第44話 スゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ
「えっと……え、あの人どういうこと?」
金銭欲の怪人がドン引きしている。
仕方がないことだろう。
あれは変態だ。
「あの、なんで脱いだんですか……?」
暦が聞く。
その視線は、鍛え抜かれた上半身に向けられて……。
待って、暦さん。
恥ずかしくて顔を見られないだけだよね?
いや、ガン見してない?
目が大きいから、なんというか、視線がまるわかりなんだけど……。
「それはですねぇっ! ダンジョンに失礼だからですよっ!」
大声で変なことを叫ばないでほしい。
ダンジョンで脱ぐほうが不敬罪にあたらないか?
いや、ダンジョンの外だともっと別の罪に問われそうだけど。
「このダンジョンの、澄んだ空気! 肌を貫くような魔力! それらをしっかりと感じるためには、衣服など不要なのです!」
「やめろやめろやめろ。下は脱ぐな。脱ごうとするな」
勢いのままベルトに手をかけた教授を止める。
これ、どうすればいいんだ。
「おっと、失礼。いつもの癖で」
「いつもの癖!?」
待って。
この人、ダンジョンの中では全裸なの!?
どういう人種だよ!?
「では、失礼ですが……トゥ!」
突然、草原にダイブした変態。
何をしているんだ……?
ん!?
「スゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……」
草原にダイブした変態は、草原を、いや、ダンジョンを吸い始めた。
猫吸いならぬ、ダンジョン吸いである。
鐘々は声にもならない様子で、俺の後ろに下がっている。
いや、人を盾にしないでほしい。
俺だって怖いのだ。
暦は観察を続けている。
あなた、完全記憶能力ありましたよね?
何を記憶しようとしているのですか?
あ、変態が立ち上がった。
もう教授と呼ぶ気力がない。
「なるほど……では、失礼」
そう言うと、俺たちから離れた位置で遠巻きに様子を見ていたコアちゃんの後ろに、目にも留まらぬ速度で回り込んだ。
かと思った次の瞬間。
俺は、反射的に魔力を巡らせた。
筋力強化。
コアちゃんに触れる寸前で、変態の襟首を掴んで止める。
だが教授は、その距離から空気だけを吸っていた。
「スゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……」
「ぎゃあああああああああああああああ!!!」
鐘々が叫ぶ。
何が起きているのかいまいち理解していないコアちゃん。
動かずに観察を続ける暦。
カオスだ。
「ちょ、何してんだあんたは!?」
魔力を巡らせ、筋力強化。
変態を取り押さえ――早いな、この人!?
捕まえようとした瞬間、ぬるりと俺とコアちゃんの間を縫うように動いて回避する。
「おっと、失礼……興奮してしまい、色々礼儀を欠く行動を取ってしまいました」
急に冷静になったな……。
なんかもう怖いんだけど、この人。
「ダンジョンとはいえ、レディに失礼をしたことを謝罪します。申し訳ありませんでした」
えぇ……。
なんなんだ、この振れ幅は――。
待て。
今、なんて言った?
「え、いや、何を言っているんですか?」
「その子、ダンジョンでしょう?」
当然そうなのだろうという感じで、変態は言い放った。
「このダンジョンの匂いと、その子の匂いが一致しました。これはそう、仮説ではありますが……その子はこのダンジョンの一部、いや、ダンジョンの女神とでもいう存在でしょうか?」
匂い!?
匂いで分かるものなのか!?
コアちゃんは、自分の腕を鼻に近づけ、匂いを嗅いでいる。
ていうか、変態が怖い!
「皆さんは、共感覚というものをご存じでしょうか?」
急に教師モードになる変態。
「共感覚とは、ある一つの感覚刺激に対して、本来とは別の感覚が自動的に引き起こされる知覚現象です。代表的な例としては、音楽や人の声を聞くと、『色』や『形』が見える、といったものでしょうか。私もこの共感覚を持っていまして……魔力を匂いとして嗅ぐことができるのです」
そういえば、聞いたことがあるな。
「二十三人に一人くらいの割合で、そういう感覚を持った人がいる、と読んだことがあります」
暦が補足する。
「異形より多いじゃん」
そんな特殊スキル持ちが普遍的にあふれているとは知らなかった――じゃなくて。
「えっと、つまり、このダンジョンと、この子の魔力が同じ匂いだと?」
「はい、そう言っています。魔力の匂いはですね、ダンジョンによって違うのです」
それで先ほどまでの行為に合点がいく。
つまりこの人は、感覚そのものでダンジョンの魔力や環境を感じ取れる……人間魔力検査機みたいなものなのだ。
イカれてるな!?
いや、それよりも待て。
コアちゃんがダンジョンであることを文字通り嗅ぎ付けられたが、なんとかして誤魔化さないと――。
「ふむ、つまり妾がダンジョンであることを理解したということじゃな。ならば隠しておく必要もあるまい。妾はコアちゃん。このダンジョンそのものであり、この身体は対話用の端末である!」
名乗っちゃったよ……。
俺は両手で顔を覆った。
終わりだ――。
「なるほどなるほど……対話できるダンジョンですか……。あぁ、ご心配なく。このことは一切報告するつもりはありませんから」
「え?」
「どういうつもりだ?」
「生きているダンジョン。これを報告してしまえば、国の研究機関や協会上層部が押し寄せるでしょう。ですが、そうなると私が研究できなくなってしまうではないですか」
「あぁ……なるほど」
「こやつもよい欲望の匂いをしておるのう」
「もしかして、検査のときにもう分かってた?」
「確信はありませんでしたねぇ。あぁ、もちろん白根氏には言っておりませんぞ?」
「言葉遣いがおかしくなってきてるぞ」
「失礼。少々興奮しすぎて、素が出てしまいました」
さっきの怪しい言葉遣いが素なのか……。
美形マッチョイケオジなのに、すべて台無しである。
「話すつもりはないと言ったな……そっちの要求はなんだ?」
「要求……そうですね。分かりやすく一言で言いましょう」
さて、このダンジョンオタクの要望……いったいなんだ?
コアちゃんの身体の一部とか言わないだろうな?
「こちらに住まわせていただいてもよろしいでしょうか?」
「……は?」
「このダンジョンに定住したいのですよ」
「本気で言ってるのか?」
「本気も本気ですぞ。今までダンジョンで寝泊まりしたことはありますが、他の探索者に追い出されたり、魔物に襲われて集中して研究できなかったり、服を着ろと言われたり……」
「最後のは妥当でしょ」
「私はダンジョンを愛しています。ダンジョンに住み、そのままダンジョンで看取られ、ダンジョンに骨を埋めたいのです! 見たところこのダンジョンは魔物が出ず、魔力は安定、加えて意思疎通が取れるうえに服を着ろと言われない!」
「いや、最後よ」
「服は着てほしいんだが」
「服を着るなんてダンジョンに失礼ですぞ!」
「どっちが失礼なんだよ」
「妾は構わぬぞ?」
「コアちゃん!?」
「許可が出ましたぞ! ふぅぉおおおおおおおおおおおッ!」
気持ち悪い動きで悶えている。大変、気持ち悪い。
「駄目でしょ、コアちゃん。変態に餌を与えちゃ」
変態が向き直る。
「ダンジョン様から許可も出たことですし……これで、私の目的、報告する意思がないことはお分かりいただけたのではないでしょうか?」
「いやいや、怪しすぎるでしょ」
鐘々が言う。
その通りだ。
こんな荒唐無稽な話を信じることはできない。
というか、変態のインパクトで押し切ろうとしている節がある。いや、変態を装っているパターンだってあるのだ。
いやもう、逆にそうであってくれ。
こんな変態が社会に溶け込んでいた事実のほうが俺は怖い。
だが、そこで、俺は見てしまった。
そういえば、さっきからコアちゃんが妙におとなしい。
変態の近く。
コアちゃんが、変態の顔を見上げながら……口をもぐもぐと動かしている。
何かを咀嚼している。
コアちゃん、やりやがった!
ずっとおとなしかったのに……やりやがった!
「安心せい、主よ。この者は嘘をついておらんよ」
ごめん。
嘘をついてるほうがマシだったんだ。
つまりこいつは、純正の変態であることが証明されてしまった。




