【第15話】二対一の賭け
後藤主任の問いかけが、酸素の薄くなった部屋に重く響く。
「誰が行き、誰が残る?」
頭の中に、白い霧がかかったようだ。思考が、まとまらない。一つ一つの言葉が、意味を結ぶ前に霧散していく。ただ、このままでは数十分後、僕らは全員、意識を失い、二度と目覚めることはないということだけは、嫌というほど理解できた。
沈黙を破ったのは、僕だった。
僕が、ジンを追い詰めた。僕が、船長からの言葉を抱え込んだせいで、事態を悪化させた。その罪悪感が、僕を突き動かした。
「僕が、行きます」
声が、自分でも驚くほどかすれていた。
「僕が一人で機関室へ行って、バルブを開けます。二人とも、ここで待っていてください」
「駄目だ」
僕の申し出は、後藤主任によって即座に、そして冷酷に却下された。
「お前は最重要容疑者だ。お前を一人で機関室へ行かせて、この船ごと破壊させるつもりか。あまり、私を試すな」
彼の視線は、もはや僕を人間として見ていなかった。ただ、排除すべきリスクとして捉えているだけだった。
「じゃあ……」ミサキさんが、震える声で一歩前に出た。「私が、行きます……」
しかし、その言葉はすぐに、恐怖に飲まれて消えていく。
「でも、一人じゃ怖い……それに、機械のことも、何も分かりません……」
彼女は、その場に崩れ落ちそうになるのを、必死で堪えているようだった。
「俺が行くのが一番確実だ。だが……」
後藤主任が、苦々しげに言葉を濁す。彼が機関室へ向かえば、ここには僕とミサキさんが残される。僕が犯人だった場合、彼はミサキさんという人質を見捨てることになる。ミサキさんが犯人だった場合、彼女にステーションの中枢を明け渡すことになる。どの選択肢も、致命的なリスクを孕んでいた。
議論は、完全に手詰まりだった。
警告音が、僕らの焦りを嘲笑うかのように、単調なリズムを刻み続ける。酸素濃度は、19%を、切っていた。
その、絶望的な沈黙を破ったのは、ミサキさんだった。
彼女は、涙で濡れた顔を上げた。その瞳には、恐怖だけでなく、必死の覚悟のような光が宿っていた。
「主任と、アキトさんが、二人で行ってください」
その言葉に、僕と後藤主任は、はっと彼女の顔を見た。
「主任がいれば、アキトさんを監視できます」彼女は、言葉を続けた。「それに、アキトさんは植物に詳しいから……その……生命維持システムの構造にも、少しは詳しいかもしれません。何より、男の人が二人いた方が、何かあった時に、力仕事も……」
一見、それはか弱い彼女が考えうる、最も合理的で、理に適った提案に聞こえた。
「私は、ここに残ります」
彼女は、自分の胸を叩いた。
「このコンソールから、通信で、お二人を監視します。私も、ただ怯えているだけじゃなくて……戦いますから」
後藤主任は、数秒間、ミサキさんの顔をじっと見つめていた。彼女の提案を、その真意を、値踏みするように。
やがて、彼は重々しく頷いた。
「……分かった。その案を採用する」
彼にとっても、監視対象である僕を直接コントロール下に置いて移動するのは、リスク管理の観点から最善だと判断したのだろう。そして、残るのが非力なミサキさん一人であれば、仮に彼女が犯人だったとしても、大規模な物理的破壊は起こしにくいと考えたに違いない。
僕も、その提案に異論はなかった。ミサキさんを危険な機関室へ行かせるより、僕が後藤主任の監視下で行く方が、何倍もマシだ。彼女が一人で残ることに、一抹の不安を覚えないわけではなかったが、もはや他に選択肢は残されていなかった。
「行くぞ、星島」
役割分担が決まると、後藤主任の動きは早かった。彼は壁の緊急備品ロッカーから、非殺傷性の高電圧スタンガンを取り出すと、その黒い銃口を、真っ直ぐに僕に向けた。
「これは、お守りだ」
彼の目は、一切の感情を映していなかった。
「俺の半歩前を歩け。少しでも怪しい動きを見せたら、躊躇なくお前を無力化する」
僕は、何も言わずに頷いた。
最後に、僕はミサキさんの方を振り返る。「ミサキさんこそ、気をつけて」と声をかけるのが精一杯だった。
彼女は、青ざめた顔で、小さく、しかし強く頷いた。彼女の瞳の奥に浮かぶ感情が、僕らの身を案じるものなのか、それとも僕らが去るのを安堵するものなのか、酸素が欠乏した僕の頭では、もう判別がつかなかった。
後藤主任に背中を押され、僕はブリーフィングルームのドアを開ける。
一歩、薄暗い廊下へと足を踏み出す。
僕と後藤主任の、二人きりの危険な道行きが、今、始まった。




