# 第83話:探求の天使と、引き抜かれた花
アルトたちが馬車に揺られていた、ちょうど同じ頃。
天界の、とある場所。
「あーあ、相変わらず汚ったないところだねぇ。だから来たくなかったんだよ」
ティラエルが、心底嫌そうに顔をしかめた。
そこは、足の踏み場もない部屋だった。床には書類が散乱し、棚という棚に書物が山積みになり、用途の分からない奇妙な器具が、そこかしこに転がっている。
気を失ったエルダを肩に担いだラグエルが、大声を上げた。
「ザミエル! 探求のザミエルはいるか!」
「……そんな大声を出さなくても、聞こえていますよぉ」
部屋の奥から、けだるげな声がした。
ボサボサの白髪頭を掻きながら、ずり落ちた眼鏡を指で押し上げて、一人の天使が現れた。痩せ細った体に、落ち窪んだ目。だが、その奥の瞳は、好奇心で爛々と光っている。
「あー……ティラエル君と、ラグエル君じゃないですか。どうも。天使人形の具合は、いかがでしたかぁ?」
「あんな弱っちいの、使いもんになるわけないでしょ」
ティラエルが、吐き捨てるように言った。
「えぇ……? そうですかぁ……品質に問題ありですかねぇ……」
ザミエルが、不満げにブツブツと呟く。それから、ふと、ラグエルの肩のエルダに目を留めた。
「で——それは?」
「隊長からの、土産だ」
ラグエルが、エルダを床に下ろし、ザミエルへと引き渡した。
「好きにしろ、とのことだ」
「ほぅ……」
ザミエルの目が、興味深げに細められた。エルダの顔を覗き込み、その黒髪に触れ、瞼を指で持ち上げて瞳を確かめる。
「これはこれは……実に、興味深い」
「遊びすぎて、すぐ壊すんじゃないよ」
ティラエルが、釘を刺した。
「まあ……善処しますよ」
ザミエルは、新しい玩具を与えられた子どものように上機嫌で、エルダの腕を掴むと、ずるずると奥の部屋へ引きずっていった。
その背中を見送りながら、ティラエルが、ぽつりと呟いた。
「あれで天界研究局の局長で、昂翼十聖天の第七位ってさ。……世も末だよねぇ」
ティラエルの金色の瞳が、わずかに翳る。
「あの子も……あそこで死んでた方が、幸せだったかもね」
◇
部屋の奥。
寝台に、エルダの体が、鎖で拘束されていた。
「さて。それでは、まず——診察と、いきましょうかぁ」
ザミエルが、両手をこすり合わせ、にたりと笑った。
「権能——見えざる探求の手」
ザミエルの指先から、目に見えない「何か」が伸び、エルダの体内へと、ぬるりと侵入した。
「……っ、ん……」
内側を直接撫で回される、おぞましい異物感。それが、気を失っていたエルダを呼び覚ました。
「……っ、な……何を……っ」
エルダは身じろぎして抵抗しようとした。だが、魔力は練れず、四肢には力が入らない。ただ、自分の体の中を、見えない手が這いずり回る感覚だけが、はっきりとあった。
「おやおや、お目覚めですか。……ほほぅ」
ザミエルが、目を輝かせた。
「これは驚いた。光の因子と、闇の因子が——共生している。実に、美しい均衡だ」
見えない手が、エルダの内部を丁寧に探っていく。
「しかし……おや? この闇の因子……後付けされたものですねぇ。継ぎ接ぎの跡がある。……ああ、美しくない。実に、美しくない」
その手が、エルダの「核」に触れた。
「……っ、触らないで!」
エルダが、声を振り絞った。
「それは……それは、アルト様が、咲かせてくれた……! わたくしの、大切な……っ」
「ふぅん?」
ザミエルは、まるで興味がなさそうに、眼鏡を押し上げた。
「では——引っこ抜いちゃいましょうか」
冷淡な、何の感情もこもらない声だった。
「っ、嫌……! やめて……! お願い、それだけは……! お願いします……っ!」
エルダの懇願は、しかし、何ひとつ届かなかった。
見えない手が、エルダの闇の因子を——その根を、無造作に、掴んだ。
そして。
引き抜いた。
「——あ、あぁああああああっ!!」
エルダの絶叫が、部屋に響き渡った。
体の中から、自分の一部が、魂ごと引きずり出されるような激痛。アルトが咲かせてくれた、混沌の花。その根が、強引に引き抜かれていく。
「……ふむ。やはり、後付けは脆い」
ザミエルが、引き抜いた闇の因子を、つまらなそうに眺めた。
あれほど艶やかだったエルダの黒髪が——色を失っていく。紫がかった漆黒が、まるで命の色が抜けていくように、根元から、白銀へと変わっていった。
「ああ、そうだ」
ザミエルが、ぽん、と手を打った。
「面白いことを思いつきました。これは——私からの、ささやかなプレゼントです」
ザミエルは、闇の因子があった、空っぽになった場所へ。
別の「何か」を、無理やり、埋め込んだ。
「……っ、ぁ……っ、あ……っ」
エルダの体が、激しく痙攣した。拒絶反応。体の奥が、埋め込まれた異物を、必死に吐き出そうともがいている。
だが、やがて——その体から、力が抜けた。
意識が、闇に落ちた。
「……あれ?」
ザミエルが、首を傾げた。
「壊れて、しまいましたかねぇ。……まあ、いいでしょう。しばらく様子を見て、ダメなら——捨てましょうか」
研究者は、興味を失ったように、背を向けた。
◇
意識を失ったエルダの、その奥。
深い、暗闇の中で。
無機質なアナウンスが、響いた。
『——光と闇の調和の、消失を確認』
『スキル【混沌魔導師】の、消失を確認しました』
冷たい声は、淡々と、続ける。
『種族【天使】の因子との、強制接続を確認』
『——存在進化を、開始します』
(第83話 終)




