなっていたか分かりません」


「大げさだよ」


「大げさじゃありません。あのとき声をかけてくれたから、私は救われたんです」


 なんだか、恥ずかしくなってきた。

 本当に、大したことはしていないのだが。


「主よ、ここはしっかりと礼を受けるのじゃ。それが暦のためじゃろうて」


 ずいぶん立派なことを言うようになったな、コアちゃん。

 いったい、どの本に影響されたんだ?


「お礼って……家のことをやってくれただけでも、十分すぎるだろ」


「お兄さん、無欲すぎるときあるよね。せっかくかわいい女の子がお礼を言ってるんだから、役得とか考えてもいいもんじゃないの?」


「アホか、おまえは。そんな役得を目的に助けるわけないだろ」


「え、それじゃあ、暦はかわいくないっていうの?」


「いや、俺にはもったいないくらいだろ」


「そこは言葉でちゃんと言おうよ」


 え、何なんだ、こいつは。

 まあ、いいか。


「そうだな……素直な感想を言うなら、浅葱さんはめちゃくちゃかわいいと思う。家事もできるし、最高だろ」


「はぶっ」


 暦が妙な声を漏らし、ものすごい勢いで身体を縮こまらせた。

 鐘々に変なことを言わされたせいで、気を悪くしてしまったのだろうか。


「私、たまに思うんだけど、お兄さん、めっちゃ女の子泣かせてそう」


 ひどいことを言われた。


「あの、そういうことがお望みなら……」


「ストップ、ストップ! なんか絶対に勘違いしてる! そういうのは、本当に好きな男ができたときにやってくれ!」


 危ない、危ない。

 変な空気になっている。


「あ、それじゃあ……あの、住居に関する研究、ありますよね」


「あ、ああ。誰かに研究協力者になってもらって、実証滞在をしてもらう必要があるな」


 俺は鐘々へ顔を向けた。


「そういう人材に心当たりはないか?」


「あの」


 鐘々が答えるより先に、暦が声を上げた。


「それ、私がやったら駄目ですか?」


 俺と鐘々は、顔を見合わせた。


「いや、浅葱さんなら、俺の家に部屋があるだろ?」


「いえ、そこではなくて……」


 暦は、豆腐の窓から広がる草原へ目を向けた。


「ここに、私が住みたいんです」


 その声に、迷いはなかった。


「保護してもらえるからではありません。皆さんに言われたからでもありません」


 大きな単眼が、俺をまっすぐに見つめる。


「私が、ここで暮らしたいんです。お願いできますか?」


 公園で打ちひしがれていた彼女の姿は、もうそこにはなかった。


 誰かに行き先を決められるのではなく、自分の意思で住む場所を選ぼうとしている。


「分かった。白根さんに連絡して、正式な手続きを進めよう」


「私、同意書の草案なら書けるよ。元宅建持ちだし」


「宅建と研究の同意書は、だいぶ分野が違わないか?」


「契約書を読む力は共通だから」


 鐘々が胸を張った。


 白根が残していった実証事業の資料には、参加者へ説明すべき事項と、同意書のひな型も入っている。


 俺たちはそれを確認しながら、暦の滞在条件を一つずつ決めていった。


 滞在期間。

 記録する内容。

 途中で辞退できること。

 外出は自由であること。

 所有物は暦自身が管理すること。


 そして、ダンジョン内での生活には、まだ分からない危険があること。


 すべての説明を終えたあと、鐘々が暦の前へ書類を置いた。


『異形居住適合性検証事業 実証滞在参加同意書』


 暦がペンを取る。

 そして、その書類へ自分の名前を書いた。


 誰に強制されるでもなく。

 誰かに代わりに決められるでもなく。


 自分の意思で。


「でも、まだ家はないぞ?」


「それなら、あの……場所だけいただけますか?」


 ◇


 コアちゃんの入口から、少し離れた場所。

 草原の上で、暦がコアちゃんと向かい合っていた。


「それでは、望んでみるがよい」


「はい」


 暦は目を閉じる。


 しばらくは、何も起こらなかった。


 だが、やがて地面の奥から、何かが軋むような音が響き始める。


 メキメキと草原が盛り上がった。


 白い壁。

 屋根。

 窓。

 玄関。


 それらが、地面から生えるように次々と形を作っていく。


 そして――。


「庭がある!?」


 白い一軒家の周囲には、小さな庭まで作られていた。


 それだけではない。


 玄関前が、しっかりコンクリートで舗装されている。


「待て待て待て待て!」


 なんだか、とんでもなく立派な一軒家が完成していた。


「で、できました」


 暦が目を開ける。

 その顔は、やけにすっきりとしていた。


「大丈夫なのか? 欲を食われすぎて、何もしたくなくなったりしてないか?」


 暦は、自分の身体を確かめるように見下ろした。


「……大丈夫みたいです」


 以前のように、暦自身の身体や精神へ作用する願いではないからだろうか。


 外側に物を作るだけなら、欲望を食べられても、本人にかかる負担は少ないのかもしれない。


 もっとも、一度の成功だけで安全と決めつけるわけにはいかない。


 あとで教授と白根にも、きちんと確認してもらう必要があるだろう。


 玄関前の舗装を、足の裏で確かめる。


 硬い。


 見た目だけではなく、本物のコンクリートと変わらない感触だ。


 外壁にも手を当ててみる。


 これも、教授の研究棟と同じく、ハリボテではなさそうだった。


「中身もあるのか……?」


 暦が玄関扉へ手をかける。

 鍵は掛かっていなかった。


「お邪魔します……自分の家ですけど」


 暦に続いて、中へ入る。


「うわ……」


 暦が感嘆の声を漏らした。


「想像した通りの家です」


 中は、某ハウスメーカーのモデルハウスを思わせる3LDKだった。


 広いリビング。

 対面式のシステムキッチン。

 二階へ続く階段。

 天井には、立派な吹き抜けまである。


 内装はかなり凝っていて、そのすべてが本物だった。


「すご。リビング、すごいよ。システムキッチンまである!」


 鐘々がキッチンへ駆け寄り、何気なく蛇口をひねった。


 水が出た。


「えっ!?」


 透明な水が勢いよく流れ、シンクの排水口へ吸い込まれていく。


「この水、どこから出てんの!? 物理法則は!?」


 ここには水源など存在しなかったはずだ。

 いや、それよりも、排水はどこへ行っているんだ?

 水質は安全なのか?

 電気やガスも使えるのか?

 暦が外へ出ても、この設備は維持されるのか?


 見た目だけなら、外の住宅と何も変わらない。


 だが、生活に使えるかどうかは、調べなければ分からないことだらけだった。


 あのとき必死に話したトイレ理論が馬鹿だったとは限らない。


 むしろ、確認しなければならないことが一気に増えた。


「なあ、コアちゃん。これ、どういうことだ?」


 俺が振り返ると、コアちゃんは満面の笑みで、何かを咀嚼していた。


「んまい。んまいのう……」


 以前、コアちゃんは、暦の欲をひどく薄いと表現していた。


 だが、今回の心境の変化によって、暦の欲にも何かが起きたのだろうか?


 鐘々は金銭欲。


 では、暦の欲とは、いったい何なのだろう。


「あの、網代さん」


 いつの間にか、暦が隣に立っていた。


「お願いがあるんですけど……」


「お願い?」


「これから、下の名前で呼んでもいいですか?」


「ああ、それくらい構わないけど……」


「主よ。それなら、暦のことも暦と呼んだほうがよかろう」


 確かに、今さら名字で呼び合うのも、少し他人行儀かもしれない。

 鐘々なんて、名字を覚えているかどうかすら怪しい。


「そうだな。それじゃあ、俺も暦って呼ぶけど、いいかな?」


「は、はい! 喜んで!」


 やたら大きな声で、そう返ってきた。

 その様子を見ていた鐘々は、吹き抜けの先にある二階と、複数並んだ扉を見回した。


「あ、この家……つまり、そういうことね」


 何かを察したように頷き、今度は俺へ、やけにねちっこい視線を向けてくる。


 何だよ。


 部屋が多いことの、何がそんなにおかしいんだ?

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