第九話「三人の王子と、灰かぶりの姫」 後編
六
あり得ない光景だった。
宿屋の前の、狭い通り。
夕暮れの茜色の光の中で、三人の王子が——一人の少女の前に、それぞれ膝をついていた。
アレクシスは、ガラスの靴を差し出したまま。
フィリップは、白い花を手にしたまま。
レオンハルトは、何も持っていなかったが——その黒い瞳だけで、すべてを語っていた。
灰だらけの顔。ぼさぼさの金髪。ぼろぼろのワンピース。
その少女の前に、三つの国の王子が跪いている。
宿屋の二階の窓から、その光景を見ていた者たちがいた。
アナスタシアとドリゼラだった。
二人は、窓枠に手をかけたまま、石のように固まっていた。
目が、限界まで見開かれている。
口が、半開きになっている。
脳が、目の前の光景を処理することを拒否している。
「……ねえ、ドリゼラ」
アナスタシアが、かすれた声で言った。
「わたしたち、夢を見ているのかしら」
「……」
「魔法で王子様を助けたあたりから、夢だったのではないかしら。いえ、大魔導士様に魔法を教わったのも、兵士を吹き飛ばすのを見たのも、全部夢で、本当はまだ屋敷の寝台で寝ているのではないかしら」
「……確かめましょう」
ドリゼラが、アナスタシアの頬に手を伸ばした。
つねった。
「痛っ!」
「私もやって」
アナスタシアが、ドリゼラの頬をつねった。
「痛いっ!」
二人は、赤くなった頬を押さえながら、顔を見合わせた。
「……夢ではないみたい」
「夢ではないわね」
二人は、再び窓の外を見た。
三人の王子が、灰かぶりのシンデレラの前に跪いている。
「……あの灰かぶりが、舞踏会の美姫だったの……?」
アナスタシアの声が、裏返った。
「三人の王子様が、全員、あの子に……?」
ドリゼラの声も、裏返った。
二人の脳内で、これまでの記憶が猛烈な速度で再生されていた。
毎日こき使っていた召使い。灰だらけの顔。ぼろぼろの服。「灰かぶりに何の才能もあるわけないわ」と笑った記憶。掃除したばかりの床に泥靴で上がった記憶。
その「灰かぶり」が——三国の王子に求愛されている。
「…………」
「…………」
二人は、そっと窓から離れた。
そして、寝台に腰を下ろし、天井を見つめた。
「……世界って、わからないものね」
「……ほんとにね」
それ以上の言葉は、出なかった。
七
宿屋の前。
麗良は、三人の王子に囲まれて——呆然としていた。
右足にはガラスの靴。左手には白い花。目の前には三人のイケメン王子。
情報量が、多すぎる。
脳の処理能力が、完全にオーバーフローしていた。
「あなたのような人に、灰かぶりの召使いは似合わない」
フィリップが、膝をついたまま、穏やかに言った。
「ヴァレンティアの豪奢な宝石と衣装こそが、あなたに相応しい。俺の国に来てくれれば、世界中の美しいものを、すべてあなたに捧げよう」
甘い言葉だった。チャラいと言えばチャラいが、その碧い瞳は真剣だった。
「私は……気の利いたことは何も言えぬ」
レオンハルトが、不器用に口を開いた。
「宝石も、衣装も、甘い言葉も、私には持ち合わせがない。だが——この剣に誓おう」
腰の長剣の柄に手を置いた。
「何があっても、あなたを守り抜く。この命に代えても」
武骨な言葉だった。飾り気がない。だが、その黒い瞳には——嘘のない、まっすぐな想いが燃えていた。
「舞踏会の夜から」
アレクシスが、静かに言った。
「一時も……忘れたことはなかった。忘れられなかった」
碧い瞳が、麗良を見つめている。
「あなたの名前を聞けなかった夜。あなたが走り去った夜。靴を手がかりに国中を探した日々。国境紛争で捜索を中断せざるを得なかった日々。——その間、ずっと、あなたのことだけを想っていた」
三人の言葉が、夕暮れの空気の中に溶けていく。
麗良は——。
何も言えなかった。
口を開こうとしても、言葉が出てこない。
嬉しいのか、戸惑っているのか、怖いのか、幸せなのか——自分でもわからない。
全部だ。全部が、同時に押し寄せてきている。
二十七年間、彼氏いない歴イコール年齢だった女が。
三人の王子に、同時に求愛されている。
(……これ、夢? お姉様たちじゃないけど、私も夢を見てるんじゃ……)
頬をつねりたかったが、両手がふさがっていた。右手は箒。左手は花。
「……あ、あの」
かろうじて、声を絞り出した。
「わ、私……その……」
言葉にならない。
三人の王子の視線が、一斉に麗良に注がれている。
碧い瞳。碧い瞳。黒い瞳。
三対の目に見つめられて、麗良の思考回路は完全にショートしていた。
「……突然のことだ」
フィリップが、すっと立ち上がった。
場の空気を読む力は、三人の中で随一だった。
「彼女にも、考える時間が必要だろう」
アレクシスとレオンハルトが、フィリップを見た。
「今日のところは、ここまでにしないか。会談も終わったばかりだ。我々も、彼女も、少し頭を冷やす時間がいる」
フィリップの提案は、合理的だった。
アレクシスが、静かに頷いた。
「……そうだな。急かすつもりはない」
レオンハルトも、無言で頷いた。
三人の王子が、立ち上がった。
それぞれが、麗良に一礼して——去っていく。
アレクシスは、最後に振り返って、小さく微笑んだ。
フィリップは、ウインクを一つ残した。
レオンハルトは、振り返らなかった。だが、その背中は——少しだけ、寂しそうだった。
三つの足音が、夕暮れの通りに消えていく。
麗良は、宿屋の前に一人残された。
右足にガラスの靴。左手に白い花。そして、箒。
「…………」
しばらく、立ち尽くしていた。
夕日が沈んでいく。茜色の空が、紫に変わっていく。
「…………はぁぁぁぁぁ」
麗良は、その場にへたり込んだ。
膝から、力が抜けた。
「……何これ。何なのこれ。シンデレラって、こんな話だったっけ……」
違う。断じて違う。
シンデレラは、王子様は一人だ。ガラスの靴を持ってきてくれる王子様が一人いて、靴がぴったり合って、めでたしめでたし。
三人の王子に同時に求愛されるシンデレラなど、どの絵本にも載っていない。
「……どうしよう」
呟いた。
国家間の争いは、静まろうとしている。
だが——今度は、極めて個人的な問題が、麗良の前に立ちはだかっていた。
三人の王子。
三つの想い。
一人のシンデレラ。
恋の戦いが——始まろうとしていた。
第九話「三人の王子と、灰かぶりの姫」——了
第十話「灰かぶりの新しい服」に続く




