第十四話「薔薇の決闘」 後編
六
「アレクシス様……!」
シンデレラの叫び声が、草原に響いた。
アレクシスが、膝をついた。
鳩尾への直撃。呼吸が止まっている。顔が苦痛に歪み、練習用の剣が手から滑り落ちた。
レオンハルトは、剣を構えたまま、勝利を確信していた。
薔薇は散った。勝負はついた。
だが——。
アレクシスが膝をつき、その体が沈んだことで——アレクシスの背後の視界が、開けた。
レオンハルトの黒い瞳が、そこに映ったものを捉えた。
金色の髪。青い瞳。蒼白な顔。
シンデレラが——旋風空弾丸の射線上に、立っていた。
アレクシスの、すぐ後方に。
レオンハルトの全身から、血の気が引いた。
旋風空弾丸の射線。アレクシスの立っていた位置。その延長線上に——シンデレラ。
もし、アレクシスがかわしていたら。
旋風空弾丸は、そのままシンデレラに直撃していた。
アレクシスは——それを、わかっていた。
だから、かわさなかった。
自分の体で、弾丸を受け止めた。
決闘の勝敗よりも、王族の誇りよりも……シンデレラの方が、大切だったから。
「アレクシス殿……あなたは……」
レオンハルトの声が、震えていた。
剣を持つ手が、力を失っていく。
「目の前の私に勝つことも、王子の権威を保つことも捨てて……ただ、愛する女性を、守るためだけに……」
レオンハルトは、天を仰いだ。
冬の空が、高く、澄んでいた。
「それにひきかえ、私は……」
声が、苦い。
「『何があっても、あなたを守り抜く』と、誓いを立てておきながら……決闘に夢中で、勝つことしか頭になかった。周りも見ずに、魔法を放った」
もし、アレクシスが盾になっていなければ。
自分の魔法で——最愛の人を、傷つけていた。
その事実が、レオンハルトの胸を、剣よりも深く抉った。
これは、勝利ではない。勝利とは言えない。練習用の剣が、地面に突き立てられた。
レオンハルトが、片膝をついた。
「……私の、完敗だ」
武人が。
ガルディアの第一王子が。
剣と魔法で勝利しながら——自ら、敗北を認めた。
草原に、静寂が降りた。
七
だが——シンデレラは、気づいていた。
咄嗟に自分を守ろうとしてくれたのは、アレクシスだけではないことを。
旋風空弾丸がアレクシスに直撃した、その瞬間。
シンデレラの正面に——青白い光の壁が、展開されていた。
魔力障壁。
薄く、しかし確かな、防御の壁。
シンデレラは、その壁の向こうに——一人の女性の姿を見た。
トレメイン夫人が、小さな魔法の杖を構えて、立っていた。
鷲鼻。冷たい目。黒いドレス。
だが、その手は——微かに、震えていた。
杖を握る指が、白くなるほど力が入っている。
レオンハルトの魔法を見た瞬間、体が動いていた。考えるより先に。
守りたいものを、強く思い浮かべろ——メルヴィンの言葉が、体に染みついていた。
アナスタシア。ドリゼラ。
そして——シンデレラ。
「お、お義母様……」
麗良の声が、震えた。
トレメイン夫人は、杖を下ろした。
障壁が、消える。
「……私を見ている場合じゃないでしょう」
継母の声は、いつも通り素っ気なかった。
だが——その目は、いつもとは違っていた。
冷たい目ではなかった。
厳しいが——温かい目だった。
「行きなさい。王子様の元へ」
一拍、間を置いて。
「あなたの、想い人のところへ」
麗良の目から、涙が溢れた。
そして——駆け出した。
草原を走る。枯れた草を踏みしめて。冬の風を切って。
想い人の元へ。
アレクシス王子の元へ。
八
「王子様……!」
麗良は、膝をついたアレクシスの前に駆け寄った。
しゃがみ込み、王子の顔を覗き込む。
アレクシスは、まだ鳩尾の痛みに顔を歪めていた。呼吸が荒い。額に汗が浮いている。
「大丈夫ですか……!? お怪我は……!」
「……大丈夫だ」
アレクシスが、苦しげに——しかし、笑った。
「あなたがそばにいてくれるのならば……痛みなど、吹き飛ぶ」
「そんな……無茶しないでください……! もし、もっとひどい怪我をしていたら……!」
「あなたに当たるよりは、ましだ」
静かに、しかし揺るぎなく。
碧い瞳が、麗良を見つめている。
痛みの中でも、その瞳は——澄んでいた。
麗良は、涙を拭くことも忘れて、アレクシスの手を握った。
温かい手。
舞踏会の夜から、ずっと——この手の温もりを、求めていた。
「……王子様。私——」
言葉が、溢れそうになった。
伝えたいことが、たくさんあった。
舞踏会の夜から、ずっと好きだったこと。ガラスの靴を落とし忘れて、途方に暮れたこと。もう一度会いたくて、泣いたこと。国境紛争の中で、王子の無事を祈り続けたこと。
でも——今は、言葉よりも。
麗良は、アレクシスの手を、両手で包んだ。
ぎゅっと。
それだけで、十分だった。
九
「あーあ、妬けるね」
少し離れた場所で、フィリップが呟いた。
腕を組み、二人の姿を眺めている。
碧い瞳に浮かんでいるのは、軽やかな笑み。だが、その奥に——かすかな痛みが、滲んでいた。
「なんとなく、わかってはいたんだけどさ」
最初から——彼女の目は、アレクシスだけを見ていた。
舞踏会の夜。バルコニーで話した時。金銀財宝の話には目もくれず、アレクシスの話をした時だけ、瞳が輝いた。
あの時から、わかっていた。
わかっていて——それでも、諦められなかった。
だが、今。
膝をついた王子の手を握り、涙を流すシンデレラの姿を見て——。
どこからどう見ても、両想いだった。
入り込む隙など、最初からなかったのかもしれない。
「……まあ、いいさ」
フィリップは、空を見上げた。
冬の空。高く、澄んだ空。
「いい絵が描けそうだ。——失恋の絵、ってのも、悪くない」
自嘲気味に笑って——。
それ以上は、何も言わなかった。
その時、草原に——金色の光が、降り注いだ。
全員が、空を見上げた。
光の源は——メルヴィンだった。
老魔導士が、杖を高く掲げていた。
星のような目が、シンデレラを見つめている。
「約束じゃったな、お嬢さん」
穏やかな声。
「国境紛争が終わったら、とびきりのドレスを用意してやる、と」
光が、シンデレラの全身を包んだ。
温かい光。柔らかい光。春の陽だまりのような、優しい光。
ぼろぼろの——いや、今はまともな服だが、それでも質素なブラウスとスカートが、光の粒子に分解されていく。
代わりに、体を包んでいくのは——。
純白のドレスだった。
一度目の銀でもなく、二度目の金でもない。
混じりけのない、純粋な白。
胸元には銀糸の刺繍が施され、スカートは幾重にも重なるシルクが波のように広がっている。背中から流れるヴェールは、風を受けて翼のようにはためいた。
そして、足元——。
ガラスの靴が、光を受けて虹色に輝いていた。
あの、舞踏会の夜の再現のようだった。
いや——あの夜よりも、美しかった。
メルヴィンが、三度目の魔法をかけた。
約束を、果たした。
「……きれい」
アナスタシアが、呟いた。
「……すごい」
ドリゼラが、息を呑んだ。
トレメイン夫人は、何も言わなかった。ただ、目を細めて——義娘の姿を、見つめていた。
アレクシスは、膝をついたまま、白いドレスのシンデレラを見上げていた。
碧い瞳に、光が溢れていた。
「……美しい」
かすれた声で、呟いた。
「あの夜を——あなたと初めて踊った夜を、思い出します」
麗良は——泣き笑いの顔で、アレクシスの手を引いて立ち上がらせた。
「立ってください、王子様。……私の、王子様」
二人が、向かい合って立った。
冬の陽光の中で。
白いドレスと、白い軍服。
失恋の痛みを誤魔化すように、かき消すように——フィリップが、率先して拍手をした。
ぱん、ぱん、ぱん。
軽やかな、しかし力強い拍手。
アナスタシアとドリゼラが、それに倣った。
メルヴィンが、杖を地面に突きながら、静かに拍手した。
トレメイン夫人が、小さく、しかし確かに、手を叩いた。
セバスチャンが、目頭を押さえながら拍手した。
ヴォルフが、複雑な表情ながらも、拍手した。
護衛たちが、国の違いを超えて、拍手した。
草原に、拍手の音が広がっていく。
レオンハルトだけが——明後日の方向を向いていた。
拍手はしなかった。
だが、その横顔には——怒りも、恨みも、なかった。
ただ、静かな——潔い、敗者の顔があった。
冬の風が、草原を渡った。
散った薔薇の花弁が、風に乗って舞い上がり、冬の空に溶けていった。
こうして——三人の王子の恋に、決着がついた。
第十四話「薔薇の決闘」——了
最終話に続く




