第十話「灰かぶりの新しい服」 後編
四
翌朝。
麗良が目を覚ますと、枕元に——見慣れないものが置かれていた。
衣服だった。
ぼろぼろのワンピースではない。普通の、清潔な、まともな衣服。
白いブラウスに、深い青のスカート。エプロンは薄い水色で、小さな花の刺繍が施されている。質素だが、丁寧に仕立てられた、きちんとした服。
そして、その下には——下着。
ちょっとお洒落なデザインの、明らかに新調されたもの。レースの縁取りがあり、肌触りの良さそうな生地。
麗良は、しばらくそれを見つめていた。
「…………え?」
寝ぼけているのかと思い、目をこすった。
まだ、ある。
夢ではない。
「……これ、誰が……」
部屋の隅に、小さなメモが置かれていた。
トレメイン夫人の、几帳面な筆跡。
『シンデレラへ。今後はこちらを着なさい。以前の衣服は処分すること。——トレメイン』
麗良は、メモを三回読み返した。
継母が。あのトレメイン夫人が。新しい服を。しかも下着まで。
(……何が起きたの?)
混乱しながらも、新しい服に袖を通した。
ブラウスは柔らかく、スカートはちょうどいい丈で、エプロンは軽い。ぼろぼろのワンピースとは、着心地が天と地ほど違う。
鏡を覗き込んだ。
灰だらけの顔は変わらないが——服がまともになっただけで、印象がまるで違う。少なくとも、「虐待されている召使い」には見えなくなった。
「……お義母様」
朝食の支度をしに台所に行くと、トレメイン夫人がすでにいた。
いつもの鷲鼻。いつもの冷たい目。
だが、麗良の新しい服を一瞥して——小さく頷いた。
「サイズは合っているようね」
「あ、あの……ありがとうございます」
「礼には及ばないわ」
トレメイン夫人は、視線を逸らした。
「いかに義娘とはいえ、三国の王子に求婚される娘に、着古した衣装と下着を与えたのでは、私の沽券に関わるの。それだけのことよ」
素直に「あなたのために」とは、絶対に言わない。
あくまで「自分の体面のため」という建前を崩さない。
それが、トレメイン夫人という女性だった。
だが——麗良には、わかった。
社畜時代、口では「お前のためじゃない、会社のためだ」と言いながら、こっそり残業を手伝ってくれた先輩がいた。素直になれない人の優しさを、麗良は知っている。
「……ありがとうございます、お義母様」
もう一度、言った。
トレメイン夫人は、答えなかった。
ただ、鷲鼻の先が——ほんの少しだけ、赤くなっていた。
五
雑用を言いつけられるのは、やはりシンデレラだった。
朝食の支度。洗濯。掃除。買い出し。
それは変わらない。
だが——変わったものも、あった。
「シンデレラ、市場で卵を買ってきてちょうだい」
トレメイン夫人の声に、以前のような棘がない。命令ではなく、依頼の口調。
「シンデレラ、洗濯物干すの手伝おうか?」
アナスタシアが、信じがたいことを言った。
「……え?」
「な、何よ。別に深い意味はないわよ。ただ、今日は修行が午後からだから、午前中は暇なだけよ」
顔を赤くしながら、洗濯籠を持ち上げるアナスタシア。
麗良は、目を丸くした。
アナスタシアが。あのアナスタシアが。洗濯を手伝うと言っている。
「……ありがとうございます、お姉様」
「べ、別にお礼なんていらないわよ!」
ツンデレだった。完全なるツンデレだった。
ドリゼラも、以前のような陰湿な嫌がらせをしなくなっていた。掃除したばかりの床に泥靴で上がることも、わざと食器を割って片付けさせることも、もうない。
召使い扱いは変わらない。だが、きつく当たったり、いびったりすることは——なくなっていた。
麗良は、その変化を——静かに、噛みしめていた。
六
町の市場。
麗良が卵を買いに行くと、いつもとは違う反応が返ってきた。
「あら、あなたがトレメイン家の……」
卵売りのおばさんが、目を丸くした。
「三人の王子様に求婚されたっていう……!」
「あ、いえ、その……」
「まあまあ、こんなかわいい子だったのねぇ。灰だらけだから気づかなかったわ。卵、おまけしとくわよ!」
「え、いいんですか……?」
「いいのいいの! 王子様のお嫁さんになるかもしれない子から、正規の値段なんて取れないわよ!」
麗良は、困惑しながらも、おまけの卵を受け取った。
市場を歩くと、あちこちから声がかかる。
「トレメイン家のお嬢さんでしょう?」
「王子様、三人もいるんですって? 羨ましいわぁ」
「どの王子様を選ぶの?」
「あ、いえ、まだ何も……」
質問攻めだった。
麗良は、逃げるように市場を後にした。
(……すごいことになってる)
昨日まで、誰にも見向きもされなかった灰かぶりの召使いが、一夜にして町の有名人だ。
嬉しいような、恥ずかしいような、落ち着かないような。
複雑な気持ちで宿に戻ると——アナスタシアとドリゼラが、宿の前で、町の人々に囲まれていた。
「大魔導士様の弟子で、魔法の才能を認められたのですって?」
中年の女性が、感心した顔で言った。
「王子様を助けるなんて、すごいわ!」
同い年くらいの少女たちが、目を輝かせている。
アナスタシアは、鼻を高くしていた。
「そうよ! このわたしが大きな炎の魔法で、王子様をサポートしたの!」
胸を張って語るアナスタシア。「大きな炎の魔法」は、実際には蝋燭の炎を少し大きくした程度だったが——まあ、多少の誇張は、英雄譚にはつきものだ。
「王子様がね、言ってくれたのよ!」
ドリゼラも、負けじと声を張り上げた。
「『勇気ある人の姿は、いつだって美しいものだ』って!」
「きゃー!」
少女たちが、黄色い歓声を上げた。
「素敵……! 王子様にそんなこと言われるなんて、なんてロマンチックなの!」
「ねえ、魔法ってどうやるの? 私にもできる?」
「爵位をもらったんでしょう? バロネスって、すごいの?」
質問が、矢のように飛んでくる。
アナスタシアとドリゼラは、得意満面だった。
ちょっと話を盛っているところはあるが——ともかく、二人は輝いていた。
屋敷にいた頃の、意地悪で、不満げで、何かに焦っていた二人とは、別人のようだった。
魔法の才能を認められ、王子を助け、爵位を得て、町の人々に称えられている。
自分の価値を、自分の力で証明した。
だから——もう、誰かを虐げる必要がない。
麗良は、卵の籠を抱えながら、その光景を眺めていた。
(……よかったね、お姉様たち)
素直に、そう思えた。
「そろそろ修行の時間じゃぞ!」
宿屋の入り口から、メルヴィンの声が響いた。
紫色のローブの老人が、杖を突きながら出てくる。
「おしゃべりもいいが、才能は磨かねば錆びるぞ。さあ、行くぞ」
「はーい!」
アナスタシアとドリゼラが、町の人々に手を振って、駆け出した。
「待ってよ、大魔導士様!」
「今日は何を教えてくれるの?」
二人の声が、秋の空に響く。
以前より、笑顔が増えている。声が明るい。足取りが軽い。
そして——魔法は、確実に強くなっている。
メルヴィンは、二人の背中を見ながら、白い髭の奥で微笑んだ。
「……若いというのは、いいものじゃな」
呟いて、杖を突きながら、二人の後を追った。
三つの影が、町はずれの草原に向かって、小さくなっていく。
麗良は、それを見送った。
卵の籠を抱えて。新しいブラウスの袖を、秋風に揺らしながら。
(……さて、私はどうしよう)
三人の王子に、求婚されている。
考える時間をもらった。
だが——考えれば考えるほど、わからなくなる。
アレクシス王子。舞踏会の夜から、ずっと想い続けてくれた人。ガラスの靴を持って、国中を探してくれた人。
フィリップ王子。記憶だけを頼りに、絵を描いて、探し続けてくれた人。
レオンハルト王子。不器用だけど、まっすぐに、命をかけて守ると誓ってくれた人。
三人とも、本気だ。
三人とも、真剣だ。
そして——三人とも、一国の王子だ。
麗良が選ぶ相手は、この国の——いや、三つの国の未来に影響を与える。
(……社畜時代は、どの案件を優先するかで悩んでたけど。まさか、どの王子様を選ぶかで悩む日が来るとは)
麗良は、秋の空を見上げた。
高く、澄んだ空。
答えは——まだ、見つからなかった。
第十話「灰かぶりの新しい服」——了
第十一話「花の冠と、紅茶の午後」に続く




