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【第24話】孤独の記録

 航海日誌、Day 1566。

 昨夜、僕は一睡もできなかった。

 ミサキさんの食器。僕だけの足跡。僕の脳裏で、物理法則を無視した数々の矛盾が、警鐘のように鳴り響いていた。ミサキさんの優しい笑顔を見るたびに、僕の心は罪悪感と疑念で引き裂かれそうになる。


 確かめなければならない。

 たとえ、その真実が僕の心を完全に殺すことになったとしても。偽りの平穏の中で、ゆっくりと狂っていくよりは、ずっとマシだ。

 僕は、眠っているミサキさんの幻影に背を向け、一人、ブリッジへと向かった。広すぎる廊下に響く、僕一人の足音。それは、僕の存在を証明すると同時に、僕の孤独を際立たせていた。


 ブリッジのメインコンソール。その前に座り、僕は船内の全区画を記録し続ける、膨大な監視カメラのサーバーにアクセスした。震える指で、僕はまず、船長が失踪した「Day 1544」の記録を選択した。


 再生されたのは、展望デッキの映像だった。

 僕の記憶の中では、船長と二人きりで、宇宙の未来について、意味深な会話を交わしたはずの場所だ。


 しかし、モニターに映し出された光景は、僕の記憶を嘲笑っていた。

 そこにいたのは、僕、一人だけだった。

 僕は、誰もいない虚空に向かって、真剣な顔で頷き、何かを問い返し、そして、船長の言葉に深く感じ入ったかのように、神妙な面持ちで宇宙を眺めていた。船長の雄大なシルエットなど、どこにもない。ただ、ガラスに映る僕の姿が、滑稽な道化のように、一人芝居を演じているだけだった。


「嘘だ……」


 声が、漏れた。

 何かの間違いだ。映像が、改ざんされているんだ。そうに違いない。

 僕は、震える指で、次の記録を再生した。ジンと、最後に口論した「Day 1552」の、居住区画の廊下の映像。


 僕の記憶の中では、僕らは憎しみをぶつけ合い、取っ組み合いの喧嘩になったはずだった。


 だが、モニターの中の僕は、やはり一人だった。

 壁に向かって、何かを激しく叫んでいる。見えない敵を相手にするように、腕を振り回し、悲痛な動きを繰り返している。それは、口論などではなかった。ただ、孤独と恐怖に耐えきれなくなった男が、自分自身を傷つけるように、虚空を殴りつけているだけの、痛々しい記録だった。


 息が、できなくなる。

 僕は、最後の望みを賭けて、後藤主任が消えた「Day 1558」の、機関室の映像を再生した。


 僕の記憶の中では、後藤主任は僕の目の前で、あの黒い影に飲まれて消えたはずだ。


 モニターの中の僕は、機関室の床に座り込み、一点を凝視していた。やがて、何かに怯えるように叫び声をあげると、そのまま気を失い、床に崩れ落ちた。

 そこには、後藤主任も、ましてや黒い影など、最初からどこにも存在していなかった。


 船長も、ジンも、後藤主任も。

 僕が尊敬し、親しみ、そして憎んだ仲間たちは、全て。

 僕の脳が生み出した、幻。


 僕は、サーバーへのアクセスを止め、最後の、そして最も恐ろしい確認作業に入った。

 僕の記憶の中で、最も確かで、最も温かかったはずの記憶。船長も、ジンも、後藤主任も、そしてミサキさんも、全員が揃っていた、あの日の食堂の映像だ。


 僕の記憶の中では、船長が僕らを労い、ジンが軽口を叩いて後藤主任に諌められ、ミサキさんが優しく微笑んでいた、あの賑やかな食卓。


 しかし、モニターに映し出されたのは、地獄だった。


 食堂の広いテーブルに、僕が、たった一人で座っている。

 そして、僕は、虚空に向かって話しかけていた。

「美味しいですよ、船長」と、穏やかな声で頷き、

「またそんなことを言って、ジン」と、楽しそうに笑い、

「後藤主任も、たまにはどうです?」と、悪戯っぽく語りかけ、

「ミサキさんのスープは、本当に最高だ」と、幸せそうに目を細める。


 一人で、五人分の会話を演じている。

 一人で、存在しない仲間たちの存在を信じ、一人で笑い、一人で頷き、一人で完璧な日常を構築している、一人の狂った男の姿が、哀れな標本のように、ただそこにあるだけだった。


 この船には、最初から、僕一人しかいなかった。

 父親も、友人も、監視者も、そして、愛する人さえも、全て、僕一人の狂気が作り出した、壮大な舞台装置だったのだ。


「……あ……ああ……ぁ……」


 言葉にならない声が、乾いた喉から漏れ出た。

 涙さえ、もう出なかった。僕の心は、完全に砕け散り、その破片さえも、虚無の風に吹き飛ばされて、消えてしまったようだった。

 僕は、コンソールに突っ伏した。もう、何も考えたくなかった。何も、感じたくなかった。


 静まり返ったブリッジに、不意に、優しく、そして鈴が鳴るような、聞き慣れた声が響いた。

 現実には、いるはずのない、声が。


「どうしたの、アキトさん。そんなに青い顔をして」


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