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# 第87話:星を失くした種族と、つくられた命



「お前たちは、天使を何だと思っている?」


 ゼルエルの問いに、シアが、おずおずと答えた。


「神様の、使い……でしょうか。空に住む、人より上位の存在……」


「――違う」


 ゼルエルは、静かに首を振った。


「天使はな、アルト。元々この世界の存在ですらない。……俺たちは、自分たちの星を失った、流れ者の種族だ」


 小屋の中が、静まり返った。


「星を、失った……?」


「ああ。遥か昔。俺たちには、故郷の星があった。だが、その星は――死んだ。理由は、もう誰も覚えていない。天変地異だったとも、自らの過ちで滅ぼしたとも言われている。とにかく、ある時を境に、俺たちの星は、生命を育む力を失った。大地は枯れ、海は涸れ、空気は毒に変わった」


 ゼルエルの声に、種族の記憶の重みが滲んだ。


「俺たちは、住む場所を失い、星々の海を彷徨う難民となった。星を求めて、ただひたすらに、宇宙を漂い続けた。……どれほどの時間が流れたのか、それすらも分からん。永遠とも思える、流浪の旅だ」


 ゼルエルの黄金の瞳が、遠くを見た。気の遠くなるような、過去を。


「長い、長い旅の果てに。俺たちは、ついに一つの星を見つけた。豊かな水を湛え、緑に満ち、生命の気配に溢れた、美しい星を。……それが、この世界だ。俺たちは、歓喜した。ようやく、安住の地を見つけたのだと」


 アルトは、息を呑んだ。


「だが、問題があった。この星は、当時の俺たちには、そのままでは住めなかった。大気が、合わなかったのだ。毒の満ちた空気。馴染まぬ環境。このままでは、俺たちは、この星に降り立つことすらできない」


「じゃあ……どうやって」


 フィリアが、震える声で尋ねた。

 ゼルエルは、しばらく沈黙してから、口を開いた。


「――作ったのだ。俺たちが、住めるように。星を、造り変えるための、『道具』を」


 炎が、ぱちりと爆ぜた。


「その道具こそが――人間だ」


 ◇


 誰も、言葉を発せなかった。


「人間は、もともと、この星には存在しなかった。俺たち天使が、この星を自分たちの住める環境に変えるために――作り出した、人工の生命体だ」


 ゼルエルの声は、淡々としていた。だが、その淡々とした響きが、かえって残酷だった。


「人間は、星を耕すために作られた。森を育て、土を肥やし、毒の大気を、少しずつ、俺たちの住める空気へと変えていく。命を増やし、緑を広げ、星全体を、ゆっくりと造り変えていく。気の遠くなるような、長い、長い時間をかけて」


 ゼルエルは、一度言葉を切った。


「俺たちは、お前たちを、俺たち自身に似せて作った。手を持ち、言葉を持ち、知恵を持つように。その方が、効率よく星を耕せるからだ。……だが、それが、後の誤算に繋がるとは、当時の誰も思っていなかった」


「お前たちは、この星を『庭』として整えるために、生み出された存在なのだ。俺たちが、後から移り住むための、な」


「そんな……」


 シアの声が、震えた。


「俺たち人間が……天使に、作られた……?」


「信じたくない気持ちは、分かる」


 ゼルエルは、静かに言った。


「だが、考えてもみろ。なぜ、人間だけが、これほど急速に文明を築いた? なぜ、人間だけが、これほど世界を作り変える力を持った? 森を拓き、土地を耕し、川の流れすら変える。……それは、お前たちが、そうするために『設計された』からだ」


 アルトは、自分の手を見下ろした。

 土を耕し、植物を育て、枯れた庭を蘇らせてきた、庭師の手。


 それが――人類そのものに刻まれた、役割だったというのか。自分が天職だと信じてきた庭仕事が、実は、生まれる前から組み込まれた「機能」でしかなかった。


 その事実は、奇妙な寒気を伴って、アルトの胸に染み込んでいった。だが同時に、不思議な納得もあった。なぜ自分が、これほどまでに土や緑を愛おしく感じるのか。その理由が、ようやく分かった気がした。


「お前たちが大地を耕すたびに、星は少しずつ、天使の住める環境に近づいていった。お前たちが文明を育てるたびに、毒の大気は薄まっていった。お前たちは――知らぬ間に、自分を捨てる者たちのために、星を整え続けてきたのだ」


 ゼルエルの声に、苦渋が滲んだ。


「そして、ついに。この星は――天使が、住める状態になった」


 炎が、揺れる。


「ならば、もう。耕すための道具は……要らない」


 アルトの背筋を、氷のような戦慄が走り抜けた。


「それが――『間引き』の、本当の意味だ」


 ◇


「間引き、は」


 ゼルエルは、ゆっくりと言った。


「人口を調整する作業なんかじゃない。天界にとって、あれは――不要になった道具を、廃棄する作業だ。畑を耕し終えた後、要らなくなった農具を捨てるように。星が完成に近づいた今、天界は、人間という存在そのものを、この星から……消そうとしている」


「そんな……っ、ふざけるな!」


 テラが、勢いよく立ち上がった。椅子が、音を立てて倒れる。


「私たちは、道具なんかじゃない! こうして生きてる! 飯を食って、笑って、怒って、誰かを大切に思って……ちゃんと、心を持って、生きてるんだ! それを、要らなくなったから捨てるだと!? そんなこと、許されてたまるか!」


 竜の血が、テラを激昂させていた。だが、それは、この場にいる全員の心の叫びでもあった。


「ああ。その通りだ」


 ゼルエルは、テラを真っ直ぐに見た。


「だが、天界は、そうは思っていない。いや――そう思わないように、している。お前たちが心を持つことを、認めてしまえば、間引きは『虐殺』になる。だから、天界は教え続けるのだ。『地上の者は、心を持たぬ道具だ』と。間引く側の、天使たちにすら」


 ゼルエルの黄金の瞳が、暗く沈んだ。


「今、地上を間引いている天使たちは……何も知らない。自分たちが何をしているのか、本当の意味を、知らされていないのだ。あいつらにとって、人間は――ただの、害虫でしかない。『自分たちの星に湧いた虫を、駆除しろ』。そう命じられて、疑いもなく、従っているだけだ」


 アルトの脳裏に、あの顔のない天使たちが浮かんだ。淡々と、機械的に、街を焼いていた、感情のない人形たち。


 そして――ティラエルの、あの言葉。

 あの軽薄な少年は、人間を殺すことに、罪悪感の欠片も抱いていなかった。当然だ。あいつにとって、人間は虫けらでしかないのだから。


「……だから、攻撃が、通じないんですか」


 フィリアが、ぽつりと言った。


「天使は、自分たちが作った存在に、害されるはずがない。だって――作った側、なんだから」


「そうだ」


 ゼルエルが、頷いた。


「お前たちの体には、設計の段階で、ある『制限』が刻み込まれている。『創造主たる天使には、決して傷をつけられない』という、絶対の枷がな。だから、お前たちがどれほど強くなろうと――天使にはかすり傷ひとつ負わせられない」


 ゼルエルは、自分の胸に手を当てた。


「ソフィエルの権能も、シャムシェルの魔法も、有効だ。だが、現役の天使には届かない。……俺は、かつて筆頭だった。だが今の俺の力では、バルディエル一人すら、斬れはしない」


 ゼルエルは、自分の背に触れるように手をやった。そこには、何もない。


「地上に降りた時、俺たちは翼を捨てた。翼を失った天使は、力も、寿命も、ただの人間と同じになる。……だから俺たちは、こうして老いた。ソフィエルが、権能を使った代償に逝ったのも、同じ理由だ。それが、俺たちが選んだ道の、代償だ」


 小屋の中に、重い沈黙が降りた。

 作られた命。耕すための道具。そして、用済みになった果ての、廃棄。

 あまりにも、残酷な真実だった。

 だが――。


「……でも」


 アルトが、口を開いた。掠れた、けれど確かな声で。


「それなら、なんで。なんであんたたちは、そんな俺たちのために、天界を捨てたんだ」


 ゼルエルが、アルトを見た。


「道具だって言うなら。心を持たない、ただの農具だって言うなら。……なんで、あんたは俺を、育てた」


 しばしの沈黙。

 ゼルエルの口元が、ほんのわずかに、緩んだ。


「――道具が、夢を見るからだ」


「え……?」


「道具が、笑う。道具が、泣く。道具が、誰かを愛し、誰かのために怒る。……そんな『道具』が、どこにいる」


 ゼルエルは、暖炉の炎を見つめた。


「お前たちは、俺たちが思っていたような、ただの道具じゃなかった。俺たちが作ったはずなのに、俺たちの想像を、遥かに超えて――『心』を持って、しまった。それは、設計の、誤算だった。……いや」


 ゼルエルは、首を振った。


「奇跡、だったのかもしれん」


 炎が、静かに燃える。


「土を耕すだけのはずだった存在が、いつしか、空の星を見上げて、その美しさに名をつけた。誰かのために涙を流し、まだ見ぬ我が子の幸せを願った。……それは、もう、道具なんかじゃない。立派な、一つの『種族』だ。俺たち天使と、何も変わらん」


 ゼルエルの声が、優しくなった。


「俺たちは、その奇跡を、消したくなかった。自分たちが生き延びるために、もう一つの命を、無慈悲に刈り取る。……そんなことのために、俺たちは故郷を失った旅を、続けてきたわけじゃない。ただ、それだけのことだ」


 アルトは、何も言えなかった。

 ただ、胸の奥が、燃えるように熱くなるのを感じた。自分たちは、要らないから捨てられる道具なんかじゃない。この老人が――師匠が、命を懸けてそう信じてくれた。それだけで、救われる気がした。


「だから、俺たちは盗み出した。お前たち人間が、この理不尽な運命に抗うための――たった一つの、希望を」


 ゼルエルの手が、再び、テーブルの上の剪定鋏に伸びた。

 古びた、ただの鋏。アルトが、ずっと使ってきた、相棒。


「アルト。お前は、ずっと不思議に思っていたはずだ。なぜ、自分の『剪定』が、人の才能すら作り変えられるのか。なぜ、この鋏が、これほどの力を宿しているのか」


 ゼルエルの黄金の瞳が、まっすぐにアルトを射抜いた。


「その答えが――俺たちが盗んだ、天界の至宝だ」


 炎が、大きく、爆ぜた。


(第87話 終)


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