表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/30

第四話「大魔導士と先遣隊」 後編

「……さすがに、全魔力解放は体にこたえるわい」


兵士たちの姿が完全に見えなくなってから、メルヴィンは——ふぅ、と大きく息をついた。


杖に体重を預け、わずかによろめく。


さっきまでの威厳ある大魔導士の姿は消え、そこにいるのは、疲れた老人だった。


「魔法使い様……! 大丈夫ですか?」


麗良が駆け寄った。


「大丈夫じゃ、大丈夫じゃ。ちと派手にやりすぎたかもしれんがの。年寄りの冷や水というやつじゃ」


「冷や水どころじゃなかったですよ……」


麗良は、まだ心臓がばくばくしていた。


あの暴風。あの魔力。あの咆哮。


目の前で見たものが、まだ信じられない。カボチャを馬車に変える魔法も驚いたが、あれとは次元が違った。


「だ、大魔導士様……!」


背後から、甲高い声がした。


振り返ると、アナスタシアとドリゼラが、おそるおそる壁際から出てきていた。


二人の顔は、さっきまでとは打って変わっていた。


疑いの色は、跡形もなく消えている。代わりにあるのは、畏怖と、敬意と、そして——すがるような必死さだった。


「さきほどはとんだ失礼を……! 薄汚いだなんて、とんでもない、大変ご立派なお姿で……!」


アナスタシアが、深々と頭を下げた。さっき「薄汚い」と言ったのは自分だということを、都合よく忘れたいらしいが、忘れきれていない。


「どうか、安全な場所までご一緒させてくださいませ! お願いいたします!」


ドリゼラも、必死に頭を下げている。


手のひら返しが、あまりにも鮮やかだった。


(……お姉様たち、ブレないなぁ。ある意味すごい)


麗良は、呆れ半分、感心半分で義姉たちを見つめた。


メルヴィンは、二人を見下ろして、ふん、と鼻を鳴らした。


「さっきは『怪しい』だの『薄汚い』だの言うておったくせに、現金な娘たちじゃな」


「も、申し訳ございません……!」


「まあよい。——お嬢さん」


メルヴィンが、麗良に向き直った。


「先遣隊は退けたが、あの兵士長の言う通り、次はもっと大勢で来るじゃろう。この屋敷にいるのは危険じゃ。国境と反対方向の町まで移動した方がいい」


「はい。……お義母様が戻ったら、すぐに出発しましょう」


「継母殿は外出中なのか」


「はい。町に買い物に——」


「ならば、町で合流すればよい。荷物をまとめなさい。最低限のものだけでいい。すぐに出るぞ」


メルヴィンの声には、有無を言わせぬ響きがあった。


麗良は頷き、屋敷の中に駆け込んだ。


着替え。食料。水。そして——床下から、布に包んだガラスの靴を取り出す。


片方だけの、ガラスの靴。


もう片方は、今頃、アレクシス王子の手の中にあるはずだ。


(王子様……)


胸が、きゅっと痛んだ。


王子様がガラスの靴を持って、国中を回ってくれている。もうすぐ、この屋敷にも来てくれるはずだった。


なのに——屋敷を離れなければならない。


王子様が来た時、ここにいなければ、見つけてもらえない。


(でも……今は、逃げるしかない)


ガラスの靴を、しっかりと胸に抱いた。


(王子様。待っていてください。必ず——必ず、また会いに行きますから)


麗良は、荷物を抱えて屋敷を出た。


その頃——。


エステリア王国、王都。


アレクシス王子は、ガラスの靴を携えて、郊外の屋敷を回っている最中だった。


今日で三軒目。どの家の娘にも、靴は合わなかった。


「次の村は、街道を東に——」


セバスチャンが地図を広げかけた、その時だった。


蹄の音が、猛烈な勢いで近づいてきた。


街道の向こうから、一騎の馬が全速力で駆けてくる。馬は汗だくで、騎手の顔は土埃にまみれている。


早馬だ。


「殿下! 至急の報告がございます!」


騎手が馬から飛び降り、片膝をついた。息が荒い。相当な距離を、休みなく走ってきたのだろう。


「何事だ」


アレクシスの声が、瞬時に王子のそれに切り替わった。


「ガルディア王国の軍が、国境付近に展開中です。先遣隊と思われる小部隊が、すでに国境を越えて我が国の領内に侵入した形跡があります」


空気が、変わった。


セバスチャンの顔から血の気が引く。護衛の騎士たちが、剣の柄に手をかける。


アレクシスだけが、表情を変えなかった。


いや——変えなかったのではない。変えることを、自分に許さなかったのだ。


「……規模は」


「国境付近に展開している兵力は、現時点で推定三百から五百。ただし、後方に予備兵力が控えている可能性があります」


「三百から五百……」


アレクシスは、馬上で目を閉じた。


思考が、高速で回転する。


ガルディアが兵を動かした理由。いくつかの可能性が、頭の中に浮かぶ。


一つ。国境付近の鉱物資源。鉄と銅の鉱脈は、ガルディアにとって喉から手が出るほど欲しいものだ。通商条約の交渉で、アレクシスはガルディア側の要求を退けた。鉱山の利権を渡すつもりはなかった。それが、武力行使の引き金になった可能性がある。


二つ。通商条約そのものの決裂。関税の引き下げ、通行権の拡大——ガルディアの要求は、エステリアにとって受け入れがたいものばかりだった。交渉が行き詰まれば、ガルディアが実力行使に出ることは、十分にあり得た。


そして——三つ。


アレクシスの脳裏に、舞踏会の夜が過ぎった。


大階段で、ガラスの靴を巡って対峙した三人の王子。レオンハルトの黒い瞳。「私は、あの方を諦めたわけではない」という言葉。


あの正体不明の美姫のことも——きっかけの一つかもしれない。


直接の原因ではないだろう。だが、火種に油を注いだ可能性はある。レオンハルトが彼女に心を奪われていることは、舞踏会の夜に見て取れた。恋に落ちた王子の心を、周囲の者が利用しないはずがない。


(……私のせいか)


舞踏会を開いたのは、自分だ。彼女にもう一度会うために。その舞踏会に隣国の王子たちを招いたのも、自分だ。


結果として、三人の王子が一人の女性を巡って争う構図を作ってしまった。


(いや——今は、そんなことを考えている場合ではない)


アレクシスは、目を開いた。


碧い瞳に、迷いはなかった。


「セバスチャン」


「はい、殿下」


「王都に戻る。軍議を招集してくれ。国境付近の住民の避難も手配しろ。——それから」


アレクシスは、膝の上のガラスの靴に、一瞬だけ目を落とした。


小さな、透明な靴。虹色の光。


彼女の靴。


「……靴の持ち主の捜索は、一時中断だ」


その言葉を口にする時、アレクシスの声は——かすかに、震えた。


だが、それだけだった。


一国の王子たるもの、恋に心を捕らわれているばかりではいられない。国民の安全が、何よりも優先される。それが、王族に生まれた者の責務だ。


「承知いたしました」


セバスチャンが、深く頭を下げた。


老臣の目に、複雑な感情が過ぎった。主人の苦悩が、痛いほどわかったからだ。


アレクシスは、馬の手綱を引いた。


王都の方角へ。


ガラスの靴を、懐に大切にしまいながら。


(……待っていてくれ)


心の中で、名前も知らない彼女に語りかけた。


(必ず——この国を守り抜いて、必ず、お前を見つける)


馬が駆け出した。


秋の風が、栗色の髪を激しく揺らした。


第四話「大魔導士と先遣隊」——了


第五話「すれ違うガラスの靴」に続く

そして——シンデレラこと麗良は。


メルヴィンと義姉たちと共に、国境と反対方向の町へ向かう道を、とぼとぼと歩いていた。


荷物を抱え、片方だけのガラスの靴を胸に抱いて。


王子様が来るのを待っていた屋敷は、もう遠くなっていた。


(王子様……今、どこにいるんだろう)


秋の空は高く、澄んでいた。


同じ空の下で、王子もまた——彼女を想っていることを、麗良はまだ知らない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ