第53話 それは私のものです
「浅葱さん。あなたの件についても、お話があります」
暦の肩が、小さく跳ねた。
彼女は、自分の名前が出るとは思っていなかったようだった。
「浅葱さんの入所同意書と、財産処分に関する書類を調査しました。その結果、複数の不審点が見つかっています」
うちのダンジョンの認可と並行して、暦の件も調べてくれていたのか。
「まず、こちらの入所同意書ですが……過去に浅葱さん本人が提出した複数の書類と比較したところ、同一人物が通常の状態で記入したとは考えにくい筆跡でした」
「あの、私の筆跡なんて、どこで調べたんですか?」
「以前、行政機関へ提出された書類です。いずれも古いものですが、氏名の署名は、意識して変えない限り大きく変化するものではありません」
自分の名前の書き方なんて、わざわざ変えようと思わなければ変わらない。
それにしても、よく過去の書類が残っていたものだ。
うちの役場なら、倉庫の奥で行方不明になっていてもおかしくない。
いや、行方不明になっていたら普通に大問題なのだが。
「ほかにも、本人確認を行った担当者の氏名、確認方法、処理時刻などに不自然な点があります」
白根は、書類の不審点を一つずつ挙げていった。
入所同意書の署名が、暦本人の筆跡と大きく異なっている。
本人確認を実施したという記録はあるが、担当者名と確認方法が欠けている。
電話で同意を得たことになっているものの、記録された日時の通話について、暦にはまったく記憶がない。
パソコンや仕事道具は、書類によって『処分済み』と『保管中』の両方で記録されている。
そして、財産処分に必要となる本人の同意書は見つかっていない。
「これらを根拠として、生活安全管理業者へ正式な照会を行い、浅葱さんの所有物に対する処分停止を求めました」
「仕事が早すぎる……」
「この程度は当然です」
白根はそう答えると、暦へまっすぐ向き直った。
「浅葱さん。改めて確認します。あなたは、施設への入所に同意しましたか?」
「……していません」
「所有物の処分に同意しましたか?」
「していません」
「分かりました。今の回答を、あなた本人の意思として正式に記録します」
白根の手元には、小型の録音機が置かれていた。
音声記録も残しているらしい。
……俺も、迂闊なことは喋らないほうがよさそうだ。
「あなたの同意が確認できない以上、これまでの処理を正当なものとして扱うことはできません」
白根は、はっきりと言い切った。
そして、新たに一枚の書類を取り出した。
「浅葱さんの所有物は、現在、この生活安全管理業者の倉庫に保管されている可能性があります」
「可能性……?」
「書類上の記録が一致していないため、現物を確認するまでは断定できません。処分停止の手続きは行いましたが、入所からすでに日数が経っています」
白根は、倉庫の所在地が記された書類を暦の前へ置いた。
「業者立会いのもと、保管物の確認を行います。浅葱さんには現地へ赴き、ご自身の所有物を一つずつ確認していただきたいのです」
暦は書類を見つめたまま、動かなかった。
白根が、俺へ視線を向ける。
「大丈夫だ」
俺は、暦へ言った。
「俺もついていく」
◇
翌日。
俺たちはバスを乗り継ぎ、生活安全管理業者の保管施設へやってきた。
周囲にあるのは、山と森ばかりだ。
住宅地の近くでは、騒音や搬入車両への苦情が出るのだろうか。
同行したのは、暦と俺、鐘々、そして白根。
コアちゃんは家に残っている。
より正確には、ダンジョンの奥にある豆腐の中だ。
暦の記憶から複写した本を読みながら、勉強しているはずである。
昨日、倉庫の話を聞いた暦は、少しの沈黙のあと、はっきりと言った。
「行きます。行かせてください」
なら、俺たちの役目は彼女を支えることだ。
暦に代わって意思を決めることではない。
暦が自分の意思を伝えたとき、それを相手に無視させないために、俺たちはついてきた。
施設は、単なる倉庫というより、回収した家財を一時保管し、仕分け、売却、廃棄へ回すための中間処理場に近かった。
大型の倉庫が、敷地内にいくつも並んでいる。
それに比べて、受付のある事務棟はさほど大きくない。
中に見える事務員も、五人ほどだった。
受付で用件を伝えると、脂ぎった中年の男が奥から出てきた。
「いやね、うちも正式な手続きに基づいて処理を行っていまして……」
「その手続きの有効性に重大な疑義があるため、処分停止と現物確認を求めています。すでに通知したはずですが」
白根が書類を示し、男の言い分を一つずつ切り捨てていく。
妙に言葉が鋭い。
この業者に対して、相当なものが溜まっているらしい。
頼りになるな、公務員の圧。
俺にはもう出せない種類の圧だ。
やがて男は渋々といった様子で、俺たちを倉庫へ案内した。
その一角へ足を踏み入れた瞬間、暦が立ち止まる。
大きな単眼が、さらに見開かれた。
「……それ」
掠れた声だった。
パソコン本体。
液晶タブレット。
束ねられた原稿。
資料の入った箱。
衣類。
暦が使い、働き、暮らしてきた物が、誰の物でもないかのように雑然とまとめられていた。
一部には、すでに廃棄予定の札がつけられている。
よかった。
少なくとも、まだここにある。
全部かどうかは分からない。
壊れていないかも、データが無事かも分からない。
それでも、処分される前には間に合った。
「ですがね、これらが本当に浅葱さんの所有物だと、現時点で断定することはできません」
「何言ってんの、あんた」
鐘々の声に、露骨な苛立ちが混ざった。
「こちらとしても、間違った品を返却するわけにはいかないんですよ。保管台帳と現物の管理番号が一部一致していませんし、この区画には、ほかの方から回収した物品も混ざっています」
「それ、あんたたちの管理が雑だったってことじゃん」
「ですから、確認が必要だと申し上げているんです」
ここまで来て、まだ面倒な話が残っているのか。
白根が何か言おうとした、そのときだった。
「大丈夫です」
暦が、一歩前へ出た。
「私の物だと、細かく説明できればいいんですよね?」
「細かく、と言われましても……」
「まず、そちらのパソコンのキーボードです」
暦は、雑に置かれた機材の一つを指さした。
「左側のCtrlキーは、Cの文字しか読めないほど印字が擦れているはずです。スペースキーの右端には、小さな傷が三本あります」
職員がキーボードを確認する。
そして、思わず二度見した。
「液晶タブレットの裏側には、右上から十二センチほどの位置に、剥がしかけた青いシールがあります。接続ケーブルには、白いテープを二周巻いてあります」
暦は止まらなかった。
パソコンの傷。
キーボードの擦れ。
液晶タブレットに残った小さな汚れ。
原稿用紙を束ねた順番。
資料の箱に入れた本の並び。
衣服の内側に縫いつけた補修布。
普通なら、意識して見ることさえない細部。
だが、暦はそのすべてを覚えていた。
完全記憶。
浅葱暦に与えられた、天賦の能力。
それが、雑にまとめられた品々の一つ一つが彼女のものであることを証明していく。
すべての確認を終えると、暦は業者の男へ向き直った。
「これは、私のものです」
声は震えていなかった。
「私は、捨ててもいいなんて言っていません」
大きな単眼が、まっすぐに男を見据える。
「返してください」
これまでに聞いたことがないほど、強い意思の込められた言葉だった。




