第十四話「薔薇の決闘」 前編
一
秋が過ぎ、冬の足音が近づいていた。
木々の葉はほとんど落ち、枝は裸になり、朝晩の冷え込みが厳しくなっていた。暖炉の火が、一日中欠かせない季節。
トレメイン家の屋敷は、この数週間で、すっかり様変わりしていた。
三国の王子たちが、時折、シンデレラの屋敷を訪れるようになったのだ。
フィリップは、相変わらずフットワーク軽く、週に一度は顔を出した。ヴァレンティアの珍しい菓子や、美しい画集や、季節の花を手土産に。シンデレラとお茶を飲み、他愛もない話をして、笑い合って帰っていく。
アレクシスは、公務の合間を縫って、月に二度ほど訪れた。贈り物は控えめだが、いつも手書きの手紙を添えていた。丁寧な筆跡で綴られた、短いが心のこもった言葉。シンデレラと庭を散歩し、静かに語り合い、穏やかな時間を過ごして帰っていく。
レオンハルトは、最も頻度が少なかったが——来る時は、必ず何かを「直して」帰った。屋敷の軋む扉の蝶番を直し、庭の崩れかけた石垣を積み直し、薪を割って積み上げていく。言葉は少ないが、不器用な優しさが、屋敷のあちこちに残された。
エステリアとガルディアの国境付近にある、小さな屋敷。
それはまるで、三国の王子たちの休憩所のようだった。
麗良は、その日々を——大切に、噛みしめるように、過ごしていた。
いつまで続くかわからない、この時間を。
二
そんなある日のこと。
事件は、起きた。
朝食の片付けを終えた麗良が、応接間に入ると——三人の王子が、揃って座っていた。
アレクシスが、窓際の椅子に。
レオンハルトが、暖炉の前の椅子に。
フィリップが、テーブルの端の椅子に。
三人とも、微妙な表情をしていた。
トリプルブッキングだった。
「……あ」
麗良は、応接間の入り口で固まった。
「……やあ」
フィリップが、引きつった笑みで手を上げた。
「……奇遇ですね」
アレクシスが、苦笑した。
「……」
レオンハルトは、無言だった。
三人の王子が、一つの応接間に。
空気が、重い。
こうしてシンデレラ含む全員が揃うのは、二度目の舞踏会の夜以来かもしれない。あの時は華やかな大広間だったが、今はトレメイン家の小さな応接間だ。狭い。物理的にも、精神的にも。
麗良は、とりあえずお茶を淹れた。
三人分の紅茶を、テーブルに並べる。
沈黙。
カップに注がれた紅茶の湯気だけが、ゆらゆらと立ち上っている。
ちょっとした三国会談のような雰囲気だった。いや、実際に三国の王子が同席しているのだから、三国会談そのものだ。
「……天気がいいですね」
フィリップが、沈黙に耐えかねて言った。
「……ええ」
アレクシスが答えた。
「……そうだな」
レオンハルトが答えた。
また、沈黙。
麗良は、テーブルの端で、小さくなっていた。
(……気まずい。気まずすぎる。社畜時代の、取引先三社が同時に来ちゃった時の気まずさに匹敵する)
その時だった。
「……そろそろ、決着をつけるべきではないか」
レオンハルトが、紅茶のカップを置いて、言った。
低い声。だが、明確な意志を持った声。
全員の視線が、レオンハルトに集まった。
「彼女のためにも、私たちのためにも—―姫と私たちの関係を、曖昧なままにしておくのはいけない」
黒い瞳が、アレクシスを見据えた。
「私は武芸の国、ガルディアの王子だ。だから、これしか解決方法を知らない」
レオンハルトが、立ち上がった。
右手の白い手袋を、ゆっくりと外した。
そして——アレクシスの前に、投げた。
ぱさり、と軽い音がして、白い手袋がテーブルの上に落ちた。
決闘の申し込みだった。
応接間の空気が、一変した。
廊下で控えていたヴォルフが、顔を青くした。
(ここはエステリア領内だというのに……!)
胃が、きりきりと痛んだ。
アレクシスは、テーブルの上の白い手袋を見つめていた。
しばらくの沈黙。
そして——手袋を、拾い上げた。
「……受けましょう」
静かに、しかし確固たる声で。
碧い瞳に、迷いはなかった。
三
決闘の場は、屋敷の裏手の広い草原に設けられた。
メルヴィンの魔法修行にも使われている場所だ。周囲を木立が囲み、中央は平坦な草地が広がっている。決闘の舞台としては、申し分なかった。
ルールは、レオンハルトが提案した。
シンプルだった。
練習用の剣を武器とする。刃は潰してあるが、鋼鉄製の重量はそのまま。直撃すれば、骨くらいは折れる。
互いの胸に、赤い薔薇の花を一輪、刺す。
相手の薔薇を散らした方が、勝利。
「命のやり取りではない。だが、王子としての誇りを賭けた戦いだ」
レオンハルトが、練習用の剣を手に取りながら言った。
アレクシスも、剣を受け取った。左腕の傷は完治している。剣を握る手に、迷いはなかった。
フィリップが、立会人を買って出た。
「俺が審判をするよ。——公平にね」
軽い口調だったが、その碧い瞳は真剣だった。
草原の周囲に、ギャラリーが集まっていた。
メルヴィンが、杖に寄りかかって立っている。星のような目で、二人の王子を見つめている。
アナスタシアとドリゼラが、並んで立っている。二人とも、緊張した面持ちだ。
トレメイン夫人が、少し離れた場所に立っている。手の中には、メルヴィンから渡された小さな魔法の杖。
ヴォルフが、胃を押さえながら立っている。セバスチャンが、白髪交じりの眉をひそめて立っている。
三国の護衛たちが、それぞれの主君の背後に控えている。互いを警戒しながらも、今は——決闘の行方を見守ることに集中していた。
そして——シンデレラが、草原の端に立っていた。
麗良は、二人の王子を見つめていた。
(私のために、決闘なんて……)
止めるべきだ、と思った。
こんなことで怪我をしてほしくない。こんなことで、二国の関係が悪化してほしくない。
だが——二人の目を見たら、何も言えなかった。
アレクシスの碧い瞳。静かだが、揺るぎない決意。
レオンハルトの黒い瞳。燃えるような、まっすぐな闘志。
二人とも、本気だった。
これは、王子としての誇りの問題ではない。
一人の男としての、想いの問題だ。
麗良は、唇を噛んで、黙った。
四
二人の王子が、草原の中央で向かい合った。
十歩の距離。
アレクシスの胸に、赤い薔薇。レオンハルトの胸にも、赤い薔薇。
冬の風が、草原を渡った。枯れた草が、さわさわと揺れる。
フィリップが、右手を上げた。
「両者、構え」
アレクシスが、剣を正眼に構えた。流麗な構え。重心は低く、足運びは軽い。
レオンハルトが、剣を上段に構えた。力強い構え。全身のばねを、一撃に込める姿勢。
「——始め!」
フィリップの手が、振り下ろされた。
レオンハルトが、動いた。
一歩目で地面を蹴り、二歩目で間合いを詰め、三歩目で——振り下ろした。
豪剣。
上段からの、全体重を乗せた一撃。練習用の剣とはいえ、直撃すれば肋骨が砕ける。
だが——アレクシスは、そこにいなかった。
半歩、横に滑るように動いている。レオンハルトの剣が、空を切った。
そのまま、アレクシスの剣が横薙ぎに——。
レオンハルトが、振り下ろした剣の軌道を強引に変え、横薙ぎを受け止めた。
がぎん、と鋼鉄がぶつかる音が、草原に響いた。
「……やるな」
レオンハルトが、低く呟いた。
「お互い様です」
アレクシスが、静かに答えた。
二人の剣が離れ、再び間合いが開く。
レオンハルトが、再び踏み込んだ。
今度は横薙ぎ。腰の回転を乗せた、重い一撃。
アレクシスが、剣で受ける——のではなく、刃の腹で滑らせるように受け流した。
レオンハルトの力が、そのまま横に逸れていく。
流麗な剣捌きだった。
力で受け止めるのではなく、力の方向を変える。柔よく剛を制す。アレクシスの剣術は、そういう剣だった。
レオンハルトの膂力は、アレクシスを上回っている。正面からぶつかれば、アレクシスが押し負ける。
だが——アレクシスは、正面からぶつからない。
受け流し、いなし、かわし、隙を窺う。
レオンハルトが攻め、アレクシスが捌く。
一合。二合。三合。
剣戟の音が、草原に響き渡る。
ギャラリーが、息を呑んで見守っていた。
アナスタシアが、両手を握りしめている。ドリゼラが、唇を噛んでいる。
メルヴィンが、目を細めて二人の動きを追っている。
麗良は——祈るような気持ちで、二人を見つめていた。
(どうか、二人とも、怪我をしないで……)
五
戦いは、膠着していた。
レオンハルトの豪剣は、確かに凄まじい。一撃一撃が重く、速く、鋭い。並の剣士なら、三合と持たずに叩き伏せられるだろう。
だが、アレクシスは並の剣士ではなかった。
刺客五人を相手に、剣一本で粘った男だ。レオンハルトの剣が重ければ重いほど、受け流した時の反動を利用して、カウンターの機会を窺える。
レオンハルトの攻撃を捌き、いなし、時に半歩退き、時に半歩踏み込む。
一見、防戦一方に見えるが——アレクシスの碧い瞳は、冷静にレオンハルトの動きを分析していた。
隙を、探している。
だが——隙がない。
レオンハルトもまた、一流の武人だった。攻めながらも、守りを忘れない。薔薇を刺した胸元は、常に剣で守られている。
「……隙を見せない」
レオンハルトが、剣を構え直しながら呟いた。
同じことを、考えていた。
アレクシスの防御は、鉄壁だった。どれだけ攻めても、薔薇に届かない。力で押しても、技で崩しても、するりとかわされる。
剣だけでは——勝てない。
レオンハルトは、決断した。
左腕に、魔力を集中させる。
掌の中で、空気が圧縮されていく。回転する。凝縮する。
旋風空弾丸。
あの日、大型のクマをも怯ませた魔法。圧縮された空気が弾丸のように射出され、直撃すれば人間の体を吹き飛ばす。
レオンハルトの左手が、青白い光を帯びた。
アレクシスの碧い瞳が、それを捉えた。
旋風空弾丸。その威力は、森でのクマとの戦いで目の当たりにしている。
直撃すれば——練習用の剣の比ではない衝撃が、体を襲う。
レオンハルトの狙いは、読めていた。
旋風空弾丸は牽制。魔法を撃ち、アレクシスがかわしたところを、剣で薔薇を狙う。
つまり——かわせば、剣が来る。
かわさなければ、魔法が来る。
どちらを選んでも、不利。
レオンハルトの左手が、前に突き出された。
「旋風空弾丸……!」
圧縮された空気が、回転しながら射出された。
弾丸のように。
まっすぐに、アレクシスの体に向かって。
アレクシスは——。
動かなかった。
かわさなかった。
旋風空弾丸が、アレクシスの鳩尾に——直撃した。
ごっ、という鈍い衝撃音。
アレクシスの体が、くの字に折れた。
動きが、止まった。
その隙を——レオンハルトは逃さなかった。
踏み込む。剣を振る。一閃。
刃が、アレクシスの胸元を薙いだ。
赤い薔薇の花弁が、宙に舞った。
散った。
アレクシスの薔薇が、散った。




