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第111話 今は君の私物だ

 永廊大学。


 考古学や歴史といった分野から、現代社会、さらには迷宮経済に関する研究まで幅広い分野を網羅する文系大学である。


 職員用の駐車場へ車を停め、そこから構内を歩き受付へ向かう。

 今のところ、特に変わったことはない。


 というか……ここまでの視線は、ほとんど凪原さんのバイクに持っていかれていた。


 まあ、当然だろう。

 翼を持った女性が、バイクに跨がって走っているのだ。

 目立たないほうがおかしい。


 暦も車の窓から周囲を見てくれてはいたが、さすがにすべてをカバーできるわけではない。

 誰が俺を見ていたのか。

 そもそも、そんな人間がいたのか。

 結果がわかるのは、ダンジョンへ戻ってからだ。


 まあ、どんな成果が出るかは、帰ってからのお楽しみということか。


 ◇


 受付を済ませ教授に連れられて、大学の構内を歩いていく。


「…………」


 大学の中を歩くのも、久しぶりだな。


 そういえば俺だって、ほんの数年前までは大学生だったのだ。


 就職が決まったときなんて『公務員になれたぜ、やった!』なんて、浮かれていたものである。


「…………」


 うん。

 まさか、その先にあんな地獄が待っているとは思わないもんよ。

 思い出したら腹が立ってきたな。


 いや、でも……。

 そこで公務員という道を選んでいなければ、コアちゃんと出会うこともなかったのかもしれない。


 役場に勤めて。

 色んな仕事を任されて。

 その経験が活きたからこそ、今がある。


「…………」


 そう考えれば——まあ、全部が全部、悪かったとも言い切れないか。

 さすがに、あの地獄の経験がなかったら……あの頃の修羅場を潜り抜けることなんて、できなかっただろうしな……。


 ◇


 教授の研究室へ入る。

 第一印象は——段ボール、多いな。

 とにかく多い。


 壁際に棚の上、机の脇に部屋の中央。

 あちこちに積み上げられた箱の中には、よくわからない鉱石やら、金属やら、ガラスのようなものやら、とにかく、いろんなものが詰め込まれている。


「…………」


 研究室って、こんなもんなのか?


 いや、教授だからかもしれない。


 そんな俺をよそに教授は、部屋の奥にあるスチール製の棚へ向かった。

 鍵を取り出し解錠する。

 中には、黒い革張りのファイルが何冊も並んでいた。


「さて……」


 そのうちの一冊を抜き取り中をぱらぱらと確認して——。


「見つけたよ。これだ」


 中から、契約書の冊子を取り出す。


「浅葱君」


「はい」


 暦がそれを受け取り数秒ほど、目を通す。


「覚えました」


「早いねぇ」


「持ち出しは?」


「厳禁」


 教授が即答した。


「もちろん、偽造も撮影も禁止だよ。メモくらいなら構わないけどね」


「まあ、セキュリティとしては当然ですね」


「ここにある限り、私の私物というより、大学の管理物に近いからね」


 教授が肩をすくめる。


「面倒なことだよ」


 俺は、教授を見る。


「で——わざわざ俺を連れてきたんです。何か見せたいものがあったんじゃないんですか?」


 さて本題だ。

 白根の探索者番号を確認するだけなら、教授一人でもできた。

 俺まで研究室へ連れてくる必要はない。


「うん、そうだね」


 教授は、先ほど契約書を取り出したスチール棚の前へ戻る。

 今度は、その下段。

 別の鍵を外し、扉を開いた。


「確か、この辺りに……」


 ごそごそと中を探し……。

 やがて、一冊の古びた手帳を取り出した。

 

 それを俺の前へ置く。


「これは?」


「私の日記だよ」


「いや、そこは俺の爺さんのとかじゃないんか」


「ひどいね」


 教授が苦笑する。


「先生と行動していた頃のものだよ」


「…………」


 手帳を開く。

 中には、細かな文字がびっしりと並んでいた。


 探索者として生き残るためのノウハウ。

 魔物と戦う際の立ち回り。

 魔法を効率よく使う方法。

 魔物の習性。

 ダンジョンの中で、やってはいけないこと。

 怪我をしたときの対処。

 逃げるべき状況の見極め。


 それらが——まるで授業のノートのように、事細かに書き留められている。


「これ……」


「ほとんど、先生から教わったことだよ」


 教授が言う。


「当時の私は、今ほどダンジョンのことを知らなかったからね。聞いたことを忘れないよう、片っ端から書いていた」


「…………」


「もう、私には必要ない」


 教授が、手帳を俺のほうへ押した。


「持って帰りなさい」


「いいんですか?」


「構わないよ」


 教授は、少しだけ笑った。


「先生がどんな人間だったのか、私が口で説明するより、そのほうが伝わるだろう」


 手帳を見る。


「お爺さんの残した言葉だと思って、受け取っておきなさい」


 爺さんの残した言葉、ね。


「ところで、これ。大学の持ち物扱いにはならないんですか?」


「さあ?」


 教授は、あっさりと首を傾げた。


「もう私のものではないからね」


「いや」


「今は君の私物だ。そして君は、この大学の関係者ではないだろう?」


「…………」


 それで通していいのか?

 さっきまで大学の管理物がどうこう言っていた人間とは思えない。


「じゃあ、ありがたく持ち帰らせていただきます」


「そうしなさい」

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