【11】担任、ついに下敷きが立体化しました。〜裏庭で初めて知ったアールグレイのミルクティー〜
菱田先生が職員室に着くと、もう速水先生は席に着いていた。
「おはようございます」と声を掛ける菱田先生に、速水先生がニカッと笑う。
「おはようごさいます!
昨日は楽しかったですね!」
「ええ」
(何の成果もない食べ会になっちゃったけど……。
美味かったし、楽しかったし、ま、いっか……)
そう思いながら菱田先生が席に着くと――
速水先生が透明な下敷きを持って、じーっと見ていた。
菱田先生の鼓動が早くなる。
(で、出たーーー!! 透明の下敷き……!
今、今なら自然に聞ける……!?)
だが、そう思ったのも束の間――
菱田先生は固まった。
2年A組、ホームルームの時間。
速水先生が、いつものように爽やかな笑顔で教室に入って来る。
「皆さん、おはようございます!」
クラスのみんなは「おはようごさいます! 速水先生!」と声を揃えながら、目は先生が持つ出欠簿に釘付けだ。
すると――
速水先生は透明な下敷きを出し、カクッカクッと折って教卓の右脇に立てた。
教卓に透明な下敷きが一枚敷かれ、そして、それに連なる透明な下敷き二枚が、右脇を縦に遮断している。
静寂。
莉緒は思った。
(下敷きが立体化してる……!
先生、相当花粉症が酷いんだ……!
いつも私が携帯しているお祖母ちゃんが買ってくれたマスク……差し上げようかな!?)
紬は笑いを堪えながら、低い声で言った。
「……ふざけんな……はやみんよ……!」
その紬の声が終わらない内に、速水先生の声がする。
「綾小路莉緒さん」
莉緒がいつものように「はい」と答え、静かに手を上げる。
速水先生は、にっこり笑い、出欠を続けた。
昼休み。
莉緒が紬に『速水先生、重度花粉症説』を唱えると、紬は「待った! 待った! 待った!」と莉緒の話を遮った。
「なに?」と莉緒が不思議そうな顔になる。
紬がギラリと瞳を光らせる。
「でもさあ……あんな下敷き立てるくらい重度の花粉症なら、今までも噂になってたんじゃない?
これは……はやみんの進化なんだよ!」
「……進化?」と、益々不思議そうになる莉緒。
紬が深く頷く。
そう、自分の会社の持ち株が上昇した時のCEOの様に。
「莉緒には詳しく話せないけど……あの動画撮った時ね、はやみん……一回野生のお猿さんに戻ったの!
いや! 言わんでも良い!
はやみんは野生のお猿さんじゃないって、莉緒は思ってる!
莉緒の感覚は正しい。
でも……私はこの目で見た……。
あれは野生のお猿さん……!
そして、昨日文明化して、今日また進化した……!
これは観察しないと、正しい答えは出ない!
私が、一人で、はやみんを観察するから、莉緒は心配しないで」
莉緒は紬の言ってることが、全く理解出来なかったが、『あの動画』と紬が言った時に、昨日の放課後を思い出した。
(……楽しかったなあ……。
そうだ!
昨日の踊りと歌のお礼に、マスクを差し上げるのなら、先生も受け取ってくれるかも……!)
一方、職員室では。
自分の手作り弁当をモリモリ食べている速水先生と、速水先生を見ないように、前を向いてコンビニ弁当を食べている菱田先生がいた。
菱田先生は冷静を装いながら、心は大混乱だった。
(あの……透明な下敷き……!
確かに昨日は一枚の下敷きだったのに……!!
三枚になって……組み立て式になってた……!
しかも、出欠簿に毎回挟むって……!
速水先生……あの透明な下敷き……出欠に必須なんですか!?
もう、怖すぎて、理由を聞けなくなったじゃないですか!!)
すると、突然速水先生に「菱田先生!」と元気よく話しかけられて、思わず椅子からピョンと跳ねてしまう菱田先生。
「……な、何か……?」
そう、菱田先生が小声で訊くと、速水先生がニカッと笑う。
「今日、昨日の居酒屋の真似して、だし巻き卵作ってみたんですよ!
案外上手くいって!
良かったら味見してくれませんか?」
「……は、はい……」
すると、速水先生が菱田先生のお弁当に、だし巻き卵を一切れ置いた。
速水先生のアイドルさながらのキラキラした瞳に負けて、菱田先生がだし巻き卵を食べる。
菱田先生は、何とかごくんと飲み込むと言った。
「……美味しいです……」
速水先生が嬉しそうに笑う。
その爽やか過ぎる笑顔を見て、菱田先生は心底思った。
(悩んでない! こんなだし巻き卵作れて、こんな爽やかに笑える人は……悩みなんて無いんだよ……!!
俺が、朝に見た光景は幻だ……!!)と。
そうして、帰りのホームルームでも、速水先生は、あの透明な立体型下敷きを使った。
またも、2年A組を静寂が支配する。
放課後になると――
紬は、まるで重要任務を背負った工作員の様に莉緒に言った。
「私、今日からはやみんを観察してから帰るから!
夜にメッセージで報告するね!」
そして、紬はダッシュで教室を出て行く。
莉緒も帰り支度をすると、職員室に行って速水先生にマスクを渡そうと思い、ゆっくりと職員室に向かった。
渡り廊下を通り、ふと見ると、裏庭のベンチに気づく。
莉緒の顔に、幼くも美しい微笑みが浮かぶ。
(こんな所に、こんなにかわいいベンチがあったんだ!)
まるで大発見した気分で、そのベンチに一人座り、イヤホンをすると速水先生の棒高跳びの動画を観る。
少し傾いた太陽の中、春のそよ風を感じながら観る速水先生の棒高跳びは、自分の部屋で観るより100倍も美しいと思った。
(速水先生……本当に今度はハードル飛んでくれるのかなあ……)
そんなことを考えながら、思わず「カッコよくてスマン☆」を小さく口ずさむ。
すると――
スッとスマホが翳った。
莉緒が見上げると、速水先生がいた。
速水先生はやさしく微笑むと言った。
「綾小路さん、何してるの?」
莉緒はあっと思った。
(先生……私の名前、普通に呼んでる!)
だが、速水先生は気付いていないのか、スッと小さなステンレスの水筒を莉緒に差し出して続けた。
「綾小路さんは、アールグレイのミルクティー好きかな?
僕、大好きなんですよね。
それで……綾小路さん、中々ベンチから立たないし、冷えちゃったかと思って、淹れて来たんです」
莉緒は嬉しかった。
母親の志穂は香りの強い紅茶は苦手で、アールグレイは飲んだことが無かったから。
「飲んだことが無いので、飲みたいです!」
莉緒がにこりと微笑む。
先生はピョンと一回後ろに跳ねたが、直ぐに戻って言った。
「じゃあ、飲んでみて下さい。
好みに合わなかったら、無理しないで。
ポットは職員室の先生の机の上に置いておいて下さい」
そうして、ベンチにポットを置いて立ち去ろうとする速水先生に――
莉緒は叫んでいた。
「待って! 一緒に飲んで!」
咄嗟に出た言葉は、敬語を忘れていた。
速水先生がゆっくり振り返る。
速水先生は少し困った顔をしていたが、「良いですよ」とやさしく言うと、ベンチの水筒の蓋を開けた。
そして、小さなコップにアールグレイのミルクティーを注いで一口飲むと、笑顔で言った。
「我ながら、美味しいです!」
莉緒は差し出されたコップを、細く白い指先で受け取る。
そして、一口飲んでみる。
香り高いその紅茶は、とても美味しかった。
莉緒が小さく「とても美味しいです」と言うと、速水先生は「良かったです!」と言って、今度こそ走り去った。
莉緒はベンチに座り直すと、ゆっくりと小さなコップを傾けた。
ただ、春のその風が、莉緒とアールグレイのミルクティーを包んでいた。
そして、紬は――
教頭先生から借りた、バードウォッチング用の高性能カメラを、陸上部のグラウンドに向けていた。
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