第117話 いまは寝ててくれ
警戒しつつ、ドアを開けて廊下へ出る。
相変わらず、人の気配はない。
静まり返った廊下に薄暗い照明。
左右に並ぶ、同じような扉。
「…………」
低予算のホラー映画のワンシーンみたいだな。
「白根。とりあえず、そこの札の色を見てほしい」
「札?」
「ああ。ドアの横」
白根が、ネームプレートの代わりに差し込まれた板を見る。
俺たちが出てきた部屋は赤。
誰もいなかった部屋は青。
「……なるほど」
「何かわかった?」
「色だけで、中に誰かいるかいないかを判断していたということですね」
「ああ。俺もそう思った」
「となると……」
白根が、廊下に並ぶ扉へ目を向ける。
「ここは、あまり長期間人を置いておく施設ではないのかもしれません」
「長期間?」
「はい。中継地点のような施設です」
「中継地点……」
「ここに一時的に収容して、そのあと別の場所へ移す」
「ここから、またどこかに運ばれるってことか?」
「おそらく」
白根が、赤い札を見る。
「それなら、ここで管理する側が収容者の名前まで覚える必要はありません」
「…………」
「中に誰かいるか、いないか。それだけ判別できればいい」
「なるほど……」
合理的だ。
合理的……か?
「そんなもんなのか?」
「はい。それに——名前を知ると、人間は情が湧きますからね。」
白根が、少しだけ表情を曇らせた。
「…………」
「今後、別の場所へ送る人間を管理するだけなら——名前なんて知らないほうが都合がいいんですよ。心情的にも」
家畜に名前をつけるな。
何かで、そんな話を読んだ気がする。
情が湧き、屠殺しにくくなる。食べにくくなるから。
名前ではなく——赤と青の札での管理。その部屋に誰かいるかいないか。それだけ判断できればいい。
一気に、この施設が後ろ暗いものになってきたな。
いや——最初からそうなのだが。
「とりあえず、プレートの色を確認しながら、地図を見つけられればいいんだけどな」
「普通の施設であれば、避難経路図くらいはあるはずです。それを見つけられれば、ある程度は把握できるかと……」
「普通の施設なら、か」
「……はい」
そう。
普通の施設であれば、な。
問題は——どう見ても、ここが普通の施設ではないということなのだが。
「それじゃあ、とりあえず行こうか」
「はい」
◇
二人で、部屋の中を確認しながら廊下を進んでいく。
念のため、青い札が差し込まれた部屋もいくつか覗いてみたが、やはりもぬけの殻だった。
人がいた形跡も、今のところ見当たらない。
やはり、青は空室という認識で間違いないのだろう。
「…………」
隣を歩く白根を見る。
思っていたよりも、歩きにくそうだ。
ふらふらしている、という感じではない。
普通に歩いていたかと思えば、たまにガタッと体勢を崩す。
おそらく自分が思っている歩幅と、実際の歩幅が一致していない。
足をどれくらい持ち上げればいいのかとか、どれくらい踏み出せばいいのかとか——今まで身体に染みついていた感覚と、新しい身体が噛み合っていないのだろう。
走ることになったら……まあ、俺が担ぐか。
それくらいなら、今の身体なら余裕だろう。
……そういえば——左足はどうなんだ?
右腕ほどではないが、左足もコアちゃんに会う前から損傷の大きかった部位だ。
今の俺の身体の中でも、ダンジョン由来の成分はかなり多いはず。
「…………」
となると……右腕と同じように、魔力で強化したら——こっちも、とんでもないことができるんじゃないか?
逃げることになったら、試させてもらうとしよう。
そうやって歩いているうちに、廊下は突き当たりになった。
正面には、無骨な鉄扉。
「とりあえず、この階には私たちだけ……ということでしょうか」
「たぶん、そうかな」
少しだけ安心する。
いや、ほかの階に捕まっている可能性は、まだあるのだが。
「…………」
しかし、もしここが何階もあるような巨大な施設だったら……こう……外から何も気づかれないものなのだろうか?
これだけの建物だ。
表向きには、何かしらの施設として存在しているはず。
病院か療養施設……それか、福祉施設とか。
あるいは、まったく別の何か。
「……外じゃ、なんの施設ってことになってるんだろうな」
元役所職員としては、その辺りがものすごく気になる。まぁいい。いまは置いておこう。
鉄扉を開くとその先にあったのは、コンクリート造りの上り階段だった。
滑り止めはついているが、それだけであり、飾り気も何もない、簡素な階段だ。
窓がない時点で、なんとなく察してはいたが——やっぱり地下か。
地下の秘密施設。
眠っていた心の中の中学生が、むくりと起き上がる。
……眠っていてくれ。今は忙しいから。
「ここからは、あまり音を立てないほうがいいですよね」
白根が階段の上を見上げる。
「ああ」
なんとなくだがここから先は、さっきまでよりまずい気がする。
収容区画は人が来ない。
だが、階段を上がればどうなるかわからない。
「消音魔法とか、かけたほうがいいかもしれません」
「消音魔法……」
「はい」
「…………」
なるほど、消音魔法。
確かにその通りだ。よいアイデアだ。
…………ついさっき失敗しているんですが?




