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第九話「三人の王子と、灰かぶりの姫」 後編

あり得ない光景だった。


宿屋の前の、狭い通り。


夕暮れの茜色の光の中で、三人の王子が——一人の少女の前に、それぞれ膝をついていた。


アレクシスは、ガラスの靴を差し出したまま。


フィリップは、白い花を手にしたまま。


レオンハルトは、何も持っていなかったが——その黒い瞳だけで、すべてを語っていた。


灰だらけの顔。ぼさぼさの金髪。ぼろぼろのワンピース。


その少女の前に、三つの国の王子が跪いている。


宿屋の二階の窓から、その光景を見ていた者たちがいた。


アナスタシアとドリゼラだった。


二人は、窓枠に手をかけたまま、石のように固まっていた。


目が、限界まで見開かれている。


口が、半開きになっている。


脳が、目の前の光景を処理することを拒否している。


「……ねえ、ドリゼラ」


アナスタシアが、かすれた声で言った。


「わたしたち、夢を見ているのかしら」


「……」


「魔法で王子様を助けたあたりから、夢だったのではないかしら。いえ、大魔導士様に魔法を教わったのも、兵士を吹き飛ばすのを見たのも、全部夢で、本当はまだ屋敷の寝台で寝ているのではないかしら」


「……確かめましょう」


ドリゼラが、アナスタシアの頬に手を伸ばした。


つねった。


「痛っ!」


「私もやって」


アナスタシアが、ドリゼラの頬をつねった。


「痛いっ!」


二人は、赤くなった頬を押さえながら、顔を見合わせた。


「……夢ではないみたい」


「夢ではないわね」


二人は、再び窓の外を見た。


三人の王子が、灰かぶりのシンデレラの前に跪いている。


「……あの灰かぶりが、舞踏会の美姫だったの……?」


アナスタシアの声が、裏返った。


「三人の王子様が、全員、あの子に……?」


ドリゼラの声も、裏返った。


二人の脳内で、これまでの記憶が猛烈な速度で再生されていた。


毎日こき使っていた召使い。灰だらけの顔。ぼろぼろの服。「灰かぶりに何の才能もあるわけないわ」と笑った記憶。掃除したばかりの床に泥靴で上がった記憶。


その「灰かぶり」が——三国の王子に求愛されている。


「…………」


「…………」


二人は、そっと窓から離れた。


そして、寝台に腰を下ろし、天井を見つめた。


「……世界って、わからないものね」


「……ほんとにね」


それ以上の言葉は、出なかった。


宿屋の前。


麗良は、三人の王子に囲まれて——呆然としていた。


右足にはガラスの靴。左手には白い花。目の前には三人のイケメン王子。


情報量が、多すぎる。


脳の処理能力が、完全にオーバーフローしていた。


「あなたのような人に、灰かぶりの召使いは似合わない」


フィリップが、膝をついたまま、穏やかに言った。


「ヴァレンティアの豪奢な宝石と衣装こそが、あなたに相応しい。俺の国に来てくれれば、世界中の美しいものを、すべてあなたに捧げよう」


甘い言葉だった。チャラいと言えばチャラいが、その碧い瞳は真剣だった。


「私は……気の利いたことは何も言えぬ」


レオンハルトが、不器用に口を開いた。


「宝石も、衣装も、甘い言葉も、私には持ち合わせがない。だが——この剣に誓おう」


腰の長剣の柄に手を置いた。


「何があっても、あなたを守り抜く。この命に代えても」


武骨な言葉だった。飾り気がない。だが、その黒い瞳には——嘘のない、まっすぐな想いが燃えていた。


「舞踏会の夜から」


アレクシスが、静かに言った。


「一時も……忘れたことはなかった。忘れられなかった」


碧い瞳が、麗良を見つめている。


「あなたの名前を聞けなかった夜。あなたが走り去った夜。靴を手がかりに国中を探した日々。国境紛争で捜索を中断せざるを得なかった日々。——その間、ずっと、あなたのことだけを想っていた」


三人の言葉が、夕暮れの空気の中に溶けていく。


麗良は——。


何も言えなかった。


口を開こうとしても、言葉が出てこない。


嬉しいのか、戸惑っているのか、怖いのか、幸せなのか——自分でもわからない。


全部だ。全部が、同時に押し寄せてきている。


二十七年間、彼氏いない歴イコール年齢だった女が。


三人の王子に、同時に求愛されている。


(……これ、夢? お姉様たちじゃないけど、私も夢を見てるんじゃ……)


頬をつねりたかったが、両手がふさがっていた。右手は箒。左手は花。


「……あ、あの」


かろうじて、声を絞り出した。


「わ、私……その……」


言葉にならない。


三人の王子の視線が、一斉に麗良に注がれている。


碧い瞳。碧い瞳。黒い瞳。


三対の目に見つめられて、麗良の思考回路は完全にショートしていた。


「……突然のことだ」


フィリップが、すっと立ち上がった。


場の空気を読む力は、三人の中で随一だった。


「彼女にも、考える時間が必要だろう」


アレクシスとレオンハルトが、フィリップを見た。


「今日のところは、ここまでにしないか。会談も終わったばかりだ。我々も、彼女も、少し頭を冷やす時間がいる」


フィリップの提案は、合理的だった。


アレクシスが、静かに頷いた。


「……そうだな。急かすつもりはない」


レオンハルトも、無言で頷いた。


三人の王子が、立ち上がった。


それぞれが、麗良に一礼して——去っていく。


アレクシスは、最後に振り返って、小さく微笑んだ。


フィリップは、ウインクを一つ残した。


レオンハルトは、振り返らなかった。だが、その背中は——少しだけ、寂しそうだった。


三つの足音が、夕暮れの通りに消えていく。


麗良は、宿屋の前に一人残された。


右足にガラスの靴。左手に白い花。そして、箒。


「…………」


しばらく、立ち尽くしていた。


夕日が沈んでいく。茜色の空が、紫に変わっていく。


「…………はぁぁぁぁぁ」


麗良は、その場にへたり込んだ。


膝から、力が抜けた。


「……何これ。何なのこれ。シンデレラって、こんな話だったっけ……」


違う。断じて違う。


シンデレラは、王子様は一人だ。ガラスの靴を持ってきてくれる王子様が一人いて、靴がぴったり合って、めでたしめでたし。


三人の王子に同時に求愛されるシンデレラなど、どの絵本にも載っていない。


「……どうしよう」


呟いた。


国家間の争いは、静まろうとしている。


だが——今度は、極めて個人的な問題が、麗良の前に立ちはだかっていた。


三人の王子。


三つの想い。


一人のシンデレラ。


恋の戦いが——始まろうとしていた。


第九話「三人の王子と、灰かぶりの姫」——了


第十話「灰かぶりの新しい服」に続く

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