第十三話「二つの魂と、一つの体」 前編
一
秋が深まっていた。
屋敷の裏手にある庭で、アナスタシアとドリゼラが魔法の自主練習に励んでいる。メルヴィンは隠居先の小屋から、週に何度か足を運んで指導してくれていた。
今日は、いつもと少し違った。
見学者がいたのだ。
庭の端に置かれた椅子に、トレメイン夫人が腰掛けていた。
背筋を伸ばし、膝の上に手を重ね、鷲鼻の先をわずかに上向けて——いつもの威厳ある姿勢。だが、その目は、娘たちの練習を真剣に追っていた。
「炎よ!」
アナスタシアの掌から、炎が飛んだ。以前の蝋燭程度の火ではない。拳大の火球が、弧を描いて飛び、庭の隅に置かれた的——古い木箱——に命中した。箱が焦げ、小さな煙が上がる。
「氷よ!」
ドリゼラの足元から、氷の柱が生えた。地面を割って伸びる白い柱は、麗良の背丈ほどもある。先端は鋭く尖り、陽光を受けてきらきらと輝いていた。
「ふむ、二人とも上達したな。特にアナスタシア、火球の軌道が安定してきた。ドリゼラ、氷柱の生成速度が上がっておる」
メルヴィンが、満足そうに頷いた。
トレメイン夫人は、娘たちの成長ぶりを黙って見つめていた。
あの日——国境沿いの町で、ガルディアの魔導士部隊に襲われた夜。
トレメイン夫人は、娘たちをしのぐ魔力を持ちながら、何もできなかった。
杖は光っていた。魔力はあった。力はあった。
なのに——体が動かなかった。
恐怖に凍りつき、娘たちを庇うことしかできなかった。
あの無力感を、トレメイン夫人は忘れていなかった。
だから——今日、ここに来た。
娘たちの成長ぶりを見に来る、という名目で。
だが、本当の理由は——ほんの少しだけ、メルヴィンに教えを請いたかったのだ。
練習の合間に、トレメイン夫人がメルヴィンに歩み寄った。
「大魔導士様。少し、お時間をいただけますか」
「おや、マダム。どうされた」
「……私にも、少しだけ、教えていただけないかと」
メルヴィンの星のような目が、わずかに見開かれた。
そして——穏やかに、笑った。
「もちろんじゃ。待っておったよ、マダム」
二
「母様の得意な魔法はなに!?」
アナスタシアが、目を輝かせて駆け寄ってきた。
練習を中断して、母親の「授業」を見学するつもりらしい。ドリゼラも、興味深そうに近づいてくる。
メルヴィンは、トレメイン夫人の前に立ち、杖を地面に突いた。
「マダムの魔力の性質は、わしが初めて感じた時から気になっておった。攻撃向きではない。かといって、治癒でもない」
老人の目が、トレメイン夫人を見据えた。
「防御、じゃな」
「防御……?」
トレメイン夫人が、眉をひそめた。
「地味ですわね」
「地味と侮るなかれ」
メルヴィンが、杖を振った。
トレメイン夫人の前に、淡い光の壁が出現した。半透明の、青白い光でできた壁。空気が凝固したような、不思議な質感。
「これが防御魔法の基本形——魔力障壁じゃ。敵の攻撃や魔法を防ぐ壁を作り出す」
メルヴィンが、軽く杖を振って、小さな風の弾を障壁にぶつけた。
ぱん、と乾いた音がして、風の弾が弾かれた。障壁は、微動だにしない。
「だが、防御魔法の真髄は、ただ守るだけではない」
メルヴィンが、障壁に手を触れた。
すると——障壁が、前に動いた。
ゆっくりと、しかし確実に、前方に押し出されていく。
「展開した魔力の壁を前に押し出し、そのままぶつけることで、攻防一体の戦術にもなる。守りながら攻める。これが防御魔法の奥義じゃ」
障壁が、庭の隅の木箱に接触した。
ごっ、という鈍い音と共に、木箱が吹き飛んだ。
「すごい……!」
アナスタシアが、歓声を上げた。
「壁で殴るってこと? 力技ね!」
「力技とは失礼な。これは技術じゃ」
メルヴィンが、苦笑した。
「防御魔法も奥が深いぞ。壁の形状を変えれば、ドーム状にして全方位を守ることもできる。壁の密度を上げれば、大魔法すら弾く。そして——マダムの魔力量ならば、城壁に匹敵する障壁を展開することも、不可能ではない」
トレメイン夫人の目が、かすかに光った。
「……やってみてもよろしいかしら」
「もちろんじゃ。まずは、杖を構えて。守りたいものを思い浮かべろ、と言ったじゃろう。それは防御魔法でも同じじゃ。いや——防御魔法こそ、その想いが力になる」
トレメイン夫人が、小さな杖を構えた。
目を閉じる。
守りたいもの。
アナスタシア。ドリゼラ。
そして——。
一瞬だけ、シンデレラの顔が、脳裏を過ぎった。
杖の先端が、光った。
トレメイン夫人の前に、青白い光の壁が——メルヴィンが作ったものよりも、一回り大きな壁が、出現した。
「おお……!」
メルヴィンが、感嘆の声を漏らした。
「初めてでこの規模か。やはり、とんでもない魔力じゃな、マダム」
トレメイン夫人は、自分が作り出した障壁を見つめていた。
青白い光が、秋の陽光の中で揺らめいている。
「……これが、私の力」
呟いた。
その声には、驚きと——かすかな誇りが混じっていた。
三
それからしばらく、トレメイン夫人は娘たちと一緒に、メルヴィンの指導を受けた。
障壁の展開と維持。形状の変化。前方への押し出し。
トレメイン夫人の上達は、驚くべき速さだった。潜在魔力の大きさもあるが、それ以上に——集中力が凄まじかった。一度やると決めたら、徹底的にやる。それが、この女性の気質だった。
「母様、すごい! もう壁を動かせるようになったの!?」
アナスタシアが、感心して声を上げた。
「当然よ。私を誰だと思っているの」
トレメイン夫人が、鷲鼻を高くして答えた。
だが、その口元には——珍しく、笑みが浮かんでいた。
「ねえ母様、せっかくだから、私たちの魔法も見て!」
アナスタシアが、母親の手を引いた。
「私、新しい技を覚えたの! 見てて!」
アナスタシアが両手をかざした。掌の間に、ふわりと金色の光が生まれる。
あの日、街道でメルヴィンが三人に髪飾りを作ってくれた時と同じ——温かく、柔らかい光。戦闘魔法の荒々しさとは対極にある、創造の魔法。
光が形を成していく。アナスタシアの眉間に、集中の皺が寄る。
光が収まった時——アナスタシアの掌の上に、小さなピアスが載っていた。
ルビーのような深い赤色。繊細な細工で、小さな薔薇の形をしている。
「大魔導士様に教わったの。魔力を光に変えて、そこからイメージした形を作り出す技術。……戦闘には使えないけど、きれいなものが作れるようになったの!」
「私も!」
ドリゼラが、同じように両手をかざした。淡い青白い光が掌の間に灯り、形を変えていく。
出来上がったのは、サファイアのような澄んだ青色のネックレスだった。小さな雫の形をした石が、光の鎖で繋がれている。
「母様、つけて!」
「え、ちょっと……」
トレメイン夫人が戸惑う間に、アナスタシアがピアスを母親の耳元に留め、ドリゼラがネックレスを首にかけた。
「似合うわ、母様!」
「ちょっと、勝手に……!」
口では文句を言いながら、トレメイン夫人は——娘たちの手作りの装飾品を、外さなかった。
赤い薔薇のピアスが、陽光を受けてきらきらと輝いている。青い雫のネックレスが、胸元で静かに光っている。
どちらも、数時間で消えてしまう魔法の産物。
でも——。
「……悪くないわね」
トレメイン夫人が、小さく呟いた。
メルヴィンは、少し離れた場所から、その光景を眺めていた。
母と娘が、魔法で笑い合っている。
「……本来、魔法というものは、こうして人を笑顔にするものなのじゃがな」
以前も言った言葉を、もう一度、噛みしめるように口にした。




