第75話 拾った枕、寝ている間に『スゥ』になってました。
# 第75話 拾った枕、寝ている間に『スゥ』になってました。
――遭難四日目の夜。世界樹の地下。
誰もいない暗い洞窟の中で、私は久しぶりにぐっすり眠っていた。
唯:「すぅ……すぅ……」
頭の下には、今日拾ったばかりの幼体スライム。
ひんやり。ぷにぷに。
頭の形に合わせて柔らかく沈んでくれる。
岩とは比べものにならない。
唯:「んぅ……」
寝返りを打って、頬を押しつける。
むにゅぅ。気持ちいい。
もう岩には戻れない。
――そんな私の頭の下で。
小さな変化が始まっていた。
幼体スライムの身体の奥。
先ほど吸収した《深紅のダンジョンコア魔石》が、ゆっくりと溶けるように消えていく。
赤い光が広がる。それを包み込む半透明の身体が、淡く光った。
ぷるっ。
さらにもう一つ。
眠っている私から零れ落ち、取り込まれたもの。
ほんの一滴。それが混ざった瞬間――。
《近接個体に特殊変質を確認しました》
唯:「すぅ……」
《個体情報との高い同調を確認》
唯:「……すぅ……」
《個体情報を登録します》
私は起きない。
四日ぶりの安眠を邪魔できるものなど、今の私には存在しない。
《名称を設定してください》
唯:「すぅ……すぅ……」
《…………》
《名称――スゥ》
《個体情報を登録しました》
ぷるん。私の頭の下で。
名前をもらった小さなスライムが、一度だけ震えた。
◇
唯:「…………」
柔らかい。あったかい。
いや、ちょっとひんやり。
すごく気持ちいい。
(あと五分……)
そう思って、枕を抱き寄せようとする。
すかっ。
唯:「…………ん?」
手が空を切った。もう一度。
すかっ。
唯:「…………」
目を開ける。岩。
唯:「…………」
頭の下。岩。
唯:「私の枕は!?」
飛び起きた。いない!
昨日見つけた最高の枕がいない!
唯:「どこ!? 私のスライム!」
周囲を見回す。
右。岩。
左。世界樹の根。
後ろ。壁。
唯:「逃げた!?」
あんなに仲良くしたのに!
一緒に探索したじゃん!
いっぱい話したじゃん!
ほぼ私しか喋ってなかったけど!
唯:「スライムー!」
立ち上がった、そのとき。
ぷるん。
唯:「……ん?」
足元。何かが動いた。
昨日のスライムより、ほんの少し大きい。
半透明だった身体には、うっすらと赤みが差している。
その小さなスライムが、私の足へ寄ってきた。
ぷに。
唯:「…………」
足首にくっつく。
唯:「……君?」
ぷるん。
唯:「昨日の枕?」
ぷるぷる。なんか変わってない?
寝る前より大きくなってる気がする。
それに色も違う。
唯:「《鑑定》!」
《スゥ》
《Lv.1》
《種族:スライム》
《個体情報の一部を取得できません》
《種族特性:《吸収》》
唯:「…………スゥ?」
誰?私はそんな名前知らない。
というか。
唯:「なんで名前ついてるの?」
スゥ:「スゥ」
唯:「喋ったぁ!?」
思わず一歩下がる。
スライムも私を追いかけて、ぷるんっと一歩――いや、一ぷるん進む。
スゥ:「スゥ」
唯:「……スゥ?」
スゥ:「スゥ!」
唯:「キャピ……」
会話できてる?
いや、できてない。
たぶん名前を言ってるだけ。
でも昨日は声なんて出してなかった。
(何が起きたの?)
寝る前と違うこと。
大きくなった。
色が変わった。
名前がついた。
喋るようになった。
唯:「…………あ」
嫌な予感がした。腰元へ手をやる。
唯:「…………」
ない。もう一度探す。
唯:「…………ない」
服の中。荷物。寝ていた場所。
どこにもない。
唯:「《深紅のダンジョン魔石》がない!?」
慌てて地面を探す。あれはガリアからもらったもの。
しかも後から《深紅のダンジョンコア魔石》だと分かった、とんでもなく重要な魔石だ。
なくしたでは済まない。
唯:「どこ!? どこいった!?」
スゥ:「スゥ?」
唯:「スゥも探して!」
スゥ:「スゥ!」
ぷるぷる動き始める。絶対分かってない。
私は寝ていた場所をひっくり返す。
ない。転がりそうな岩の隙間も探す。
ない。
唯:「嘘でしょ……」
そこで、ふと止まる。
昨日の《鑑定》。
『魔物の死骸・魔石などを体内へ取り込み、自身の成長に利用する』
そして。
『稀に高位・特殊な魔石を取り込んだ個体は、その性質に影響され、種族・存在が変化する場合がある』
ゆっくり振り返る。スゥがいた。
スゥ:「スゥ?」
ちょっと大きくなっている。
色も変わっている。
唯:「…………まさか」
近づく。スゥを持ち上げる。
スゥ:「スゥ!」
下から見る。横から見る。
透かして見る。当然、魔石は見えない。
唯:「食べた?」
スゥ:「スゥ!」
唯:「食べたの!?」
スゥ:「スゥ!」
唯:「どっち!?」
分からない!
でも状況的には、ものすごく怪しい。
唯:「私のダンジョンコア……」
がくり。
貴重な魔石が、まさか枕に食べられるなんて。
いや。待って。
そもそも、なんでこの子に名前がついてるの?
その瞬間。昨夜の記憶――ではなく。
システムの履歴が頭に浮かんだ。
《名称を設定してください》
《名称――スゥ》
唯:「…………」
さらに。なんとなく聞き覚えのある声。
(唯の寝息:『すぅ……すぅ……』)
唯:「…………」
私はスゥを見る。
スゥ:「スゥ!」
唯:「私じゃん!!」
洞窟に声が響いた。
唯:「寝息じゃん! それ!」
スゥ:「スゥ!」
唯:「名前つけてないよ!? 私、寝てただけだよ!?」
スゥ:「スゥ!」
唯:「なんで採用したのぉ!?」
システムは答えてくれない。いつも通りである。
唯:「……キャピ」
私は頭を抱えた。
◇
しばらくして。探索を再開することにした。
ダンジョンコアは気になる。
スゥに何が起きたのかも分からない。
《鑑定》でも情報の一部が取得できなかった。
でも。今ここで悩んでも答えは出ない。
何より、私はまだ遭難中だ。
唯:「今日こそ帰るよ」
スゥ:「スゥ!」
唯:「エマとクロエのところに」
スゥ:「スゥ!」
唯:「……分かってる?」
スゥ:「スゥ!」
唯:「分かってないね」
ぷるんっと跳ねたスゥが、私の足を登ってくる。
唯:「え、ちょっ――」
腰。背中。肩。
ぷにっ。そのまま肩の上に収まった。
唯:「…………そこ?」
スゥ:「スゥ」
どうやら、そこらしい。
私は肩のスゥを見る。
昨日までは、本当に一人だった。
何を言っても返事はない。
三日目には、それが耐えられなくなって泣いた。
でも今は。
唯:「行くよ、スゥ」
スゥ:「スゥ!」
ちゃんと返ってくる。
意味が通じているかは分からない。
何が起きたのかも分からない。
そもそも私が寝息でつけた名前だけど。
それでも。
唯:「……うん。いい名前かも」
スゥ:「スゥ?」
唯:「なんでもない」
少しだけ笑う。
そして、まだ見つからない出口へ向かって歩き出した。
唯:「じゃあ、行こっか。スゥ」
スゥ:「スゥ!」
遭難五日目。私はまだ帰れていない。
だけど――。今日からは、もう一人じゃなかった。
# 第75話 拾った枕、寝ている間に『スゥ』になってました。 完




