第25話 「人間と初めての夜」
# 第25話 人間と初めての夜
ぱちっ。
目の前で、焚き火が小さく爆ぜる。
唯:「…………」
私はその前に座って、じっと鍋を見つめていた。
鍋の中身を。
エマ:「唯……さっきからずっと見てるね」
唯:「だって……」
湯気と一緒に、ものすごくいい匂いが漂ってくる。
唯:「料理だよ……!」
エマ:「料理だね」
唯:「焼いただけのネズミじゃない……!」
エマ:「ネズミ食べてたの!?」
唯:「生きるためだから!」
血。
魔物。
たまに食べられそうなもの。
そんな食生活だった私の目の前に。
今。
**人間の料理がある。**
(文明……!)
素晴らしい。
◇
ガルド:「ほら」
木の器を渡される。
中には肉と野菜のスープ。
唯:「…………!」
(器を……手で持ってる!)
リン:「今度は器に感動してる」
唯:「だって手があるから!」
ミレイ:「まだそれやってるの?」
唯:「昨日まで翼だった人にしか、この感動は分からない!」
すくう。口へ運ぶ。
そして――。
唯:「…………」
エマ:「どう?」
唯:「…………おいしい」
温かい。
ちゃんと調理された食べ物。
唯:「おいしい……!」
もう一口。
さらに一口。
唯:「おいしい!」
ガルド:「分かったから落ち着いて食え」
唯:「だって、おいしいって言えるんだよ!」
ガルド:「……そっちか」
そう。ちゃんと。
**「おいしい」って言える。**
キャピじゃない。
それが、なんだか嬉しかった。
唯:「キャピ……」
リン:「結局キャピも言うんだ」
唯:「今のは幸せのキャピだからいいの!」
◇
食事が終わると、ガルドたちは野営の準備を始めた。
見張りの順番を決めたり。
荷物を整理したり。
毛布を広げたり。
私はそれを眺めているだけでも面白い。
(冒険者の野営だ……)
前世ならゲームや物語の中でしか見なかった光景。
しばらくすると、ガルドたちは交代で休むことになった。
焚き火のそばには、私とエマ。
二人だけ。火が小さく揺れている。
エマ:「……唯」
唯:「ん?」
エマ:「さっき言ってたよね。この洞窟で、ずっと一人だったって」
唯:「……うん」
エマ:「どれくらい?」
唯:「分かんない。洞窟だから、昼も夜も分からなかったし」
エマ:「寂しくなかった?」
唯:「…………」
少し考える。
唯:「最初は、それどころじゃなかったかな」
生きるので必死だった。
ネズミ一匹が怖かった。
明日まで生きていられるのか。
それしか考えられなかった。
唯:「でも……人には会いたかった」
エマ:「人に?」
唯:「うん」
私は焚き火を見る。
話すつもりなんてなかった。
少なくとも。
会ったばかりの人に言うような話じゃない。
でも。エマになら。
なぜか、少しだけ話してもいい気がした。
唯:「……エマ」
エマ:「なに?」
唯:「たぶん、信じられないと思うんだけど」
少し迷って。口を開く。
唯:「私ね。元々、人間だったんだ」
エマ:「…………え?」
当然の反応。
唯:「それも、この世界の人間じゃない」
エマ:「この世界じゃ……ない?」
唯:「うん。別の世界」
日本。
魔物なんていない世界。
魔法もない。
私はそこで普通の人間として生まれて。
学校へ行って。
大人になって。
働いていた。
唯:「それで……死んだ」
エマ:「…………」
唯:「死んだはずなんだけど、次に目を覚ましたら、この洞窟にいた」
私は背中の翼を少し動かす。
唯:「コウモリになってた」
エマ:「……それで?」
唯:「『キャピ』しか言えなくなってた」
エマ:「…………」
唯:「そこで笑うところじゃない?」
エマ:「笑えないよ!」
唯:「キャピ」
エマ:「もう……」
エマが困ったように笑った。
でも。
すぐに真剣な顔へ戻る。
エマ:「じゃあ……唯が人間に会いたがってたのって」
唯:「うん」
帰りたかったわけじゃない。
もう一度生きられるなら、この世界で生きてみたいと思った。
冒険したい。
美味しいものを食べたい。
お酒も飲みたい。
欲しいものを、今度はちゃんと欲しがってみたい。
でも。
唯:「ずっと一人は、嫌だったんだと思う」
口にして。
自分でも少し驚いた。
たぶん。
本当はそうだった。
エマ:「…………そっか」
唯:「……信じるの?」
エマ:「全部すぐに分かったとは言えないけど……」
エマが私を見る。
エマ:「でも、なんとなく納得した」
唯:「納得?」
エマ:「だって唯、魔物なのに変だったから」
唯:「ひどくない!?」
エマ:「そういう意味じゃなくて!」
エマが慌てる。
エマ:「私を助けてくれたし。泣いたり、笑ったり……人の言葉も分かってたみたいだったし」
少しだけ笑う。
エマ:「人間だったって聞いたら、だからだったんだって」
唯:「…………」
唯:「……エマには言っておきたかったのかも」
エマ:「私に?」
唯:「うん」
命を助けた。助けてもらった。
血までくれた。
まだ出会ったばかりなのに。
この世界で初めてできた、人との繋がりだったから。
エマ:「……そっか」
エマが少し嬉しそうに笑った。
◇
エマ:「あ」
唯:「ん?」
エマが私の身体を見る。
エマ:「唯、まだ怪我治りきってないでしょ」
唯:「え?」
言われてみれば。翼の骨折は治った。
でも盾で吹き飛ばされた身体には、まだ少し鈍い痛みがある。
進化した直後だからか、身体も妙に重い。
エマ:「もう少し……吸っていいよ」
エマが袖を捲る。
唯:「血?」
エマ:「うん」
唯:「でも、もう飛べるくらいには治ったよ?」
エマ:「無理しないの」
唯:「じゃあ……本当に少しだけ」
エマ:「うん」
差し出された腕を取る。
今度は二回目。
さっきよりは緊張しない。
……はずだった。
人の身体になったせいだろうか。
コウモリのときより、エマとの距離を近く感じる。
唯:「……いくね」
エマ:「うん」
腕にそっと牙を立てる。
エマ:「んっ……」
《吸血》
温かい血が流れ込む。
身体の奥へ、じんわりと力が戻ってくる。
やっぱり。
魔物の血とは違う。
それと同時に――。
私の身体から漏れていた何かが。
吸血を通じて、ほんのわずかに。
エマへ触れた。
――ドクンッ。
エマ:「…あっ…あっ……えっ?」
唯:「!」
すぐに牙を離した。
唯:「エマ?」
エマが胸元を押さえている。
唯:「どうしたの? 大丈夫?」
エマ:「…………」
唯:「エマ?」
エマ:「う、うん。大丈夫」
でも。頬が少し赤い。
唯:「本当に?」
エマ:「うん。急に心臓が……」
エマが自分の胸元を見る。
エマ:「びっくりしただけ……だと思う」
唯:「もう吸わない方がいい?」
エマ:「大丈夫。もう平気だから」
唯:「……ならいいけど」
エマ自身も分からないようだった。
だから。
その小さな異変を。
私たちは、そのまま流してしまった。
◇
やがて焚き火が小さくなる。
私は貸してもらった毛布に身体を包んだ。
唯:「…………」
柔らかい。
(毛布って最高……)
いつもの岩陰とは大違いだ。
近くにはガルド。
ミレイ。
リン。
リューク。
そしてエマ。
誰かが寝返りを打つ音。
小さな寝息。
焚き火が爆ぜる音。
今までの洞窟の夜とは、まるで違う。
ずっと。
眠るときは一人だった。
目を閉じても。
次に襲われないか。
何か近づいていないか。
そればかり気にしていた。
でも今夜は。
唯:「…………キャピ」
小さく呟く。
(なんか……安心する)
明日は。
グランガとアビスラのところへ行く。
その先がどうなるのかは、まだ分からない。
それでも。
人間になって初めての夜。
私は初めて――。
**この洞窟で、一人じゃないまま眠りについた。**
**――第25話 人間と初めての夜 完**




