# 第96話:世界樹への扉と、双子の襲撃
世界樹の、根元。
そこには、人が二人並んで通れるほどの、洞のような入り口があった。
内側から、淡い燐光が漏れ出している。まるで、樹そのものが、静かに呼吸をしているかのようだった。
「……ここが、入り口ですか」
アルトは、その洞を見上げた。
「ああ」
シャムシェルが、頷いた。
「普通の者が入れば、ただの、木の洞さ。だが……フィリア。あんたが触れれば、道が開く」
フィリアは、こくりと頷いた。
そして、震える手を、そっと、世界樹の幹に――当てた。
ひんやりとした、しかし温もりのある樹肌。指先が触れた瞬間、フィリアの体を、じん、と何かが駆け抜けた。
懐かしい。
この感覚を、知っている気がする。生まれるより、ずっと前から。
その瞬間。
世界樹全体が、大きく、脈打つように、光った。
枝という枝の葉が、一斉に、燐光を強める。洞の奥から溢れていた光が、津波のように押し寄せ、道を、照らし出した。ただの木の洞だったはずのそこに――どこまでも続く、荘厳な光の回廊が、現れる。
エルフたちが、どよめいた。何百年も閉ざされていた世界樹の道が、今、開いたのだ。
「……すごい」
シアが、息を呑んだ。
「本当に、道が……」
「世界樹が、あんたを主と認めた証さ」
シャムシェルは、フィリアの背を、ぽん、と叩いた。
「さあ、お行き。アルトと二人でね。……最後の断片は、この道の、一番奥にある」
「はい」
フィリアが、頷く。
アルトは、腰の鋏を、握りしめた。世界樹に近づいてから、ずっと震えていた鋏が――今は、まるで、喜ぶように、脈打っている。
「……行ってくる。シア、テラ、シャムシェルさん。ここは、頼む」
「はい! お気をつけて、アルト様!」
「ふん。さっさと行ってこい。ここは、任せておけ」
アルトとフィリアは、光の回廊へと、足を踏み入れた。
二人の姿が、光に包まれ――やがて、洞の奥へと、消えていく。
それを見届けると、洞の入り口は、再び、ただの木肌へと、閉ざされた。
◇
「……さて、と」
残されたシャムシェルが、ぽつりと呟いた。
その声の温度が、先ほどまでとは、明らかに、違っていた。
「シア。テラ。……気を抜くんじゃないよ」
「え……?」
シアが、戸惑う。
だが、次の瞬間。
里の、空気が――凍りついた。
澄んでいたはずの森の気配に、突如、ぬめりとした、悪意が混じる。木々のざわめきが、止まった。鳥の声が、消えた。
「……来たね」
シャムシェルの目が、鋭く、細められた。
その黄金の瞳が、里の外れ――森の暗がりを、睨む。
「隠れてないで、出てきな。天界の、鼠ども」
◇
くつくつ、と。
笑い声が、二つ。重なって、聞こえた。
森の影が、ぐにゃりと歪み、そこから、二つの人影が、滲み出るように、現れた。
一人は、白。
一人は、黒。
白い天使は、穢れなき純白の髪と衣を纏い、聖女のように、慈しみ深く微笑んでいた。その手には、光り輝く錫杖。
黒い天使は、闇のような黒髪と衣を纏い、酷薄に、嗜虐的に唇を吊り上げていた。その手には、黒く濁った、禍々しい鎌。
だが、その顔立ちは――寸分違わず、同じだった。まるで、光と影で、一人の人間を、二つに分けたかのように。
双子の、天使だった。
「みぃつけた」
白い天使――サリエルが、歌うように言った。その声は、鈴のように澄んでいて、それがかえって、不気味だった。
「せんだいの、きょくちょーさま」
黒い天使――サタネルが、嘲るように続けた。こちらは、粘つくような、低い声だった。
「こんなところに、隠れてたんだねぇ」
「五十年も、ぼくたち、探してたんだよ?」
シャムシェルの表情は、変わらなかった。
「……サリエルと、サタネル。清浄と、不浄の双子。天界諜報部の、飼い犬どもか」
「まあ、こわい」
「ひどい言われようだねぇ」
白と黒が、くすくすと笑う。
「でもね、局長さま。ぼくたち、お仕事で来たんだ」
「そう。この里に、【始まりの素体】と、設計図の器がいるって、聞いたからさぁ」
二人の天使の目が、ぎょろりと、シアたちを、そして閉ざされた世界樹の洞を、見た。
「渡してよ。ぜんぶ」
「渡さないなら……皆殺しに、するだけだけどねぇ」
その瞬間。
純白と漆黒の魔力が、二人の天使から、対を成すように、噴き上がった。
清らかな光と、穢れた闇。相反する二つの力が、絡み合い、里の空気を、軋ませる。エルフの戦士たちが、その圧に、思わず後ずさった。
「怯むな!」
シャムシェルが、エルフたちに向かって叫んだ。
「あいつらは、諜報部の刺客だ。数じゃない、質で攻めてくる! 里の者は、女王と、子どもらを、奥へ避難させな! ここは、あたしたちが食い止める!」
エルフたちが、弾かれたように動き出す。
シャムシェルは、シアとテラを、振り返った。
「シア。テラ。……アルトたちが戻るまで、この里、死んでも守り抜くよ!」
「はいっ!」
シアが、剣を抜いた。
「望むところだ!」
テラが、拳を構える。
穏やかだったエルフの里に。
戦いの、火蓋が、切られた。
◇
その頃。
アルトとフィリアは、光の回廊を、進んでいた。
外の異変を、二人は、まだ知らない。
回廊は、どこまでも、続いていた。光が、緩やかに脈打ち、まるで、生きた樹の血管の中を、歩いているかのようだった。周囲の壁は、半透明の琥珀のようで、その奥で、無数の光の粒が、ゆっくりと流れている。
不思議と、足音は響かなかった。まるで、世界そのものが、二人の歩みを、優しく包み込んでいるようだった。
「……アルト様」
フィリアが、ぽつりと言った。
その横顔は、光を受けて、どこか儚げだった。
「私、怖いです。世界樹の主とか、始まりの御方とか……そんな大きなもの、私に背負えるのかなって。ずっと、森で独りで魔法の練習をしてただけの、私なんかに」
「フィリア」
アルトは、立ち止まり、彼女を見た。
「大きなものを、背負う必要なんてない。お前は、お前のままでいい」
「でも……」
「ここまで来たのは、世界樹の主だからでも、最初の人類だからでもない。……エルダを、助けたいからだろ?」
フィリアが、はっと、顔を上げた。
「お前が、仲間を想う、その気持ち。それだけで、十分だ。難しいことは、後で考えればいい」
アルトは、優しく、笑った。
「……行こう。エルダが、待ってる」
「……はい!」
フィリアの顔から、迷いが、消えた。翡翠の瞳に、しっかりとした光が、戻る。
二人は、再び、歩き出す。
光の回廊の、その奥へ。
やがて――回廊の果てに、まばゆい光の扉が、見えてきた。
その向こうで、何が待っているのか。
アルトは、まだ知らない。
庭師として生きてきた自分が、その扉の奥で、己の「剪定」の意味と、真正面から向き合うことになるとは――この時は、まだ、知る由も、なかった。
(第96話 終)




