表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

27/30

第十四話「薔薇の決闘」 前編

秋が過ぎ、冬の足音が近づいていた。


木々の葉はほとんど落ち、枝は裸になり、朝晩の冷え込みが厳しくなっていた。暖炉の火が、一日中欠かせない季節。


トレメイン家の屋敷は、この数週間で、すっかり様変わりしていた。


三国の王子たちが、時折、シンデレラの屋敷を訪れるようになったのだ。


フィリップは、相変わらずフットワーク軽く、週に一度は顔を出した。ヴァレンティアの珍しい菓子や、美しい画集や、季節の花を手土産に。シンデレラとお茶を飲み、他愛もない話をして、笑い合って帰っていく。


アレクシスは、公務の合間を縫って、月に二度ほど訪れた。贈り物は控えめだが、いつも手書きの手紙を添えていた。丁寧な筆跡で綴られた、短いが心のこもった言葉。シンデレラと庭を散歩し、静かに語り合い、穏やかな時間を過ごして帰っていく。


レオンハルトは、最も頻度が少なかったが——来る時は、必ず何かを「直して」帰った。屋敷の軋む扉の蝶番を直し、庭の崩れかけた石垣を積み直し、薪を割って積み上げていく。言葉は少ないが、不器用な優しさが、屋敷のあちこちに残された。


エステリアとガルディアの国境付近にある、小さな屋敷。


それはまるで、三国の王子たちの休憩所のようだった。


麗良は、その日々を——大切に、噛みしめるように、過ごしていた。


いつまで続くかわからない、この時間を。


そんなある日のこと。


事件は、起きた。


朝食の片付けを終えた麗良が、応接間に入ると——三人の王子が、揃って座っていた。


アレクシスが、窓際の椅子に。


レオンハルトが、暖炉の前の椅子に。


フィリップが、テーブルの端の椅子に。


三人とも、微妙な表情をしていた。


トリプルブッキングだった。


「……あ」


麗良は、応接間の入り口で固まった。


「……やあ」


フィリップが、引きつった笑みで手を上げた。


「……奇遇ですね」


アレクシスが、苦笑した。


「……」


レオンハルトは、無言だった。


三人の王子が、一つの応接間に。


空気が、重い。


こうしてシンデレラ含む全員が揃うのは、二度目の舞踏会の夜以来かもしれない。あの時は華やかな大広間だったが、今はトレメイン家の小さな応接間だ。狭い。物理的にも、精神的にも。


麗良は、とりあえずお茶を淹れた。


三人分の紅茶を、テーブルに並べる。


沈黙。


カップに注がれた紅茶の湯気だけが、ゆらゆらと立ち上っている。


ちょっとした三国会談のような雰囲気だった。いや、実際に三国の王子が同席しているのだから、三国会談そのものだ。


「……天気がいいですね」


フィリップが、沈黙に耐えかねて言った。


「……ええ」


アレクシスが答えた。


「……そうだな」


レオンハルトが答えた。


また、沈黙。


麗良は、テーブルの端で、小さくなっていた。


(……気まずい。気まずすぎる。社畜時代の、取引先三社が同時に来ちゃった時の気まずさに匹敵する)


その時だった。


「……そろそろ、決着をつけるべきではないか」


レオンハルトが、紅茶のカップを置いて、言った。


低い声。だが、明確な意志を持った声。


全員の視線が、レオンハルトに集まった。


「彼女のためにも、私たちのためにも—―姫と私たちの関係を、曖昧なままにしておくのはいけない」


黒い瞳が、アレクシスを見据えた。


「私は武芸の国、ガルディアの王子だ。だから、これしか解決方法を知らない」


レオンハルトが、立ち上がった。


右手の白い手袋を、ゆっくりと外した。


そして——アレクシスの前に、投げた。


ぱさり、と軽い音がして、白い手袋がテーブルの上に落ちた。


決闘の申し込みだった。


応接間の空気が、一変した。


廊下で控えていたヴォルフが、顔を青くした。


(ここはエステリア領内だというのに……!)


胃が、きりきりと痛んだ。


アレクシスは、テーブルの上の白い手袋を見つめていた。


しばらくの沈黙。


そして——手袋を、拾い上げた。


「……受けましょう」


静かに、しかし確固たる声で。


碧い瞳に、迷いはなかった。


決闘の場は、屋敷の裏手の広い草原に設けられた。


メルヴィンの魔法修行にも使われている場所だ。周囲を木立が囲み、中央は平坦な草地が広がっている。決闘の舞台としては、申し分なかった。


ルールは、レオンハルトが提案した。


シンプルだった。


練習用の剣を武器とする。刃は潰してあるが、鋼鉄製の重量はそのまま。直撃すれば、骨くらいは折れる。


互いの胸に、赤い薔薇の花を一輪、刺す。


相手の薔薇を散らした方が、勝利。


「命のやり取りではない。だが、王子としての誇りを賭けた戦いだ」


レオンハルトが、練習用の剣を手に取りながら言った。


アレクシスも、剣を受け取った。左腕の傷は完治している。剣を握る手に、迷いはなかった。


フィリップが、立会人を買って出た。


「俺が審判をするよ。——公平にね」


軽い口調だったが、その碧い瞳は真剣だった。


草原の周囲に、ギャラリーが集まっていた。


メルヴィンが、杖に寄りかかって立っている。星のような目で、二人の王子を見つめている。


アナスタシアとドリゼラが、並んで立っている。二人とも、緊張した面持ちだ。


トレメイン夫人が、少し離れた場所に立っている。手の中には、メルヴィンから渡された小さな魔法の杖。


ヴォルフが、胃を押さえながら立っている。セバスチャンが、白髪交じりの眉をひそめて立っている。


三国の護衛たちが、それぞれの主君の背後に控えている。互いを警戒しながらも、今は——決闘の行方を見守ることに集中していた。


そして——シンデレラが、草原の端に立っていた。


麗良は、二人の王子を見つめていた。


(私のために、決闘なんて……)


止めるべきだ、と思った。


こんなことで怪我をしてほしくない。こんなことで、二国の関係が悪化してほしくない。


だが——二人の目を見たら、何も言えなかった。


アレクシスの碧い瞳。静かだが、揺るぎない決意。


レオンハルトの黒い瞳。燃えるような、まっすぐな闘志。


二人とも、本気だった。


これは、王子としての誇りの問題ではない。


一人の男としての、想いの問題だ。


麗良は、唇を噛んで、黙った。


二人の王子が、草原の中央で向かい合った。


十歩の距離。


アレクシスの胸に、赤い薔薇。レオンハルトの胸にも、赤い薔薇。


冬の風が、草原を渡った。枯れた草が、さわさわと揺れる。


フィリップが、右手を上げた。


「両者、構え」


アレクシスが、剣を正眼に構えた。流麗な構え。重心は低く、足運びは軽い。


レオンハルトが、剣を上段に構えた。力強い構え。全身のばねを、一撃に込める姿勢。


「——始め!」


フィリップの手が、振り下ろされた。


レオンハルトが、動いた。


一歩目で地面を蹴り、二歩目で間合いを詰め、三歩目で——振り下ろした。


豪剣。


上段からの、全体重を乗せた一撃。練習用の剣とはいえ、直撃すれば肋骨が砕ける。


だが——アレクシスは、そこにいなかった。


半歩、横に滑るように動いている。レオンハルトの剣が、空を切った。


そのまま、アレクシスの剣が横薙ぎに——。


レオンハルトが、振り下ろした剣の軌道を強引に変え、横薙ぎを受け止めた。


がぎん、と鋼鉄がぶつかる音が、草原に響いた。


「……やるな」


レオンハルトが、低く呟いた。


「お互い様です」


アレクシスが、静かに答えた。


二人の剣が離れ、再び間合いが開く。


レオンハルトが、再び踏み込んだ。


今度は横薙ぎ。腰の回転を乗せた、重い一撃。


アレクシスが、剣で受ける——のではなく、刃の腹で滑らせるように受け流した。


レオンハルトの力が、そのまま横に逸れていく。


流麗な剣捌きだった。


力で受け止めるのではなく、力の方向を変える。柔よく剛を制す。アレクシスの剣術は、そういう剣だった。


レオンハルトの膂力は、アレクシスを上回っている。正面からぶつかれば、アレクシスが押し負ける。


だが——アレクシスは、正面からぶつからない。


受け流し、いなし、かわし、隙を窺う。


レオンハルトが攻め、アレクシスが捌く。


一合。二合。三合。


剣戟の音が、草原に響き渡る。


ギャラリーが、息を呑んで見守っていた。


アナスタシアが、両手を握りしめている。ドリゼラが、唇を噛んでいる。


メルヴィンが、目を細めて二人の動きを追っている。


麗良は——祈るような気持ちで、二人を見つめていた。


(どうか、二人とも、怪我をしないで……)


戦いは、膠着していた。


レオンハルトの豪剣は、確かに凄まじい。一撃一撃が重く、速く、鋭い。並の剣士なら、三合と持たずに叩き伏せられるだろう。


だが、アレクシスは並の剣士ではなかった。


刺客五人を相手に、剣一本で粘った男だ。レオンハルトの剣が重ければ重いほど、受け流した時の反動を利用して、カウンターの機会を窺える。


レオンハルトの攻撃を捌き、いなし、時に半歩退き、時に半歩踏み込む。


一見、防戦一方に見えるが——アレクシスの碧い瞳は、冷静にレオンハルトの動きを分析していた。


隙を、探している。


だが——隙がない。


レオンハルトもまた、一流の武人だった。攻めながらも、守りを忘れない。薔薇を刺した胸元は、常に剣で守られている。


「……隙を見せない」


レオンハルトが、剣を構え直しながら呟いた。


同じことを、考えていた。


アレクシスの防御は、鉄壁だった。どれだけ攻めても、薔薇に届かない。力で押しても、技で崩しても、するりとかわされる。


剣だけでは——勝てない。


レオンハルトは、決断した。


左腕に、魔力を集中させる。


掌の中で、空気が圧縮されていく。回転する。凝縮する。


旋風空弾丸ウインド・バレット


あの日、大型のクマをも怯ませた魔法。圧縮された空気が弾丸のように射出され、直撃すれば人間の体を吹き飛ばす。


レオンハルトの左手が、青白い光を帯びた。


アレクシスの碧い瞳が、それを捉えた。


旋風空弾丸。その威力は、森でのクマとの戦いで目の当たりにしている。


直撃すれば——練習用の剣の比ではない衝撃が、体を襲う。


レオンハルトの狙いは、読めていた。


旋風空弾丸は牽制。魔法を撃ち、アレクシスがかわしたところを、剣で薔薇を狙う。


つまり——かわせば、剣が来る。


かわさなければ、魔法が来る。


どちらを選んでも、不利。


レオンハルトの左手が、前に突き出された。


旋風空弾丸ウインド・バレット……!」


圧縮された空気が、回転しながら射出された。


弾丸のように。


まっすぐに、アレクシスの体に向かって。


アレクシスは——。


動かなかった。


かわさなかった。


旋風空弾丸が、アレクシスの鳩尾に——直撃した。


ごっ、という鈍い衝撃音。


アレクシスの体が、くの字に折れた。


動きが、止まった。


その隙を——レオンハルトは逃さなかった。


踏み込む。剣を振る。一閃。


刃が、アレクシスの胸元を薙いだ。


赤い薔薇の花弁が、宙に舞った。


散った。


アレクシスの薔薇が、散った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ