第107話 気に入らないカミサマだ
「うちな、昔、お姉ちゃんおってん」
そこから七築は、ぽつぽつと語り始めた。
仲のよかった姉がいたこと。
母親は、その姉をとても大切にしていたこと。
七築も姉が大好きで……二人で、いろんなものを作って遊んでいたこと。
そして——その姉が、海で死んだこと。
「溺れたの?」
「うん。でも、そのときは助かってん」
「助かった?」
「普通にしゃべっとったし、家にも帰ってきた」
だが家へ帰ったあと——姉は突然、意識を失った。
そして、そのまま亡くなった。
海で溺れた際、肺に入った海水が原因だったらしい。
海から生きて帰ってきたのに……姉は——陸で溺れて死んだ。
「それからやな……母さんが、あの人らとよう話すようになったんは」
「ダンジョン教?」
「うん」
最初は娘を亡くして落ち込んでいた母親を心配して、近所の人が相談に乗ってくれていただけだったという。
話を聞いて、慰めて、食事を持ってきてくれることもあった。
「うちが学校行っとる間とかな。いつの間にか、どんどん仲ようなっとって」
「それで、入信した?」
「……たぶんな」
七築自身も、いつからだったのかは覚えていない。
ただある時期を境に、母親は頻繁にこう言うようになった。
ダンジョン教は、奇跡を起こしてくれた。
神様は、本当にいる。
「奇跡って?」
「……姉ちゃんと、話せたんやって」
「…………」
「死んだはずの姉ちゃんとな」
七築は、そこで一度言葉を切った。
「うちは信じへんかった」
そのあとも七築は、悲痛な面持ちのまま話を続けた。
「仏壇の前で話すんよ」
「仏壇?」
「うん」
七築が、小さく頷く。
「でも、前までとは違うねん。誰もおらんのに……聞こえへん声を聞いて、それに返事するみたいに、ずっと会話しとるんや」
「…………」
「うちが『姉ちゃんなんかおらんで』って言うたら、めちゃくちゃ怒って」
七築の手が震える。
「怒鳴って。物投げて。暴れて……」
「それで……?」
「うん、家を出ようと思ったんや」
七築は頷いた。
「そのために、在学中に資格も取った」
二級建築士。
七築が、あれだけ早い段階で資格を取っていた理由。
ただ建物が好きだったからというだけではなかったらしい。
「それで……それでな」
七築が、唇を噛む。
「一人暮らしするって言うたら」
「…………」
「『また私を置いていくのか』って」
誰も、口を挟めなかった。
「そのあとや」
七築が続ける。
「一人暮らしするために、部屋探したりしとって……」
「うん」
「それで、うちの体調が悪い日に、薬もろたんよ」
「薬……」
「言うても、いつものやつやで。ほら、家にあるやん?」
七築が手で箱の形を作る。
「薬屋の人が置いていって、使ったぶんだけ、あとからお金払うやつ」
「あ、ああ」
置き薬か。
「それ飲んでから……めっちゃきつくなって」
「…………」
「身体、動かんようになって……」
七築の呼吸が、少しずつ浅くなる。
「それで」
震える声で。
「風呂場に、連れてかれて……」
「七築」
「うち、覚えとる」
七築は、自分の腕を抱いた。
「母さん、確かに言うておった」
一度、大きく息を吸う。
「『これで置いていかれない』って」
「…………」
ぞわりとした。
後味の悪い、出来の悪いヒトコワの怪談かよ。
これが現実だというのだから、さらに笑えない。
「人を異形にする薬……?」
教授が目を見開く。
「そんなものがあるのか?」
その顔には、驚愕と——ほんの少しばかりの、歓喜が見えた。
そういえば、そういう人だったな。
まあ——今のところTPOは守っているようなので、大丈夫だろう。
「願いを叶える力で異形にする……というだけでは説明がつかないね」
教授がコアちゃんを見る。
「離れた場所にいる人間へ、そんなことができるのかい?」
「できるわけなかろう」
コアちゃんは即答した。
「人間は、離れた場所から食べ物を食べられるのか? 物を渡せるのか?」
「無理だな」
「妾も同じじゃ」
確かにそうだ。
「あの……」
そこで、暦が口を開いた。
「もしかしてなんですけど」
「ん?」
「魔道具じゃないでしょうか?」
「魔道具?」
ダンジョンの中で、ごく稀に発見される貴重品。
世間的に有名なのは——確か、無限に水が出る如雨露だったか。
「でも魔道具って、それこそホイホイ見つかるようなものじゃないんじゃない?」
鐘々が首を傾げる。
「私、オークションサイトでしか見たことないよ?」
「あ、いえ」
暦が答える。
「皆さん、毎日見てます」
「…………?」
毎日?
「あの、私の家……魔道具です」
「…………」
「……あっ!」
そうだった。
さっき自分で思い浮かべたじゃないか。
無限に水が出る如雨露。
暦の家のキッチン。
無限に水が出る蛇口。
あれがまさに——魔道具じゃないか。
「私の家、コアちゃんに作ってもらったじゃないですか」
「ああ」
「それで、あの……家としての機能を維持する魔道具になっちゃってる、といいますか」
「そうだよ」
言われてみれば、その通りだ。
「電気も水も使えて、生活に不自由なく暮らせる家そのものが、一種の魔道具……」
「はい」
「言われたら、そっか」
魔道具というものがレアすぎて、まったく気づいていなかった。
というか、なまじダンジョンの中にあるせいでダンジョンそのものの機能か何かだと、勝手に思い込んでいた。
「つまり」
教授が、神妙な顔でコアちゃんを見る。
「対象を、望んだ異形へ変える。そんな使い切りの魔道具も、理論上は作れるということかな?」
「そうじゃな……」
コアちゃんが考え込む。
「《そういうものが欲しい》という欲望があれば、作れなくはないかもしれぬ」
「なるほど」
教授が、ゆっくり頷く。
「つまり、ダンジョンでごく稀に発見される魔道具というのは」
「うむ」
「特殊な欲望があって、それをダンジョンが叶えた結果として生まれたもの……そう考えられるわけだ」
「いや、じゃが」
コアちゃんがすぐに釘を刺す。
「相当難しいと思うぞ?」
「そうなの?」
「暦の家は、なんというか……桁違いの欲望と、はっきりした方向性があった結果みたいなものじゃし」
「桁違いの欲望……ねぇ」
鐘々が、ニヤニヤしながら暦を見る。
「そ、そんなんじゃないですよ!?」
「なにも言ってないけど」
「…………」
暦……お前、いったい何を願ったんだよ。
「だが少なくとも、理論上は可能ということだね」
母親の——。
《娘を、自分から離れられない身体にしたい》
そんな強烈な願いを処理するために作られた、使い切り型の魔道具。
そう考えれば、筋は通る。
姉を失ったことが、すべての始まりだった。
トラウマありきの欲望と考えれば——確かに、それは途方もなく強いものだったのかもしれない。
だがそこで、もう一つ嫌なことに気づいた。
「……でも、おかしくないか?」
「何が?」
「本当にお姉さんが帰ってきたと思ってたなら、なんで『また置いていく』なんだ?」
「…………」
「お母さん自身も、どこかではわかってたんじゃないかな?」
鐘々が口を開いた。
「仏壇の前にいるのは、お姉さんじゃないって」
あまりにも残酷な話だった。
あいつは、願いを叶えたのだろう。
姉と、もう一度話したい。
その願いに応えて、母親が《姉と会話できる何か》を用意した。
だが——それだけなのだ。
姉を失った悲しみが消えたわけではない。
喪失を受け入れられるようになったわけでもない。
母親自身。
心のどこかでは、それが本当の姉ではないと気づいていたのかもしれない。
根本的な部分は、何一つ解決していない。
あいつにとっては、それでも構わないのだろうか?
むしろ満たされきらないほうが、また次の願いが生まれる。
そのほうが、長く欲望を喰えるからなのか?
それとも単純に——人間が何をもって救われたと感じるのか——そこまで理解していないだけなのか。
俺には、まだわからない。
ただ、なんにしても——。
気に入らないカミサマだ。




