第106話 はい。
七築が目を覚ましたあと。
話を聞くため——というより、一度全員で落ち着くために俺たちは七築ハウスのリビングへ再集合していた。
「どうぞ」
暦が淹れてくれたコーヒーを、全員へ配っていく。
その途中で、凪原さんが、目を疑うような量の砂糖をコーヒーへ投入し、それを見た全員から、散々いじり倒されるという一幕もあったのだが——ここでは割愛させていただこう。
なお。
「マックスコーヒーより甘くないと駄目なのよ」
という、かなりやばい発言が飛び出したことだけは記しておく。
どうやら、相当な甘党らしい。
「…………」
さて、そんなこんなで七築もようやく落ち着きを取り戻し——改めて、話を聞くことになった。
「で、何か変わったところはあるか?」
「えっと……」
七築が、自分の胸元へ手を当てる。
「頭ん中のもやが消えたっちゅうか……ずっと満たされへんかったもんが、なくなったっちゅうか……」
「満たされなかったもの、ですか?」
暦が首を傾げる。
「なんて言うんやろな」
七築が眉を寄せた。
「何してても、何かが足りへんねん。腹減ったとか、喉渇いたとか、そんなんやない。でも、ずっと何か足りへん感じが付き纏っとって」
「ずっと?」
「うん」
七築が頷く。
「でも、駆らがダンジョン教に行くことになったやろ?」
「ああ」
「あの辺りから、それがすーっと軽うなってん」
「…………」
「なんや、ようやく前に進んだっていうか。これで大丈夫やっていうか……」
七築が、自分でもうまく説明できないように手を動かす。
「でも、しばらくしたらまた戻ってきて」
「満たされない感じが?」
「せや」
「前よりも?」
「……うん」
七築は少し考えてから。
「なんか、もうちょっとやったのにって感じで。もどかしいっちゅうか……」
「それじゃな」
コアちゃんが口を開いた。
「それ?」
「因子へ刻まれておった命令じゃ」
コアちゃんが七築を見る。
「餌を持ってこい。正確には、餌となる人間を、やつのところまで運べ——そういうものじゃろう」
「じゃあ、駆らがダンジョン教に行ったとき、楽になったんは……」
「あの場所が、やつへ繋がっておったからじゃろうな」
「でも」
鐘々が首を傾げる。
「ダンジョン教って、いろんなところにあるんじゃない? ダンジョンの入口って一つなんでしょ?」
「妾は、そう思っておる」
「思ってる?」
「じゃが、妾も主と出会ってから、新しいことをいくつも知った」
コアちゃんが俺を見る。
「妾にできぬことを、やつもできぬとは限らん。何らかの方法を見つけておる可能性はあるじゃろうな」
「コアちゃんより年上なら、なおさらですね……」
「まあ、そうだよな」
コアちゃんだって、意志を持ってからわずか数か月。
たったそれだけの期間だが、できることはどんどん増えている。
それなら、年単位で活動している紅いコアが持つアドバンテージは、計り知れない。
「わかった」
俺は七築へ向き直る。
「七築。他には?」
「…………」
七築は、しばらく黙っていた。
「……色々、思い出した」
「思い出した?」
「うん」
七築が、自分の頭へ手を添える。
「うちが、この身体になった日のことも」
「コアちゃん、これって……」
コアちゃんは首を振った。
「いや、記憶を弄るなど妾にはわからぬ。やり方も知らぬよ」
「もしかすると、自己防衛ではないでしょうか?」
写見さんが口を開いた。
「自己防衛?」
「因子による苦痛がどの程度だったのかはわかりません。ただ、思い出そうとするたびに強い不快感や苦痛が出ていたとすれば、人間の脳がその記憶を避けるようになってもおかしくないと思います」
「避ける?」
「ええ。そして、記憶に穴ができれば、人間はそこを勝手に補います」
「勝手に?」
「《薬を飲んで横になった》という記憶と、《浴室で異形になっていた》という記憶。その間が抜け落ちていた」
写見さんが指を立てる。
「なら、《風呂で寝落ちした》という一番自然な話で、自分自身が辻褄を合わせていた可能性があります」
「じゃあ、因子が偽の記憶を作ったわけじゃない?」
「その可能性のほうが高いと思います」
「なるほど」
教授が頷く。
「因子はただ、都合の悪い方向へ進むと苦しめる。逆なら楽にする。それだけでいい」
「人間の脳が、あとは勝手に理由を作る……」
「そういうことだね」
「本人が本気でそう信じていたなら、見抜くのはかなり難しいですね」
「うむ」
七築は、自分の家族が危険な目に遭っていると本気で信じていた。
いや、そこについては、おそらく今も間違ってはいない。
俺たちも、その話を聞いたからこそ動いた。
家族の安否を確かめるために、鐘々を通して探偵へ調査を依頼し、その調査結果を追いかけて——最終的には、俺と教授がダンジョン教の施設にまで足を踏み入れた。
七築自身に、俺たちを騙そうという意思はなかった。
それでも結果だけを見れば——俺たちは、七築の中にあった因子が望む方向へ、きれいに進んでいたことになる。
俺たちが、まんまと引っ掛かったやつだな。
「おにーさんが、まんまと引っ掛かったやつね」
「言わなくていいし、情報源はおまえだ」
「なるほど」
教授が、面白そうに顎へ手を当てる。
「自己を騙しきるほどの思い込みなら、周囲から見抜くのも難しい。因子が直接記憶を書き換えたわけではなくとも、そうなるよう身体へ働きかけていた可能性はあるわけだ」
コアちゃんも頷いた。
「ふむ……そうなると、七築の中にあった因子があれほど巨大じゃったことも、わからんでもないのう」
「あの……」
「ああ、すまない」
話が横道に逸れていた。
「七築、続けてくれ。何を思い出したんだ?」
七築は、少し言いづらそうに視線を落とした。
「うん……うちの家……いや、家族やな」
「家族?」
「これ、今言うとめちゃくちゃ怒られそうなんやけど……」
「…………?」
なんだ?
怒られる?
「えーっと、どういうことだ?」
「うちの家族……いや、お母さんな」
一度、言葉を切る。
「宗教にはまってたんや」
「…………」
はい。




