第33話 私たちには、人権がない!
その夜。
テレビで細い女性がめちゃくちゃな量の食べ物を食べている様子を見ながら、俺たちは暦が作ってくれた焼きうどんを食べていた。
コアちゃんは、画面の中の大食いタレントをじっと見つめている。
「人とは、あれほど食べられるものなのか……?」
なにやら、人間という種族に対する認識が歪みそうなことを呟いていた。
やめてくれ。あれは人間代表ではない。
いや、人間ではあるのだが、代表にしてはいけないタイプの人間である。
そんなことを思っていると、玄関のほうから扉の開く音がした。
「ただいまー」
鐘々が帰ってきた。
「って、もう食べてる!? 私のぶんは!?」
「あ、材料は用意してあるので、すぐ作ってきますね」
暦が慌てて立ち上がろうとする。
「あー、食べ終わってからでいいよ? 冷めちゃうでしょ」
その様子を見る限り、体調は問題なさそうだ。
少なくとも、金銭欲の魔神としての生命活動は無事に再開しているらしい。
よかった。
いや、よかったのか?
ともかく、今夜だけでもいいので豆腐建築については知られないようにしなければならない。
絶対にいじられる。
……そういえば、あれ、倒壊したりしないよな?豆腐とはいえ頑張って作ったのだが――明日確認してみるか。
「だいぶ調子がよさそうだな。何やってきたんだ?」
しかし、うまいな。焼きうどんって、こんなにおいしかったっけ?
「ふふん、これを見よ!」
鐘々は得意げに笑うと、懐から何かを取り出し、こたつ机の上に叩きつけた。
叩きつけられたものを、俺は一度見て「ふぅん札束か」と思った直後に札束ぁっ!?
……そこにあったものは札束だった。
――終わった。うちの家計ではなく、俺の社会的信用が。
いや、早とちりはよくない。出本を確認しなければ。
「お前……これどうしたんだ? 危ない橋でも渡ったか?」
「渡ってないよー。これはちゃんと正当な形で作ったお金です」
「いや、どうやってこんな金……」
「私が倒れるまで作ってた色んなあれこれを、高くて即金に変えられるルートで売ってきただけ。これで当面の資金繰りのスケジュールも組めるよ」
「マジか……すごいなお前」
「もっと褒めていいよ」
「いや、褒めすぎると大変なことになる気がするからやめておくよ」
「なんでさ!?」
「でも、これ、本当にすごいです……」
暦が、こたつ机の上の札束を見ながら小さく呟いた。
まあ、そうだよな。
普通、夕食時に札束が出てくる家庭は少ない。
少ないというか、出てこないほうがいい。
「一度に一気に流すと、値崩れしたり、出所を怪しまれたり、色々あるからね。これくらいが限度かな」
限度で一日で札束が出て来るのか。
鐘々によれば、一度に大量の品物を売ると怪しまれるらしい。
そのため、複数の売却先、時期、名目、価格帯を分ける必要があるのだとか。
なんだろう。言っていることは真っ当な商売の話なのに、妙に犯罪の匂いがする。
たぶん、この札束が悪い。
「あと、暦ちゃんの見本生成があれば、お兄さんでも簡単なものなら売れるものを作れるでしょ?」
「俺がイメージできる範囲ならな」
「じゃあ、私と暦ちゃんは、一日ひとつくらいを目安に、売るための見本作りかな。これ以上は無理しないってことで」
「ノルマみたいに言うな。上限だ。うちはブラック職場じゃない」
「はいはい。上限ね、上限」
「浅葱さんも、それで大丈夫か?」
「はい。それくらいなら……でも、駄目そうならちゃんと言います」
「そうしてくれ。もうあんなのはなしだからな?」
「アイアイサー」
鐘々は、気楽そうに敬礼した。
本当に分かっているのかは怪しい。
だが、少なくとも、以前よりは自分の状態を見て動いているように見える。
鐘々はもう大丈夫そうだな。
たぶん。
「で、明日なんだけど……提案があります」
「うん? なんだ? 改まって」
鐘々は、こたつ机に置いた札束の上に手を乗せ、やたら真剣な顔をした。
「明日はショッピングに行こう!」
本当に唐突だった。
「私と暦ちゃん、生活していくうえで足りないものが多すぎる! 特に服! そう、私たちには、人権がない!」
人権。
その言葉に、俺は一瞬だけ今日の豆腐建築を思い出した。
広すぎる白い箱。
座敷牢。
ホワイトボードに書いた、人権がない、という文字。
「人権って、大げさな……」
「女の子にとって、衣服は人権なの! 分かるよね!?」
「え、あの……」
暦が困ったように視線を泳がせる。
「これからも毎日、お兄さんのシャツを着て寝るの!?」
暦が恥ずかしそうにうつむいてしまった。
やめろ。その言い方だと、俺がとんでもないことを強要しているみたいに聞こえる。
いや、実際に俺のシャツを貸しているのは事実なのだが。
事実は時に、人を刺す。
「ていうか、本当に何もかもが足りてないからね。服だけじゃなくて、スキンケアとか、そういうのもろもろ」
まあ、確かにその通りだ。
スーパーやコンビニで下着を含めた最低限のものは買った。
だが、それだけである。
生活していくには、明らかに足りない。
確かにこれは、人権がないと言われても仕方がないのかもしれない。
「でも、お金が……」
暦が遠慮がちに言う。
「金ならある!」
鐘々が札束でこたつ机を叩いた。
お行儀が悪いのでやめなさい。
「私たちだけじゃないよ? コアちゃんにも服は必要でしょ? あと、お兄さんももっと服買ったほうがいいよ? 金は私が出す! 行くよ! ショッピング!」
「でも、お前が稼いだ金だろ? あんまり無駄遣いは」
「私が稼いだ金だからだよ! あとこれは無駄遣いじゃないからね!?」
鐘々は、珍しく強い口調で言い切った。
「生活を整えるのは投資。服も、下着も、肌に使うものも、外に出るための格好も、全部必要経費。ここをケチると、あとで心が貧乏になる」
その言葉は、妙に説得力があった。
金銭欲の魔神が言うと、重みが違う。
いや、重みの方向は少し不安だが。
俺は、暦を見る。
暦は、少し戸惑ったような顔をしていた。
欲しいものがあるのに、欲しいと言っていいのか分からない。
そんな顔だった。
コアちゃんは、まだテレビの大食い映像と鐘々の札束を交互に見ている。
おそらく、人間とは食べ物と紙を大量に消費する生き物だと思い始めている。
まずい。教育に悪い。
「……分かった」
俺は息を吐いた。
「明日は買い物に行く。ただし、予算は決める。必要なものを優先。暦とコアちゃんの分はちゃんと買う。鐘々も無茶な買い方はするな」
「やった!」
「あと、札束で机を叩くな」
「そこ?」
「そこも大事だ」
こうして、半ば強制的に、明日はショッピングに行くことが決定した。




