【19】ヒッシー人質説、爆誕。〜お猿さん疑惑の中でも、担任は今日も元気です〜
そして、翌朝のHR。
速水先生は、出欠を取っているだけなのに、A組の生徒全員が分かる程、機嫌が良かった。
ニコニコしている速水先生を見て、莉緒は思った。
(速水先生……本当は野球が大好きなのかも……!
でも、野球部には専門の監督がいるから、顧問になれないし。
足の怪我も治ったし、重度の花粉症も治って、陸上以外にも好きなことをするのかな?
先生が楽しそうで良かった!)
しかし、紬は複雑な顔をしている。
そうして、昼休み。
紬は、昨夜莉緒に送ってくれた動画とは別角度の動画を再生し出した。
そこには速水先生が大きく振りかぶり、勢いよくボールを投げ、乾いた音と共に、ボールがミットへ収まった映像があった。
「速水先生、凄い!」と言う莉緒に、
紬が人差し指を立てて、横に振る。
「違うの!
確かに、はやみんは、途中からどんどんフォーム良くなってた!!
野生に返ったのか……?って思うくらい!
育成ゲームだったら課金疑うレベルでね!!」
「課金?」と首を傾げる莉緒に、紬は即座に言った。
「それは莉緒は知らんで良い!
で!ここ!!ヒッシー見て!!なんかおかしくない?」
莉緒はじっと動画を観て答える。
「おかしいって言うか……何もしてないよね?」
「そう!それ!」と紬が勢い良く答える。
「はやみんのピッチング練習中もさあ……。
モリヤンの隣にボーッと立ってただけ!
ボールを投げるわけでもないし、
フォームを指導するわけでもないんだよ?
それにさ……この三人見て!」
そう言って、紬が指先で画像を拡大した。
森谷先生は嬉しそうに笑い、速水先生も爽やかな笑顔を浮かべている。
その横で――
菱田先生だけが、遠い目をしていた。
莉緒が思わず呟く。
「……菱田先生……本当に何してるの?」
「でしょ!?」
そして、紬が断言する。
「しかも時間経つほど顔が死んでいってた!!」
莉緒が息を飲む。
紬は勢い良く続ける。
「はやみんとモリヤンはめっちゃ楽しそうなのに……ヒッシーだけ一回も笑ってないの!!」
「……嘘……!!」
莉緒が驚きの余り、両手で自分の口元を抑える。
「それで……分かったんだよね……!」
そう言って、紬の目がギラリと光る。
まるで重要な情報を掴んだ諜報員のように。
「これ絶対、自分から来た人の顔じゃない!!」
コクコクと頷くことしか出来ない莉緒。
紬が真剣な口調で言う。
「ヒッシー……巻き込まれたんだよ!!」
莉緒の声が掠れる。
「な、何に……?」
紬は淡々と答える。
中二とは思えない、倫理の先生の如く――
「これは、まだ推論の段階だけど……ヒッシーは人質じゃない!?」
「……人質!?何の!?」
悲鳴のような声を上げる莉緒に、紬は空中を見て、またも淡々と答える。
「もしかして……モリヤンは気づいたのかもね……!体育の先生だから!
はやみんが進化と退化を繰り返し、今や枝分かれした現在を!
だから、野球をやりたがる野生のはやみんが暴走しないように、仲良しのヒッシーを人質にしてるんだよ……!あの二人、職員室で席が隣同士だし!」
「ぐ、偶然お隣同士じゃないんだ……!」
そう声を震わせる莉緒に、紬が安心させるようにウンウンとゆっくり頷き、口を開く。
「悲しいかな……リアルで偶然ってそんなに揃わないんだよね……。
そしてモリヤンは、はやみんに言うわけよ……。
『速水先生、あなたが暴走したら、菱田先生も犠牲になりますよ』みたく……!
だがしかし!
これはあくまでも仮説!
検証してみないと!」
「で、でもっ……!」
莉緒がガタンと音を立てて立ち上がる。
「速水先生はお猿さんじゃないよ!?」
その鈴の音のような声が、昼休みの教室に響き渡った。
5時限目の職員室。
この時間は授業が無い菱田先生は、文字通り頭を抱えていた。
何故なら――
『野球をやりたがる速水先生が暴走しないように、菱田先生が森谷先生の人質になっている。
※速水先生はお猿さんじゃないと綾小路さんが発言※』
という噂が一気に中等部を駆け抜け、菱田先生に直に質問をしてきた強者の生徒を通じて、菱田先生もそのメッセージを見たからだ。
(人質……!?人質ってどこから出た言葉!?
でも、俺が森谷先生の人質で、野球をやりたがってる速水先生ということは……昨日の放課後のグラウンドの件だよな……?
あれを見た生徒に誤解されてる……?
でも、綾小路さんの『速水先生はお猿さんじゃない』発言は何……!?
綾小路さんは学年トップの成績だし、品行方正!
お猿さん……お猿さんとは……!?
いや、まず、俺が森谷先生の人質じゃないところから、生徒に訂正を入れた方がベストなのか……!?
でも、どうやって……!?)
そして、菱田先生は、授業でいない隣の速水先生の机をキッと見た。
(もう……!!速水先生!!
速水先生のせいですよ!?
やっぱり俺はいらなかったじゃないですか……!!
それどころか変な噂まで流れてる……!!)
そうして、菱田先生はじりじりと速水先生が戻って来るのを待っていた。
そして、HRの時間になった。
速水先生が教室に入って来る。
クラス中の生徒の視線が速水先生に釘付けだ。
もちろん、莉緒も――
だが、速水先生はいつもと変わりなく、必要事項などを伝えている。
そして、最後に「綾小路さんは残ってください」と言った。
ざわめきが広がる教室。
莉緒は「はい」と静かに答えた。
そうして、皆が「ごきげんよう。さようなら」と帰って行く中、莉緒は自分の席で自習をしながら速水先生を待った。
紬は瞳をギラギラと光らせ、「私はヒッシー人質説を検証してくる……!!」と言って、教室を出て行った。
そうして誰もいなくなった教室に、速水先生がやって来た。
速水先生は莉緒が立ち上がろうとする前に、
さっと莉緒の席まで来て、言った。
「綾小路さん、そのままで」
そうやさしい声で言うと、列を挟んだ隣の生徒の席に座った。
そして、速水先生はまたやさしい声で言った。
「綾小路さん、先生を庇ってくれてありがとう」
「……え?」
莉緒が真っ直ぐに速水先生を見る。
速水先生は、その声と同じように、やさしく微笑んでいた。
「何か変な噂を綾小路さんは聞いたんだよね?
でも、綾小路さんは先生を『お猿さんじゃない』と庇ってくれた。
その、お礼を言いたくて」
そう言う速水先生の顔がだんだん赤くなる。
莉緒も頬が熱くなるのを感じた。
莉緒が何も言えずにいると、速水先生はスマホをフリックした。
流れる、『カッコよくてスマン☆』の曲。
先生は夕陽に照られながら、以前のように――いや以前よりも激しく踊り出す。
バク転しながら、バレリーナのように水平にジャンプしながら、側転しながら、バク宙しながら、その場でくるくると回転しながら、ボックスステップを踏みながら――
そして、ラストの
『ヨッ☆君だけを見てる、僕の視線、熱くてスマン☆』のところで、莉緒に向かって跪いた。
莉緒が拍手をする。
先生は息一つ乱さずに言った。
「野球が終わったら、ハードル走をします!」
莉緒は黒曜石のような瞳をキラキラさせながら答える。
「はい」と一言だけ。
そして、やりきった感満載で職員室に戻って来た速水先生を、菱田先生が入り口で待ち構えていた。
菱田先生は一言、「給湯室へ!」と言うと、スタスタと歩き出す。
給湯室で二人きりになると、菱田先生は、額に青筋を立てて言った。
「……速水先生……!綾小路さんに『お猿さんじゃない』発言の真意を、聞いてくれたんじゃないんですか!?」
速水先生がにっこりと笑う。
「え?菱田先生、見ててくれたんですよね?」
「ええ!先生の言われた通り見てました!
でもね!!」
菱田先生が電気ポットを掴む。
「速水先生……何か勘違いしていませんか!?
綾小路さんは先生を庇ったんですか!?
それと……踊る必要あります!?」
速水先生は一瞬キョトンとすると、爽やかな笑顔になる。
「綾小路さんはどう聞いても僕を庇ってくれてますよね?
僕は人間だし、『お猿さんじゃない』って否定してくれたんですから!
それと、踊りはお礼の気持ちです!
生徒に物品は渡せないので!」
菱田先生がポットを掴む手をわなわな震わせている中、速水先生は続けた。
「あ!菱田先生の『人質』の件ですが、どうやら藤宮さんが僕達の練習を見学していたみたいです!
いやー……多感な年頃あるあるですよね!
菱田先生の表情から推測したらしくて……全然笑ってないからとか!
藤宮さんが野球部の子に聞き込みをしていて、その生徒が教えてくれたんです!」
その瞬間、目の前が真っ暗になる菱田先生――
(……俺!?俺の表情のせい……!?)
そうして体育教師らしい森谷先生の良く響く声がする。
「探しましたよー!
今日の練習メニューの件なんですけど!」
速水先生が正に初夏の太陽のような笑顔で応える。
「わざわざ、ありがとうございます!
さあ、菱田先生も行きましょう!」
菱田先生は今度は頭の中が真っ白になり、無言のまま、電気ポットを抱えて二人の後を歩いて行った――
ここまでお読み下さり、ありがとうございます(^^)
この連載は火曜・金曜の20時の更新です。
次回も読んで下さると嬉しいです☆
Xはこちら→ https://x.com/himari61290
自作のキービジュアルやキャラクターカード貼ってます♪




