【12】先生が私の名前を、ちゃんと呼べる朝。〜担任、次はハードル走よりも高い壁へ〜
莉緒はゆっくりアールグレイのミルクティーを飲むと、職員室に行き、ポットの下にお気に入りのメモとマスクを置いて帰った。
そうして、菊乃と二人で夕食を食べている時に、速水先生が淹れたてのアールグレイのミルクティーをわざわざ届けてくれたと話した。
菊乃は美しい笑顔を浮かべ、ホホホと笑うと言った。
「速水先生、気がつく方ねえ❤️
私からも何かお礼をしようかしら」
莉緒の顔がパッと花が咲いたようになる。
「じゃあ、お祖母ちゃんの抹茶オレはどうかな!?
もの凄く美味しいもん!」
「そうねえ。
先生のお口に合うと良いけど❤️」
「絶対に合うと思うな!
だって、あんなに美味しいアールグレイのミルクティーを、学校で淹れられるんだよ!?
お祖母ちゃんの抹茶オレ、きっと感動すると思う!」
「あらあら❤️
莉緒ちゃんったら大袈裟ねえ」
莉緒がニコニコと笑い、食事に戻った瞬間――
菊乃の目が、獲物を見つけた鷹のようにギラリと光った。
そうして、夜9時。
宿題も終わり、莉緒がスマホを見ると――
そこにはズラッと、紬からのメッセージが表示されていた。
『はやみん……!!
本当に花粉症かもしれない!
マスクして走ってる!!』
『ちょっと……グラウンド5周したんだけど!!』
『嘘!嘘!嘘!
マスクして10周したーーー!!』
『えー……
信じられない……!!
マスクを目につけて、スポドリ飲んでる!!』
『あ!
またマスクした!!
ハードル走してる……!!』
『おいおい……マスク……顎に掛けたまま、何か喋ってるよ!!
マスク取れば!?』
『だからーーー!!
頭にマスクするな!!
部活終わったなら、マスク取りなよ!!
何がしたいの!?』
『莉緒!
やっぱりはやみんは、お猿さんで進化の途中かも知れん……!!
マスクという現代の物に出会った喜びで、外せないのかも!
また明日も観察するね!
写真は明日持ってくね!』
莉緒は確信した。
(やっぱり先生は重度の花粉症なんだ……!!
花粉症って去年軽くても、急に重症化するってお母さんも言ってたし!
明日、予備のマスク持って行こうかな……?
でも、マスクをしてたなら、先生は自分のお気に入りのマスクがあるんだよね……。
出しゃばるのは良くないし……紬の明日の観察を聞いてからにしよう!)と。
翌日。
莉緒は家を出る時に、菊乃に「莉緒ちゃんのリクエストの抹茶オレよ。先生にお礼にお渡しして❤️」と、小さな水筒が入った紙袋を渡された。
「ありがとう!お祖母ちゃん!」と莉緒が笑顔で学校に行く。
そうして、教室に入ると、紬がアルバムの様な物を見て難しい顔をしていた。
「紬、おはよう!
どうしたの?」
紬は難しい顔のまま、莉緒を見た。
「……それがさあ……こうやって写真にすると、やっぱりはやみんって、本体はイケメンの野生のお猿さんなのかなって思って」
莉緒がクスリと笑う。
「先生は人間だよ?」
紬がずいっとアルバムを莉緒の机に乗せる。
「じゃあ、これ見てみ?」
莉緒がアルバムを開いて見ると――
秒単位で撮られたような速水先生が、ズラッと映っていた。
「紬……これ、どうやって撮ったの……!?」
丸く大きな瞳を更に真ん丸にしている莉緒に、紬が、ため息混じりに答える。
「教頭先生、鳥オタじゃん?
だから、『私もバードウォッチングしてみたいんです』って言って、学校に置いてある望遠カメラを借りて撮ったんだけど、高性能過ぎて操作が良く分かんなくて!
重たいしさ〜。
だから、オートっていうところを押しといて、私はレンズを覗いてた!
そしたら、はやみんのパラパラ写真が出来ちゃった!」
「バラバラ写真〜?」と莉緒が笑ってアルバムを捲ると――
莉緒の手が止まった。
紬がアルバムを覗き込むと、ビシッと指差す。
「ほら〜!
マスクして走ってるでしょ!?
これでグラウンド10周したんだよ!?」
莉緒は何も言えなかった。
速水先生がしているマスクは――
莉緒がアールグレイのミルクティーの入った水筒を返した時に、一緒に置いておいたマスクだったから。
(先生……!
私の置いたマスク、付けてくれたんだ!
それで……花粉をシャットダウン出来て、気に入ってくれたのかも知れない!)
その時、速水先生が教室に入って来た。
「皆さん!おはようございます!」
「速水先生、おはようございます!」とクラスのみんなが口を揃えて応え、速水先生の手元に視線が集中する。
そうして、速水先生が出席簿を開く。
透明な下敷きは――
無かった。
そして、速水先生が言った。
「綾小路莉緒さん」
どよめきが広がる教室。
莉緒はいつもの通り、「はい」と答えると、静かに手を上げる。
速水先生の出欠確認は続いた。
昼休み。
紬はお弁当を食べながら、ウンウン唸っていた。
「……何で……!?何で退化するの?
マスクという物質を知ったから!?
そっちに興味がいったのか……?
野生のお猿さんは分からん!」
莉緒は、もしかして……と思っていた。
昨日、マスクと一緒に置いたメモに書いておいたのだ。
『ありがとうございました。
美味しかったです。
ごちそうさまでした。
それと、先生は、私の名前をちゃんと言えていましたよ』と。
そして、莉緒は思った。
(速水先生は花粉症が直っただけかも知れないけど、私の名前を普通に呼べるようになって良かったな!)と。
そして、帰りのホームルームでも、速水先生は透明な下敷きを使わずに、出欠を取っていた。
莉緒のことも、普通に「綾小路莉緒さん」と呼んでいた。
紬はホームルームが終わった途端、「じゃあ!また今夜報告するね!」と言いながら、教室を飛び出して行く。
莉緒は速水先生が廊下に出たところで、「速水先生!」と呼んだ。
速水先生は、ゆっくり振り向いた。
「何ですか?」
速水先生は、ほんの少し、緊張しているように見えた。
莉緒がそっと小さな紙袋を差し出す。
「昨日のお礼です。
祖母が先生にって。
私の大好きな、祖母の手作りの抹茶オレが入っています。
18時間保温出来る水筒です」
速水先生が、今度は少し困った顔になる。
「お礼なんて、受け取れないんですよ。先生は」
莉緒はペコリと頭を下げた。
さらりと艷やかな黒髪が揺れる。
「すみません。
知らなくて。
ごきげんよう」
「ごきげんよう、綾小路さん」
先生がやさしく言って、去って行く。
莉緒はそのまま鞄を持つと、渡り廊下の奥にある、昨日見つけた裏庭に行った。
誰もいないベンチに、一人座る。
そして、イヤホンをして、速水先生の動画をリピート再生しながら、水筒を開けて、抹茶オレを飲んだ。
ふと、気づく。
涙が頬を伝わっていることに。
莉緒は動画に合わせて小さく歌った。
「カッコよくてスマン☆
魅せちゃってる俺、スマン☆
君の瞳一人占め、スマン☆」
すると――
「ネッ☆素敵過ぎてスマン☆
ネッ☆尊くてスマン☆
ヨッ☆君だけを見てる、僕の視線、熱くてスマン☆」
と歌声がして、莉緒はにこりと微笑んだ。
速水先生が、立っていた。
速水先生は早口に言った。
「喉が急に!本当に急に乾いてしまって!
一口飲ませて貰えませんか!?」
莉緒が「どうぞ」とコップを渡す。
すると、速水先生はコップを持ったかと思うと、一気に飲み干した。
そして、やさしく微笑むと、ハンカチを差し出して言った。
「今度は完璧なハードル走をしてみます!」
莉緒はハンカチで涙を拭うと、にこりと微笑む。
「ハードルを跳ぶんですか?」
速水先生は、また、やさしく言った。
「ハードル走は、飛ぶと言うより駆け抜けます」
そして、くるりと莉緒に背を向け、走り去る速水先生。
莉緒はハンカチを、握り締め、呟く。
「……駆け抜ける……。
きっと美しいですね」
だが、速水先生は、まずハードル走よりも越えなくてはならない高い壁に、挑むことになるのだった――
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