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第34話 瑞希とこの葉 1

 花火を観たあと、部屋へと戻った私たちは、早めの就寝の準備を始めた。

 本当はもう少し遅くまで、この特別な夜を楽しみたかったけれど、ボランティア研修のための合宿所は、就寝時間が22時と決められていた。

 もともと研修という名目の合宿なので、そこはただの合宿の様にはいかない。

 布団を敷いて、各々が寝る態勢になってすぐに、律子先生は軽くいびきをかき始めた。


「あーあ、先生寝ちゃった」


 瑞希先輩は先生の顔を覗き込んでから、残念そうな顔をした。


「折角これからお喋りしようって思ってたのに」

「お酒だいぶ飲んでたもんねー、山田君だいぶ絡まれてたし」


 この葉先輩が先生の寝顔を見ながら苦笑する。

 確かに部屋に戻るまでずっと、康太は先生に絡まれていた。

 普段は優雅な物腰の先生だが、お酒が入ると、ただのおじさんみたいになっていた。

 豹変した先生に絡まれたく無くって、私たちは康太を生贄にしたままゆっくりと花火を見物させてもらった。

 花火のあと、何だか疲れた様子で部屋に戻って行った康太に、私は心の中でありがとうと言っておいた。


「じゃあ、ちょいとやりますか」


 就寝時間まであと30分。瑞希先輩は子供のように目を輝かせてリュックからお菓子とジュースを出してきた。

 どうやらそう易々と寝る気は無いらしい。


「もう瑞希、先生がいるのに無理だって」

「大丈夫、大丈夫。ああなったら先生なかなか起きないから」


 というわけで女子会が始まった。

 大入りのスルメの入った袋を開けて、ジュースで乾杯した後、いきなり瑞希先輩は私に質問してきた。


「そんで、アーちゃんはなんか進展あったの?」

「えっと、進展って?」

「とぼけないでいいから。山田君とどうなのよ」

「え? なに言ってんですか?」


 スルメを齧りながら探りを入れて来た先輩に、私は困惑するしかない。


「隠さなくっていいって。幼馴染で同じ部活で、どう見ても鉄板じゃない」

「いやいやいや、違いますって、完全に先輩の勘違いですって」

「ふーん、でもアーちゃんを追ってボランティア部に来たわけでしょ。運動部と兼部するなんて相当……」

「だからそうゆうんじゃないですから。この葉先輩、なんか言って下さいよ」


 助けを求めたつもりだったが、この葉先輩の反応は私の期待とは違っていた。


「瑞希、あんまし聞いたら野暮だよ。若いもんを困らせたら駄目よ」


 何だかお年寄りみたいに諭した。九州に住むおばあちゃんが一瞬私の頭に浮かんだ。


「そうだ。唄子は知ってるよね。先輩に違うってはっきり言ってやってよ」


 助けを求めた私に、唄子はニタリといやらしく笑った。


「恋ね」


 唄子の無責任なひと言で、先輩たちは「キャー」と黄色い声を上げた。


 それから散々全部吐くよう迫られたが、事実無根なので、当然何も出てこなかった。


「もうその話はやめて下さい。それより折角の機会ですし、先輩たちの話をして下さい」

「私らの?」


 瑞希先輩はスルメをムニャムニャしながら、この葉先輩と顔を見合わせた。


「ボランティアサークルを立ち上げた経緯を聞きたいなって、前から唄子と言ってたんです」

「あれ、話したこと無かったっけ?」

「はい。聞いてません」

「じゃあ、聞かせてあげるとしよう。我々の黒歴史を」


 あれ? 黒歴史なの? 

 ひょっとして聞いたらまずかった?

 その辺り、私は少し引っ掛かってしまったけれど、唄子はそのキーワードに惹きつけられたかのようで、隣で目を輝かせていた。



 中学一年の春、藤谷この葉は県立風ノ巻中学校へ転校してきた。

 丘の上に位置し、瀬戸内海を一望できる学校に、この葉は期待と不安を抱きつつ通い始めた。

 どちらかと言えば不便な場所にある学校には、既に小学校の延長の様に地元の生徒達の輪が出来ていて、都会から来た少女をクラスメートたちは遠巻きに眺めるばかりだった。

 そんな中で、一人だけ毛色の違う少女がいた。


「おいっす」


 最初に声を掛けられたのは、お昼休みに一人でお弁当を食べていた時だった。


「ここ、いい?」


 快活な印象のショートカットの女の子。それが谷井瑞希の第一印象だった。


「うん……」

「おじゃましまーす」


 何となく気後れしてしまったこの葉の前の席に、少女はドスンと尻を降ろした。

 何だかがさつな子だな……

 心の中で距離を取ると、少女はその距離を詰めるかの様に顔を近づけてきた。


「えっと、藤……藤井さん?」

「藤谷です」


 名前を憶えていない。かすってはいたが、ちょっと失礼な娘だった。

 少女はステンレス製の弁当箱をこの葉の席に置くと、さらに訊いてきた。


「で、下の名前は?」


 顔が近い。パーソナルスペースブレーカーだった。


「この葉……」

「この葉か、私は谷井瑞希。よろしくね」


 弁当箱を開けた瑞希は、そこに入っていた真っ赤なソーセージを一本箸で摘まむと、この葉の弁当箱の白米の上に置いた。


「お近づきの印だよ」


 それから谷井瑞希はお昼休みになると、必ず席の離れたこの葉のところに来ては一緒にお弁当を食べるようになった。

 友だちは欲しかったが、あまりグイグイ来るタイプは苦手だった。

 きっと自分には大人しい友達が合っている。この葉はそう思っていた。

 お昼休みはお弁当を一緒に食べてはいるけれど、その他の時間、谷井瑞希とは特に接点を持つことは無かった。つまり、単なる気まぐれでそうしているのだろうと解釈し、別にそれでいいと、この葉は納得していた。

 谷井瑞希を友達未満の関係だと位置づけていたこの葉だったが、気がつけばその姿を眼で追っていた。

 詳しくは知らないが、彼女は運動部に入っているような感じで、交友関係も広そうだった。

 授業中はたまに寝ている。そのぶん休み時間は人一倍元気だ。


 いったい何の部活に入っているのだろう。


 いつしかこの葉は、そんなことを考えるようになった。


 六月のある日、いつものようにお弁当を食べていると、谷井瑞希は唐突にこんなことを言って来た。


「今度の週末、うちへ来なよ」

「え? なに? いきなり」


 何の前触れも無く家に来いと言い出したクラスメートに、この葉は戸惑いを浮かべる。


「でも期末試験前だし……」

「だから誘ってんのよ」


 ようやく合点がいった。つまり適当な相手を利用して試験対策をしようという算段だ。

 彼女にしてみれば、私は何となく勉強の出来そうな丁度いいカモなのだろう。

 授業中たまに寝てるみたいだし、ノートもそんなに取れていない筈だ。赤点回避のために他人のノートをあてにしているに違いない。


「いいじゃん。友達でしょ」

「友達って……」


 利用しようとしているだけでしょ。

 心の裡でそう思いながらも、この葉は断る理由を思いつかないまま「いいよ」と返事をしてしまった。

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