【第16話】機関室への道
ブリーフィングルームのドアが、僕の背後で重々しい音を立てて閉まった。その音は、ミサキさんとの、そして束の間の安全との完全な断絶を意味していた。
一歩踏み出した廊下の空気は、水のように重く、僕の肺にまとわりついた。息を吸っても、吸っても、頭の中に酸素が届かない。視界の端が、じわりと黒く滲んでいく。
僕らの進む先を照らすのは、壁に設置された非常灯の、頼りない赤い光だけだった。その光は、長い廊下をまるで巨大な生物の血管のように見せ、僕らはその中を進む、ちっぽけな異物になったような気分だった。
背後には、常に後藤主任の気配がある。彼の持つスタンガンの銃口が、背骨の一点に突きつけられているような、絶え間ないプレッシャーが僕の歩みをぎこちなくさせた。
「……ッ」
不意に、船体のどこか遠くで、金属が引き裂かれるような甲高い音が響いた。僕は思わず足を止める。船が、断末魔の悲鳴を上げているようだ。
「止まるな」
背後から、後藤主任の低い声が飛ぶ。僕は、再び重い足を引きずり始めた。
僕らは、無言で歩き続けた。聞こえるのは、僕らの荒い呼吸と、船のあちこちから聞こえる不気味な軋み音だけだ。
僕は、後ろを歩く後藤主任の横顔を、ちらりと盗み見るように観察した。
彼は、いつもと変わらず、鉄のような仮面を被っているように見えた。だが、注意深く見れば、その冷静さの裏に、隠しきれないものが滲んでいるのが分かった。額に浮かんだ、脂汗。いつもよりわずかに早い、彼の呼吸のリズム。そして、壁の計器パネルを確認する彼の目が、一瞬だけ、焦点が合わずに彷徨う。
この人も、怖いんだ。
僕と同じように、すぐそこにある死の気配に、怯えているんだ。
その当たり前の事実に気づいた時、僕の彼に対する感情が、ほんの少しだけ変化したような気がした。彼は、冷酷な監視者であると同時に、この宇宙でたった二人しか残っていない、僕の「仲間」なのかもしれない。
長い廊下の中ほどまで来た時だった。
後藤主任が、ぽつりと、誰に言うでもなく呟いた。
「……速水が生きていれば、こんなことにはならなかった」
その声は、僕が今まで聞いた彼のどの声とも違い、わずかな悔しさを滲ませていた。
「アイツは、口は悪いが腕は確かだった。そして、この船の誰よりも、船を愛していた……。こんな無様な姿を晒したら、きっと腹を抱えて笑うだろうな」
彼は、機関士としてのジンを、確かに信頼していたのだ。
そして、彼は続けた。
「船長は、何かを知っていたのかもしれん。この事態を予見して、お前に『記録』を託した……。あの人は、いつもそうだ。気高く、そして、一人で全てを背負いすぎる」
それは、亡き船長への、彼なりの敬意と、そしてわずかな批判が混じった、複雑な独白だった。
僕は、何も答えられなかった。ただ、前に向かって歩くことしかできない。
やがて、長い廊下の突き当たりに、目的の扉が見えてきた。機関室へと続く、分厚く巨大な円形の気密扉だ。
扉に近づくにつれて、不気味な音が大きくなっていく。それは、機械が規則正しく動く音ではない。何か巨大なものが、不規則に喘ぎ、熱に浮かされたように唸っている音だった。
後藤主任は、扉の前で立ち止まり、スタンガンを構え直した。
そして、僕に、いや、彼自身に言い聞かせるように言った。
「ここから先は、奴のテリトリーかもしれん。気を抜くな」
扉の隙間から、異常な熱気と、何かが焦げ付くような匂いが、じわりと漏れ出している。
僕は、ごくりと唾を飲み込んだ。
扉の向こう側で、機械仕掛けの悪夢が、その顎を大きく開けて、僕らが来るのを待っている。




