【7】担任と祖母、今度は病院で開戦です。〜担任は宙を舞い、祖母は扇子で刺す〜
莉緒が目覚めると――
そこは莉緒の主治医の先生が勤める病院の、病室の一室だった。
「莉緒ちゃん」と小さな声がして、声の方に目をやると、菊乃が瞳を潤ませて莉緒を見つめていた。
「お祖母ちゃん……?
私、どうしたの?」
菊乃が静かに答える。
「学校で倒れたの。
でも心配無いわ。
検査は全部終わっていて、どこも悪くないのよ。
主治医の片桐先生がおっしゃるには、少し疲れたんじゃないか、ですって。
それと……救急車を呼ばれてしまって大事になっただけ」
「救急車!?」
思わず莉緒は声を上げてしまった。
何故なら――
幼稚園の頃から、莉緒が学校で倒れたら、まず、自宅に連絡が行き、そこで連絡が付かなかったら両親へ、そして主治医の片桐先生が自宅に来てくれるようになっていたからだ。
菊乃が穏やかに口を開く。
「莉緒ちゃん、そんなに驚かないで。
もう少し休んだら、退院しましょうね」
「お祖母ちゃん……今、何時?」
菊乃がホホホと笑う。
「朝の6時よ。
お母さんとお父さんはお仕事があるから、午前2時に帰らせたの。
莉緒ちゃん、良く眠っていたわ。
検査のお薬のせいね。
じゃあ、お祖母ちゃんは片桐先生にお電話してくるから、お水でも飲んで待っていて」
そうして、菊乃が優雅な仕草で、莉緒が自宅で愛用しているダンプラーにミネラルウォーターを注ぐと、サイドテーブルに置いた。
しずしずと優美に歩き、病室を出た途端――
鬼の顔になる菊乃。
「まだ……いらしたの?」
その声は、衛星観測された地表の最低温度、マイナス98℃よりも冷たい。
速水先生が、廊下の長椅子からパッと立ち上がる。
「あやあやあやっ……綾小路さんのお具合は!?」
「静かになさい!」
焦る速水先生の声を、低く鋭く菊乃が遮る。
速水先生が即座に黙ると、草履を滑らせ、立ち尽くす速水先生の周りを歩きながら、菊乃が話し出す。
「先生に心配されずとも、莉緒ちゃんの健康は損なわれておりません。
ただ、自覚して下さる?
あなたは、学校の手順を無視し、救急車を呼んだ――」
その時、速水先生は絞り出すように言った。
「心配で……!
本当に心配で……!!」
ピタリと、速水先生の後ろで止まる菊乃。
「喋って良いと許可しておりませんことよ!?
黙って最後までお聞きなさい!」
鋭い一喝に、速水先生が唇を噛む。
そして、また、ゆっくりとゆっくりと、速水先生の周りを歩きながら、菊乃が口を開く。
「目撃情報によると、あなたは目の前にいる莉緒ちゃんに、メガホンで話しかけた……!
その驚きで、莉緒ちゃんが倒れた可能性は高い!」
まるでベテラン刑事の取り調べのような、菊乃の一言一言に、速水先生がどんどん俯いていく。
そして、菊乃は言った。
「莉緒ちゃんは、先生が思う以上に繊細なんですの。
これからはお気を付けて行動なさいまし。
私、莉緒ちゃんのためなら、どんな事もする覚悟がございます。
先生にはおあり?」
速水先生が、くるっと菊乃に向くと、菊乃の目を真っ直ぐに見て言った。
「私も莉緒さんに、どんなことでもします……!!」
途端に、菊乃の目が怒りで、金色に燃え上がる。
そう、速水先生は後悔の念に押し潰されていて、肝心な言葉が足りなかった。
"ために"が抜けていたのだ。
菊乃が「無礼者!」と厳しい声を放ち、扇子をすぐさま速水先生に向ける。
それを、かわす速水先生。
菊乃が向ける扇子は、まるで蝶のように舞い、蜂のように速水先生を刺そうとする。
その戦いは、看護婦さんたちに止められるまで、5分間も続いた。
そして、莉緒は見てしまった。
菊乃の扇子を避ける速水先生を。
(速水先生……またピョンピョン飛んでる……!!
やっぱり怪我してるんだ!)
そうして莉緒は、次なる決意をした。
莉緒が自宅のベッドで、やっとリラックスしていると――
閉じた瞼の裏でリフレインされる、昨日の放課後。
夕陽に向かって飛んだ速水先生。
あんな近くで、あんなに高い棒高跳びを、生まれて初めて見た莉緒は、衝撃と感動の余韻にまだ包まれていた。
(速水先生、凄いなあ……。
足を怪我していても、空に向かって飛べるんだもん……!
感動して涙が止まらなかった……)
そこでハッと気づく。
(『楽しめましたかー?』って……もしかして、私と紬が先生が怪我をしてるのを知ってて、聞いたのかな?
心配しないでっていう意味かな?
だったら……もう、先生の怪我について観察したりするのは、失礼かな?)
莉緒は、病院の廊下で、なぜか菊乃の前でピョンピョン飛んでいた速水先生を思い出す。
(お祖母ちゃんとお話しする間も、痛みでピョンピョンしてる速水先生に、片桐先生を紹介したかったけど……。
辞めよう!
速水先生の気遣いを踏みにじることになる……!)
そうして、気分転換に小説でも読もうと、読みかけの本を開くと、桜の栞が目の前にひらひらと落ちて来た。
菊乃が読書好きの莉緒のために、四季折々の柄の栞を買ってくれるのだ。
莉緒の頭の中に、やさしい速水先生の言葉が響く。
「綾小路さんはあの山賊に同情するの?」
莉緒は小さく微笑む。
そして、一人、小さな声を出す。
「いいえ。
彼は桜の花びらになりました。
そして――
彼は空を飛びました」
と。
その頃、速水先生は学校で、真っ青な顔で授業をしていた。
紬が休み時間に、素早く莉緒にメッセージを送る。
『はやみん……!
今日は社会の時に見た映像の、深海みたいな青い顔してる……!!
やっぱり怪我してるんだよ!!
昨日、莉緒が倒れた時に、莉緒を抱き上げた時はしっかり歩いてたけど……!!
その反動もあるかも……!
私だけでも今日の放課後、観察しておこうか!?』
莉緒は一言返した。
『先生が空を飛んだら、写真を送って』と。
そうして放課後――
紬の"本気"が、速水先生の"本気"を更に引き出すことになるのだった。
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