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第十四話「薔薇の決闘」 後編

「アレクシス様……!」


シンデレラの叫び声が、草原に響いた。


アレクシスが、膝をついた。


鳩尾への直撃。呼吸が止まっている。顔が苦痛に歪み、練習用の剣が手から滑り落ちた。


レオンハルトは、剣を構えたまま、勝利を確信していた。


薔薇は散った。勝負はついた。


だが——。


アレクシスが膝をつき、その体が沈んだことで——アレクシスの背後の視界が、開けた。


レオンハルトの黒い瞳が、そこに映ったものを捉えた。


金色の髪。青い瞳。蒼白な顔。


シンデレラが——旋風空弾丸ウインド・バレットの射線上に、立っていた。


アレクシスの、すぐ後方に。


レオンハルトの全身から、血の気が引いた。


旋風空弾丸ウインド・バレットの射線。アレクシスの立っていた位置。その延長線上に——シンデレラ。


もし、アレクシスがかわしていたら。


旋風空弾丸は、そのままシンデレラに直撃していた。


アレクシスは——それを、わかっていた。


だから、かわさなかった。


自分の体で、弾丸を受け止めた。


決闘の勝敗よりも、王族の誇りよりも……シンデレラの方が、大切だったから。


「アレクシス殿……あなたは……」


レオンハルトの声が、震えていた。


剣を持つ手が、力を失っていく。


「目の前の私に勝つことも、王子の権威を保つことも捨てて……ただ、愛する女性を、守るためだけに……」


レオンハルトは、天を仰いだ。


冬の空が、高く、澄んでいた。


「それにひきかえ、私は……」


声が、苦い。


「『何があっても、あなたを守り抜く』と、誓いを立てておきながら……決闘に夢中で、勝つことしか頭になかった。周りも見ずに、魔法を放った」


もし、アレクシスが盾になっていなければ。


自分の魔法で——最愛の人を、傷つけていた。


その事実が、レオンハルトの胸を、剣よりも深く抉った。


これは、勝利ではない。勝利とは言えない。練習用の剣が、地面に突き立てられた。


レオンハルトが、片膝をついた。


「……私の、完敗だ」


武人が。


ガルディアの第一王子が。


剣と魔法で勝利しながら——自ら、敗北を認めた。


草原に、静寂が降りた。


だが——シンデレラは、気づいていた。


咄嗟に自分を守ろうとしてくれたのは、アレクシスだけではないことを。


旋風空弾丸ウインド・バレットがアレクシスに直撃した、その瞬間。


シンデレラの正面に——青白い光の壁が、展開されていた。


魔力障壁。


薄く、しかし確かな、防御の壁。


シンデレラは、その壁の向こうに——一人の女性の姿を見た。


トレメイン夫人が、小さな魔法の杖を構えて、立っていた。


鷲鼻。冷たい目。黒いドレス。


だが、その手は——微かに、震えていた。


杖を握る指が、白くなるほど力が入っている。


レオンハルトの魔法を見た瞬間、体が動いていた。考えるより先に。


守りたいものを、強く思い浮かべろ——メルヴィンの言葉が、体に染みついていた。


アナスタシア。ドリゼラ。


そして——シンデレラ。


「お、お義母様……」


麗良の声が、震えた。


トレメイン夫人は、杖を下ろした。


障壁が、消える。


「……私を見ている場合じゃないでしょう」


継母の声は、いつも通り素っ気なかった。


だが——その目は、いつもとは違っていた。


冷たい目ではなかった。


厳しいが——温かい目だった。


「行きなさい。王子様の元へ」


一拍、間を置いて。


「あなたの、想い人のところへ」


麗良の目から、涙が溢れた。


そして——駆け出した。


草原を走る。枯れた草を踏みしめて。冬の風を切って。


想い人の元へ。


アレクシス王子の元へ。


「王子様……!」


麗良は、膝をついたアレクシスの前に駆け寄った。


しゃがみ込み、王子の顔を覗き込む。


アレクシスは、まだ鳩尾の痛みに顔を歪めていた。呼吸が荒い。額に汗が浮いている。


「大丈夫ですか……!? お怪我は……!」


「……大丈夫だ」


アレクシスが、苦しげに——しかし、笑った。


「あなたがそばにいてくれるのならば……痛みなど、吹き飛ぶ」


「そんな……無茶しないでください……! もし、もっとひどい怪我をしていたら……!」


「あなたに当たるよりは、ましだ」


静かに、しかし揺るぎなく。


碧い瞳が、麗良を見つめている。


痛みの中でも、その瞳は——澄んでいた。


麗良は、涙を拭くことも忘れて、アレクシスの手を握った。


温かい手。


舞踏会の夜から、ずっと——この手の温もりを、求めていた。


「……王子様。私——」


言葉が、溢れそうになった。


伝えたいことが、たくさんあった。


舞踏会の夜から、ずっと好きだったこと。ガラスの靴を落とし忘れて、途方に暮れたこと。もう一度会いたくて、泣いたこと。国境紛争の中で、王子の無事を祈り続けたこと。


でも——今は、言葉よりも。


麗良は、アレクシスの手を、両手で包んだ。


ぎゅっと。


それだけで、十分だった。


「あーあ、妬けるね」


少し離れた場所で、フィリップが呟いた。


腕を組み、二人の姿を眺めている。


碧い瞳に浮かんでいるのは、軽やかな笑み。だが、その奥に——かすかな痛みが、滲んでいた。


「なんとなく、わかってはいたんだけどさ」


最初から——彼女の目は、アレクシスだけを見ていた。


舞踏会の夜。バルコニーで話した時。金銀財宝の話には目もくれず、アレクシスの話をした時だけ、瞳が輝いた。


あの時から、わかっていた。


わかっていて——それでも、諦められなかった。


だが、今。


膝をついた王子の手を握り、涙を流すシンデレラの姿を見て——。


どこからどう見ても、両想いだった。


入り込む隙など、最初からなかったのかもしれない。


「……まあ、いいさ」


フィリップは、空を見上げた。


冬の空。高く、澄んだ空。


「いい絵が描けそうだ。——失恋の絵、ってのも、悪くない」


自嘲気味に笑って——。


それ以上は、何も言わなかった。


その時、草原に——金色の光が、降り注いだ。


全員が、空を見上げた。


光の源は——メルヴィンだった。


老魔導士が、杖を高く掲げていた。


星のような目が、シンデレラを見つめている。


「約束じゃったな、お嬢さん」


穏やかな声。


「国境紛争が終わったら、とびきりのドレスを用意してやる、と」


光が、シンデレラの全身を包んだ。


温かい光。柔らかい光。春の陽だまりのような、優しい光。


ぼろぼろの——いや、今はまともな服だが、それでも質素なブラウスとスカートが、光の粒子に分解されていく。


代わりに、体を包んでいくのは——。


純白のドレスだった。


一度目の銀でもなく、二度目の金でもない。


混じりけのない、純粋な白。


胸元には銀糸の刺繍が施され、スカートは幾重にも重なるシルクが波のように広がっている。背中から流れるヴェールは、風を受けて翼のようにはためいた。


そして、足元——。


ガラスの靴が、光を受けて虹色に輝いていた。


あの、舞踏会の夜の再現のようだった。


いや——あの夜よりも、美しかった。


メルヴィンが、三度目の魔法をかけた。


約束を、果たした。


「……きれい」


アナスタシアが、呟いた。


「……すごい」


ドリゼラが、息を呑んだ。


トレメイン夫人は、何も言わなかった。ただ、目を細めて——義娘の姿を、見つめていた。


アレクシスは、膝をついたまま、白いドレスのシンデレラを見上げていた。


碧い瞳に、光が溢れていた。


「……美しい」


かすれた声で、呟いた。


「あの夜を——あなたと初めて踊った夜を、思い出します」


麗良は——泣き笑いの顔で、アレクシスの手を引いて立ち上がらせた。


「立ってください、王子様。……私の、王子様」


二人が、向かい合って立った。


冬の陽光の中で。


白いドレスと、白い軍服。


失恋の痛みを誤魔化すように、かき消すように——フィリップが、率先して拍手をした。


ぱん、ぱん、ぱん。


軽やかな、しかし力強い拍手。


アナスタシアとドリゼラが、それに倣った。


メルヴィンが、杖を地面に突きながら、静かに拍手した。


トレメイン夫人が、小さく、しかし確かに、手を叩いた。


セバスチャンが、目頭を押さえながら拍手した。


ヴォルフが、複雑な表情ながらも、拍手した。


護衛たちが、国の違いを超えて、拍手した。


草原に、拍手の音が広がっていく。


レオンハルトだけが——明後日の方向を向いていた。


拍手はしなかった。


だが、その横顔には——怒りも、恨みも、なかった。


ただ、静かな——潔い、敗者の顔があった。


冬の風が、草原を渡った。


散った薔薇の花弁が、風に乗って舞い上がり、冬の空に溶けていった。


こうして——三人の王子の恋に、決着がついた。


第十四話「薔薇の決闘」——了


最終話に続く

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