第42話 いのり――ささやき――えいしょう――ねんじろ!
「終息迷宮の制度についての確認……ですか」
白根が、わずかに目を細めた。
俺は鞄から一冊の資料を取り出し、白根に見せる。
「この資料、見覚えはありますよね?」
「ええ。うちの協会で発行しているものです」
「こちらには、終息迷宮の制度について詳しく書かれています。私も確認させていただきました」
白根は、少しだけ驚いた様子だった。
まさか、昨日の今日で制度の確認をしてくる行動力があるようには見えなかったのだろう。
なんというか、俺のことをただの若僧だと決めつけている節がある。
その油断、利用させてもらおう。
「結論から言うと、終息迷宮制度そのものには、第三者の立ち入りを全面的に禁止する直接の法的強制力はありません。ハザードマップなどの注意喚起に近いものですね。いや、協会側の責任逃れのための文章といいましょうか」
「責任逃れ、という表現は承服しかねます」
白根は、すぐにそう返した。
「ですが、利用者への危険告知と、管理者側の責任範囲を明確にする性質が強いことは事実です」
案外簡単に認めたな――いや、違う。
この人は、正しいところは正しいと認めるタイプなのだろう。
そこは厄介だ。
感情で否定してくれる相手なら、こっちも揚げ足を取りやすいのだが。
「確かにおっしゃる通りです。ですが、強制力がないことと、安全であることはイコールにはなりません」
「はい。それはその通りです。終息迷宮における行方不明事件についても、こちらで確認しました。先日、白根さんに説明されたことが、すべて事実であることも確認済みです」
白根は静かに俺の話を聞いている。
まるで、こちらの話の意図を汲み取ったうえで、隙をうかがっているようだ。
「また、この資料における終息迷宮指定の根拠は、『魔物が確認されないこと』『資源や循環が確認されないこと』『迷宮維持の安定性が疑わしいこと』とされています」
「過去の事例からいえば、それで十分な警戒理由になります」
「そうですね。ですが、ここに記載されていない終息迷宮の条件があるのはご存じですか?」
「記載されていない条件?」
では、ここで虎の子の御開帳だ。
「こちら、カナダ北部にある大森林型迷宮の資料になります」
「カナダの迷宮……?」
「はい。この大森林型迷宮なのですが……資料にある通り、うちの迷宮と状況がかなり似ているんですよ」
白根は資料を受け取り、読み進めていく。
すげーな。
英語、読めるんだな。
まあ、主任審査員なら読めてもおかしくないのかもしれない。
ちなみに、うちでは鐘々大先生がなんとかしてくれた。
「中国語と英語はマストだよ?」
と真顔で言われてしまった。
あいつ、本当にスペックが高いんだよな。
「続いて、こちらの資料です」
「まだあるんですか……」
白根は驚いている様子だ。
まあ、当然だろう。
大抵の人間は、役場や公的な機関に言われたら、そこで思考が止まる。
自分で調べる者もいるが、そこで立ち止まってしまう。
だが、俺たちは違う。
こちとら、法律の揚げ足を取り続けないとどうにもならないであろうコアちゃんダンジョンを抱えているのだ。
覚悟の質が違う。
「こちらは、迷宮の魔力測定に関する資料になります」
「魔力測定……」
「はい。終息迷宮に関する記録も残っていたので助かりました。終息迷宮と、先ほどの大森林型迷宮。どちらの魔力測定の記録も記載されています。ご確認ください」
白根は、資料を穴が開くほど読み進める。
そして、静かに眉をひそめた。
「なるほど。大森林型迷宮は、大気中および地中の魔力濃度が安定していますね。対して、終息迷宮は魔力濃度の著しい低下が見られます」
「はい。ですので、うちの迷宮についても魔力測定をしていただきたいのです」
「それも含めての……再確認ということですか」
白根は、資料から顔を上げる。
「ですが、定期的に私たちへ調査をさせるつもりですか? 仮に今は魔力濃度が安定していたとしても、明日にはどうなるか分からないんですよ?」
「ええ。ですので、民間で扱える範囲の簡易魔力測定器を手配しました」
そう。
鐘々に頼んだのは、これである。
「手配って……一個人が簡単に入手できるようなものではないはずですが」
「そこは問題ありません」
鐘々が二つ返事でオーケーしたのだ。
ルートはあるのだろう。
なかったら、あいつはあんな顔をしない。
「……入手経路については、あとで確認させていただきます」
ですよね。
白根がそこを見逃すわけがない。
「すぐには結論は出せませんが、分かりました。追加調査の必要性については、検討します」
よし。
ひとまず、話は進んだ。
そう思ったところで、白根は資料を閉じた。
「ですが、聞きたいことがあります」
「なんですか?」
「あなたは、なぜこの迷宮にそこまで固執するのですか?」
白根の視線が、まっすぐこちらへ向けられる。
「何もない迷宮のはずですよね?」
さて、そう来るよな。
分かってた。
もちろん、コアちゃんのことを話すことはできない。
ダンジョンは実は生き物なんですよ。
なんて言えるわけもない。
世間一般では、ダンジョンは時折こちらの世界に口を開ける異世界なのだ。
実は異世界からやってきた生き物でした、なんて言えるわけがない。
さぁて、かましますか。
お涙頂戴網代劇場の開幕だ。
「この家を、祖父から相続したことはご存じですよね?」
「資料にありましたね」
「相続した家の倉庫が、ダンジョンになっていました。それだけなら、私も潰すかどうかを考えていたかもしれません」
ここで、暦に目を向ける。
「ですが、私はここ数日で、多くの異形の方に会いました。そして、異形の抱える社会問題を目の当たりにしました」
暦がうつむく。
白根がそれを見て、ばつが悪そうな顔をする。
「現在、異形の住居問題は、あなた方の協会の判定と、生活安全管理業者の実務によって動いています。ですが……その実態はこれです」
「そ、それは……」
ふはははは! 反論しにくかろう!
さっきの大柄な異形のトラブルに続き、協会のやらかし案件、その当事者である暦が目の前にいるのだ。
すまない、暦。
利用させてもらうぞ。
「また、役場でもこの制度を盾に異形を追い立て、一般市民を優先する動きがあります。こちらは、私の職歴から察することができるかと」
「たしかに、それは、事実としてあります」
「ですので、私はこのダンジョンを、彼らの住む受け皿にできないかと考えたのです。いや、亡き祖父がそう言っている。私は、そう感じているのです」
白根の背後で、え、そうなの? みたいな顔をするコアちゃん。
いいからお庭で遊んでなさい。
いま大事な話をしています。
「もちろん、今すぐという話ではありません。まずは、『第三者の短期立ち入り』『緊急退避』『安定性調査を兼ねた実証滞在』として認めてほしいのです」
「あなた、自分が何を言っているのか分かっていますよね?」
「それはもちろん。ですが、今の制度のままでは、異形はそれこそ、あなたの同僚のポイント稼ぎやヤクザの餌食になる一方です」
言ってから、少し強すぎたかと思った。
だが、撤回する気にはなれなかった。
「ですが……いえ、やはり迷宮に人を住まわせるなんて、これまでもいくつも失敗の報告が……」
「私は……この状況を変えてほしいです」
暦が、震えながら口を開いた。
「人の人生をめちゃくちゃにして、ポイント稼ぎやお金稼ぎに利用する……私たちだって、好きでこうなったわけじゃないのに……」
パーフェクトだ、暦。
完璧すぎるタイミングだ。
完璧すぎて怖い。
打ち合わせしてないよな?
白根も、暦の本人意思を無視できないようで、考え込んでいる。
しばらく、部屋の中に沈黙が落ちた。
やがて、白根は静かに口を開く。
「分かりました。後日、再審査を行います」
よし。
決まった。
「また、本当にここの迷宮が終息迷宮に該当するのか。網代さん、浅葱さんの要望を通す余地があるのか。その点については、専門家を交えて話をしたいと思います」
専門家?
いや、今はとりあえずそれは置いておこう。
その条件を飲む。
「私は、あなたの計画を認めたわけではありません。ですが、浅葱さんの件もあります。そこを踏まえたうえで、あなたの要求を一度検討する……ということです」
白根は、こちらをまっすぐ見た。
「この場での発言は、正式な判断ではありません。オフレコです」
こうして、無事にダンジョンの再審査が通ったのだった。
賃貸化計画は、まだ死体のままだ。
だが、灰になったわけでも、ロストしたわけでもない。
状況としては、寺院に駆け込んで蘇生処理を頼んだってところだ。




