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第五話「すれ違うガラスの靴」 前編

秋の街道を、奇妙な一行が歩いていた。


先頭を行くのは、紫色のローブを纏った白髭の老人。杖を突きながら、時折立ち止まっては北東の空を睨んでいる。


その後ろに、三人の娘。


一人は赤毛で気が強そうな顔立ち。一人は黒髪で陰気な目つき。そしてもう一人は、金色の髪に灰だらけの顔。三人の中で最も身なりが粗末だが、不思議と一番しっかりした足取りで歩いている。


赤毛の娘——アナスタシアの腕には、一匹の猫が抱かれていた。


黒い毛並みに、翡翠色の目。トレメイン家の飼い猫、ルシファーだ。屋敷を出る時、アナスタシアが「ルシファーを置いていくなんて絶対に嫌!」と騒いだので、連れてきた。猫はおとなしくアナスタシアの腕に収まり、時折欠伸をしている。この一行の中で、最も緊張感のない存在だった。


「……ねえ、あとどのくらい歩くの? 足が痛いんだけど」


アナスタシアが、不満そうに声を上げた。


「もう少しじゃ。町まで一刻もかからん」


メルヴィンが、振り返らずに答える。


「一刻って、具体的にどのくらいよ」


「黙って歩け」


「……」


アナスタシアは口を尖らせたが、さすがに先ほどの魔法を目の当たりにした後では、老人に逆らう気にはなれないらしい。


ドリゼラは無言で歩いていた。時折、北東の空を不安そうに振り返る。ガルディアの兵士たちが戻ってくるのではないかと怯えているのだろう。


麗良は、一行の最後尾を歩いていた。


胸に抱えた荷物の中に、布に包んだガラスの靴がある。その重みを、歩くたびに感じる。


(王子様……)


今頃、アレクシス王子は、もう片方のガラスの靴を持って、国中を回っているはずだ。あの屋敷にも、いずれ来てくれるはずだった。


なのに、屋敷を離れてしまった。


王子様が来た時、そこにいなければ——見つけてもらえない。


(……でも、命あっての物種だし)


社畜時代の教訓だ。どんなに大事な仕事があっても、死んだら意味がない。過労で倒れかけた時に、嫌というほど学んだ。


生きていれば、やり直せる。


生きていれば、また会える。


「……うん」


小さく頷いて、前を向いた。


しばらく歩いた頃だった。


メルヴィンが、不意に足を止めた。


振り返り、アナスタシアとドリゼラを、じっと見つめる。


「……何よ、急に」


アナスタシアが、居心地悪そうに身じろぎした。


「そこの二人」


メルヴィンが、アナスタシアとドリゼラを名指しした。


「どうやら、かなりの魔法の才能があるようじゃ」


沈黙が、落ちた。


秋風が、街道の木々の葉を揺らす音だけが聞こえた。


「……は?」


アナスタシアが、間の抜けた声を出した。


「魔法の……才能? 私たちに?」


「うむ。わしの目は誤魔化せん。お主ら二人の体内には、かなりの魔力が眠っておる。磨けば光る、才能の原石よ」


メルヴィンの目は、真剣だった。冗談を言っている顔ではない。


アナスタシアとドリゼラが、顔を見合わせた。


「私たちに、魔法の才能……?」


「嘘でしょう……?」


二人の顔に、戸惑いと——かすかな喜びが浮かんだ。


麗良は、その様子を後ろから見ていた。


そして——嫌な予感がした。


「わ、私は……!?」


思わず、声が出た。


メルヴィンが、麗良を見た。


一瞬の沈黙。


老人の顔に、申し訳なさそうな表情が浮かんだ。


「残念ながら、お嬢さんには、魔法の才能は……まったく感じられん」


「…………」


まったく。


感じられん。


「…………………………」


麗良は、街道の真ん中で、石のように固まった。


「あら」


アナスタシアが、口元を手で隠した。隠しきれていない笑みが、指の隙間から漏れている。


「灰かぶりに何の才能もあるわけないわ」


「ねー」


ドリゼラが、同調する。


さっきまでガルディアの兵士に怯えて、私の後ろに隠れていたくせに。


さっきまで顔面蒼白で、私の腕にしがみついて離れなかったくせに。


もう忘れたのか。人間の記憶力って、都合のいい方向にだけは驚異的に働くものだ。社畜時代、手柄だけ横取りして失敗は部下に押し付ける課長を思い出す。


(……いや、そんなことより)


麗良は、心の中で叫んでいた。


(なんで!? なんで姉たちに魔法の才能があって、私にはないの!?)


転生ものといえば、チートだ。


転生者には、何かしらの特別な能力が与えられるのが王道ではないか。前世の記憶を活かした知識チート。異常な身体能力。規格外の魔力。あるいは、この世界にはない特殊スキル。


ほら、こう——ステータス画面がぱっと開いて、「固有スキル:社畜の根性(EX)」とか表示されるやつ。


なのに。


よりによって、魔法の才能があるのは義姉たち。


転生者の自分には、何もない。


(……これ、転生ものとして致命的に間違ってない?)


だが、現実は——いや、この世界の現実は、麗良の期待通りには動いてくれない。


それは、前世でも、今世でも、同じだった。


(……しょうがない。ないものはない。受け入れるしかない)


社畜時代に培った、理不尽を呑み込む力。それだけは、チートスキル並みに鍛えられている。


麗良は、深呼吸をして、歩き出した。


「その才能、眠らせておくにはもったいない」


メルヴィンが、歩きながら言った。


「きな臭い国際情勢でもある。自衛のためにも、魔法を習ってみる気はないか?」


アナスタシアとドリゼラが、足を止めた。


「で、でも……」


アナスタシアが、言い淀んだ。


「魔法って、さっきの……あの、兵隊さんたちを吹き飛ばしたような……」


「あれは戦闘魔法じゃ。魔法にも色々ある。攻撃、防御、治癒、補助——」


「でも、結局、戦うためのものでしょう?」


ドリゼラが、珍しく真剣な顔で言った。


「私たち、戦いたいわけじゃないの。王子様と踊りたいだけなの」


意地悪ではあるが、アナスタシアもドリゼラも、ただの王子に憧れる女子なのだ。


ガルディアの兵士たちを吹き飛ばした、あの凄まじい魔法——あの暴力を、進んで学ぼうとは思えなかった。あの光景は、二人の目にもしっかりと焼き付いている。人が木の葉のように宙を舞い、鎧ごと地面に叩きつけられる様。あれを自分の手でやるのかと思うと、身が竦む。


「まあ、あのような戦いを見た後じゃ、無理にとは言わんよ」


メルヴィンは、穏やかに頷いた。


そして——不意に、杖を軽く振った。


ふわり、と。


金色の光が、三人を包んだ。


柔らかい光だった。さっきの戦闘魔法の、あの圧倒的な暴風とは何もかもが違う。春の陽だまりのような、温かく、優しい光。


光が収まった時——三人の髪に、小さな髪飾りが留められていた。


アナスタシアの赤毛には、ルビーのように赤い花の髪飾り。


ドリゼラの黒髪には、サファイアのように青い蝶の髪飾り。


そして麗良の金髪には、琥珀のように温かい星の髪飾り。


どれも精巧な細工で、光を受けるときらきらと輝いている。


「すごい!」


アナスタシアが、手を伸ばして自分の髪飾りに触れた。


「きれい……!」


ドリゼラも、黒髪に留まった蝶の飾りを、そっと指先で撫でた。


二人の顔に、純粋な喜びが浮かんでいた。意地悪な義姉でも、虚栄心の強い令嬢でもない——ただの、きれいなものが好きな女の子の顔。


麗良も、自分の髪に触れた。星の形をした、温かい飾り。


「きれいじゃろう?」


メルヴィンが、少しだけ得意そうに笑った。


「まあ、魔法の産物なので、数時間で消えてしまうがね」


「えー、消えちゃうの? もったいない」


アナスタシアが、残念そうに言う。


「消えるからこそ、美しいのじゃよ。——本来、魔法というものは、こうして子どもや女子を笑顔にするものなのじゃがな」


メルヴィンの声に、かすかな寂しさが混じった。


かつて、ガルディア王国は、その魔法を戦争の道具にしようとした。だからメルヴィンは去った。


魔法は、人を傷つけるためのものではない。


人を、笑顔にするためのものだ。


「……わ、わたし」


アナスタシアが、髪飾りを見つめながら、ぽつりと言った。


「やってみようかしら。魔法」


メルヴィンが、目を瞬かせた。


「せっかく大魔導士様が直々に教えてくださると言うのだし。……こんなきれいなものが作れるなら、悪くないかも」


「ずるい! 私だって!」


ドリゼラが、すかさず名乗りを上げた。


「姉さんだけ魔法を覚えるなんて、不公平よ。私も習うわ」


「あら、私が先に言ったんだから、私の方が先輩よ」


「たった三秒の差じゃない!」


二人が言い争いを始める。いつもの光景だ。だが、その内容が「どちらが先に魔法を習うか」になっているあたり、状況は確実に変わっている。


「……ふふ」


メルヴィンが、小さく笑った。


少し——嬉しそうだった。


十五年間、隠居生活を送ってきた老魔導士。弟子を取ることなど、もう二度とないと思っていたのかもしれない。


「よかろう。では、落ち着いたら、基礎から教えてやろう。——ただし、わしは厳しいぞ」


「望むところよ!」


「私も負けないわ!」


義姉たちが、珍しく前向きな顔をしている。


麗良は、その様子を後ろから眺めながら、複雑な気持ちでいた。


魔法の才能がないのは、正直、悔しい。


でも——。


(お姉様たちが、何かに夢中になれるものを見つけたなら、それはいいことなのかも)


意地悪な義姉たちだが、考えてみれば、彼女たちにも彼女たちの人生がある。王子様に見初められることだけを夢見て、それ以外に何もない日々。それは、ある意味で——社畜時代の麗良と、似ていなくもない。


仕事以外に何もなかった。趣味もない。友人もいない。恋人もいない。ただ、会社と家を往復するだけの毎日。


だから——何かに目を輝かせている義姉たちを見ると、少しだけ、微笑ましく思えた。


ほんの少しだけ。


(……でも、やっぱり悔しいものは悔しい)


麗良は、ため息をついた。


ルシファーが、アナスタシアの腕の中から、じっと麗良を見つめていた。翡翠色の目が、何かを見透かすように。


「……何よ、ルシファー」


猫は、にゃあ、と一声鳴いて、目を閉じた。


街道を歩くこと、さらに半刻ほど。


町が見えてきた。


石造りの建物が並ぶ、小さいが活気のある町だ。元々、継母のトレメイン夫人がいつも買い物に来ている町で、麗良も何度か買い出しに来たことがある。


一見、いつもの平和な町に見える。市場には露店が並び、人々が行き交い、子どもたちが路地を走り回っている。


だが——よく見ると、違和感があった。


町の入り口に、兵士が立っている。エステリア王国の紋章——銀の盾に金の星——を胸につけた兵士だ。二人一組で、町に出入りする人々を確認している。


町の中にも、兵士の姿がちらほら見える。巡回しているのだろう。足取りは速く、表情は硬い。平時の警備とは、明らかに緊張感が違う。


「……国境の件で、警備が強化されているようじゃな」


メルヴィンが、低く呟いた。


「とはいえ、国境付近の屋敷よりは断然安全じゃ。ここにはエステリアの兵がおる」


町の入り口で、兵士に簡単な質問を受けた。どこから来たか、何の用か。メルヴィンが「国境付近の屋敷から避難してきた」と答えると、兵士は頷いて通してくれた。同じように避難してくる住民が、他にもいるらしい。


町の中に入ると、麗良はほっと息をついた。


人がいる。建物がある。兵士がいる。


国境付近の、あの剥き出しの緊張感とは違う。ここには、日常がある。


「さて、継母殿を探さねばな」


メルヴィンが言った。


「いつも買い物をする市場があるんです。たぶん、そこに——」


麗良が先導して、市場に向かった。


石畳の広場に、色とりどりの露店が並んでいる。野菜、果物、肉、魚、布地、陶器。売り子たちの威勢のいい声が飛び交い、買い物客がごった返している。


その中に——見覚えのある、背の高い痩せぎすの女性がいた。


鷲鼻。冷たい目。黒いドレス。


継母、マダム・トレメインだ。


果物の露店で、林檎を品定めしている。いつもの、厳しい目つきで。


「お母様!」


アナスタシアが駆け寄った。


「あら、アナスタシア? ドリゼラも。どうしてここに……シンデレラまで。一体何事?」


トレメイン夫人が、眉をひそめた。


その視線が、メルヴィンの上で止まった。


「……この方は?」


「大魔導士のメルヴィン様よ! すごいのよお母様、ガルディアの兵隊を魔法で吹き飛ばしたの!」


「兵隊……?」


トレメイン夫人の顔に、困惑が浮かんだ。


メルヴィンは、トレメイン夫人を見た。


そして——。


老人の目が、わずかに見開かれた。


数秒、固まった。


星のように輝く目が、トレメイン夫人の全身を——いや、その奥にある何かを、凝視していた。


麗良は、その反応に気づいた。


(……? 魔法使い様、どうしたんだろう)


だが、メルヴィンはすぐに平静を取り戻した。何事もなかったかのように、穏やかな表情に戻る。


「初めまして、マダム。大魔導士メルヴィンと申す。お嬢さん方には、少々世話になっておりましてな」


「はあ……大魔導士、ですか」


トレメイン夫人は、メルヴィンを上から下まで眺めた。ほつれたローブ。泥だらけの靴。薄汚れた杖。


疑わしそうな目。


アナスタシアの時と、まったく同じ反応だ。


(……親子だなぁ)


麗良は、心の中で苦笑した。


「お母様、本物よ! 本当にすごかったんだから!」


「そうよ、お母様! ガルディアの兵士が六人も来て、それを一人で——」


アナスタシアとドリゼラが、競うように屋敷での出来事を説明し始めた。ガルディアの兵士が来たこと。メルヴィンが魔法で撃退したこと。屋敷が危険だから避難してきたこと。


二人の話は興奮気味で、時系列が前後し、誇張も混じっていたが、大筋は伝わったようだった。


トレメイン夫人の顔から、徐々に血の気が引いていく。


「ガルディアの兵が……屋敷に……」


「ええ。国境付近は危険じゃ。しばらくは、この町に留まった方がよかろう」


メルヴィンが、落ち着いた声で言った。


トレメイン夫人は、しばらく黙っていた。


そして——。


「……わかりました。宿を取りましょう」


冷静だった。さすがに、継母としての威厳は——こういう時に発揮されるらしい。


「アナスタシア、ドリゼラ、荷物を持ちなさい。シンデレラ、宿を探してきなさい。安くて清潔なところを」


「はい、お義母様」


結局、こき使われるのは麗良なのだった。

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