第32話 シュー……という幻聴が聞こえてくる
コアちゃんダンジョンの入口から十メートルほど離れた位置に椅子を作り、俺は腰掛けながら資料を読み解いていた。
借りてきた資料をもとに、まずは住む家とやらを仮組みしてみることにしたのだ。
トイレはどうした?
知らん知らん。
いや、もちろん忘れたわけではない。
昨日あれだけトイレ予定地の看板を見せつけられた以上、忘れようがない。
だが、いきなり完璧なトイレを作ろうとしても、おそらく俺の脳が先に流される。
なので、まずは機能がなくとも住まいのサンプルを作り、問題点をまとめて洗い出すことにした。
どんなものでもトライアンドエラーが必要なのだ。
あれこれ頭の中で考えていても問題は解決しないし、あとから厄介な問題点が出てきて、また最初からやり直しなんてことにもなりかねない。
ならば、まずは形から入る。
今回の想定居住者は、オーガやトロールなどの大柄な異形にした。
理由は単純である。
協会資料に、必要な扉幅、天井高、廊下幅、床耐荷重、寝具の大きさ、浴室やトイレの寸法などが数値で記されていたからだ。
数値があるなら、俺でも想像するのは難しくない。
それに、これだけ大きい建築物なら、普通の住居からは考えられない問題点も出てくるはずだ。
資料の数値を読み上げ、記憶し、そのまま想像に繋げていく。
コアちゃんは俺の欲望を食べながら、草原の一角に仮住居を作っていく。
この二つの動作は、リアルタイムで行われている。
時折、コアちゃんのほうから厳しいと判断したときは作業を中断し、休憩を入れた。
思っていたよりも時間がかかる。
それはそうである。
これまでの大掛かりな部屋は、あくまでコアちゃんの体を変形させたものだ。
いまやっているのは、無から部屋を作る作業。
消費するコストは桁違いなのだろう。
とりあえず、焦らずに作業を進める。
結果として、建物が完成するまでに半日近い時間を費やす羽目になった。
途中から資料を見る必要もなくなったのは僥倖だったが……これは暇潰しが必要だろう。
半日を瞑想して過ごすなんてことは、俺には無理だ。
まあ、普通に考えれば、建物ひとつを建築するのに半日は異例のスピードである。
俺の拘束時間くらいは目をつぶるべきだろう。
さて、肝心の建物第一号。
その見た目は――。
草原の真ん中に立つ、白くて四角い箱だった。
うん。
これ、どこかで見たことあるな。
なんだか、緑色の匠に爆破されそうな見た目である。
「……豆腐建築じゃん」
思わず声が漏れた。
暦が控えめに頷く。
「えっと……そうですね。例のあのゲームの豆腐建築みたいです」
やめろ、言うな。
分かってる。
この場に鐘々がいなくてよかった。
絶対に弄られる。
それも、こちらが怒る気力を失うまで、ねちねちと弄られる。
コアちゃんは豆腐を知らないらしく、不思議そうに首を傾げた。
「豆腐とはなんじゃ? これは食えるのか?」
「食えない。いや、見た目は豆腐だが住居だ」
「住居なのに豆腐なのか?」
「俺にも分からなくなってきた」
「ふむ。人間の住まいは難しいのう」
「難しくしているのは、たぶん俺の建築センスだな」
白い。四角い。窓はある。扉もある。大きい。頑丈そうではある。
だが、それ以上でもそれ以下でもない。
住居というより、倉庫。
いや、倉庫というより、建築ゲーム初心者が夜を越すために作った最初の拠点。
しかも無駄に大きい。
「まあ……」
俺は咳払いをした。
「住めるなら勝ちだ」
「勝ちなんですか?」
暦が、かなり優しい声で聞いてきた。
優しい声なのに、傷つくこともあるのだなと知った。
「勝ちということにしておこう。まずは作れた。それが大事だ」
俺は椅子から立ち上がり、白い箱――もとい、大柄異形向け仮住居一号へ向かって歩き出した。
外観は豆腐。
だが、問題は中身だ。
中に入って初めて、住まいとしての欠点が見えてくるはずである。
扉を開けて、中に入る。
まず、広い。
うん。
なんか、めっちゃ広い。
部屋というよりやっぱり倉庫に近い。
天井のあたりも四角く、妙にのっぺりしていて、なんだか変な感じがする。
扉も、想像していたより一回りくらい大きい。
いや、大柄な異形を想定したのだから、扉が大きいのは当然である。
当然なのだが、実際に目の前にすると圧がすごい。
人間用住宅の入口というより、搬入口だ。
なんだろう……? 本当にあの資料は、専門家が作ったものなのだろうか?
いや、作ったのだろう。
数値としては、たぶん正しい。
大柄な異形が通るための幅。
頭をぶつけずに歩ける高さ。
床が抜けないための強度。
そういうものを全部満たしていくと、こうなる。
こうなるのだが……。
なんというか、この部屋は……そう。檻とか牢とか、そういったジャンルに近いのではないだろうか?
基準は満たせている。それは間違いない。
だが、それだけだ。
これは人が住むための空間ではない。
どうしよう……。
資料を参考にして部屋を作ったら、座敷牢ができちゃったよ。
「家具がないから変な感じなのかなと思いましたけど……たぶん、窓とかがおかしいんですね」
暦が、部屋の中を見回しながら言う。
「あと、これ以外に部屋がないのも、違和感を感じる原因かと」
そう。この部屋には何もない。
トイレもなければキッチンもない。風呂もない。いま気付いたが収納もない。ワンルームといえば聞こえはいいが、これはもはやただの箱である。
仕方がないのだ。
参考にできるものがなかったのだ。
協会資料に載っていたのは、あくまで数値と基準である。
部屋の雰囲気や、生活感や、帰ってきたときにほっとする感じまでは載っていない。
暦も、さすがに見たことがないものの見本は作れない。
いや、描いてもらえばいけるのか?
今後の課題だな。
「これで妾の中に家ができたのじゃな」
コアちゃんが、どこか嬉しそうに言った。
「え、いや、どうなんだこれ?」
家? 家なのか? これは家なのか?
「ハムスターを買ってもらったとき、こういう箱に入れて持ち帰りましたよね」
暦がぽつりと言った。
まさかのハムスター扱いである。
いやいや、こんなでかい箱に入るハムスター、どんなモンスターだよ。
いや、想定居住者は、オーガやトロールのような大柄な異形なのだから……間違ってはいないのか?
少なくとも、体が大きくなった異形は住むことができるだろう。
頭をぶつけずに歩ける。出入りの際に肩や頭をぶつける心配がない。重さで床が抜ける心配もない。
うん、それは大事だ。
大事なことなのだが、それだけだ。
そうだ、この住処には、そう。
――人権がない。
「……駄目だな」
俺は呟いた。
「え?」
「住めるかもしれない。でも、住みたい場所じゃない」
資料の基準は正しい。
協会の数値も、おそらく間違っていない。
だが、正しい数値だけで作った場所は、住まいではなく収容箱になる。
これは、かなりまずい発見だった。
だが同時に、重要な発見でもある。
何が足りないかは分かった。
俺たちは外に出て、ホワイトボードの前に戻る。
そして、一号室の試作結果を書き出した。
一号室・試作結果。
良かった点。
『大柄な異形でも通れる』
『床が強い』
『入口が広い』
『部屋としては成立した』
問題点。
『豆腐』
『広すぎて落ち着かない』
『人権がない』
『豆腐』
『座敷牢』
『デザインが必要』
『建築士は偉大』
『豆腐』
「豆腐、三回書いてありますけど……」
暦が控えめに指摘した。
「戒めだよ」
俺は真顔で答えた。
豆腐は一日にして成らず。
いや、成ってしまったから困っているのだが。
「主よ」
コアちゃんが、白い箱を見上げながら言った。
「次は、ここに住む者の顔を思い浮かべながら作ったほうがよいのではないか?」
その言葉に、俺は少し黙る。
住む者の顔。
俺は、役所で見た大柄な異形の顔を思い出した。
あの人が、この箱を見たらどう思うだろう。
普通のアパートでは、肩をすぼめなければ歩けなかったかもしれない。
扉をくぐるたびに身体を折り曲げ、床が軋むたびに息を止め、隣人の視線に怯えながら暮らしていたのかもしれない。
それなら、この箱でも、少しはましなのだろうか。
いや。
まし、で終わらせていいのか。
「たしかに、そういうのは必要なのかもな」
俺はホワイトボードを見る。
豆腐。
人権がない。
座敷牢。
ひどい言葉ばかりだ。
だが、たぶん今は必要な言葉なのだろう。
俺たちはいま、失敗作を作った。
けれど、この失敗作のおかげで、住まいに足りないものが少しだけ見えた。
広さだけでは駄目だ。
強さだけでも駄目だ。
基準だけでも駄目だ。
そこに住む誰かの顔を想像しなければ、住まいにはならない。
さて――本格的にどうしようもなくなってきたぞ?




