# 第77話:第三の目と、剣の結界
終わりのない痛みの中に、私はいた。
肩に突き立った矢が、ゆっくりと、ゆっくりと肉を裂き続けている。一瞬で終わるはずの鋭い痛みが、いつまでも引き延ばされて、私の意識をじわじわと削っていく。
(痛い……痛いです、アルト様……)
朦朧とする視界の中で、それでも、アルト様の叫びだけは、なんとか耳に届いた。
感覚を、遅くされている。
攻撃が速いんじゃない。私たちが、遅くされているんだ。
その言葉が、霞がかった頭の中に、一筋の光のように差し込んできた。
そうだ。原因が分かれば、対処のしようがある。アルト様はいつだって、絶望の中から道を見つけてくれる。なら、私がやることは一つ。その道を、この剣で切り拓くことだ。
そして——ティラエルが、再び矢を番えた。
その先端は、今度こそ、まっすぐに私の心臓を狙っている。番えた矢が、不気味な光を帯びていく。
(私の感覚が、役に立たないなら……!)
追いつけないなら、頼らなければいい。
脳裏に、数日前の記憶が蘇った。
◇
接ぎ木の時、アルト様は私にこう言った。
「シアには、エルダの空間認識能力が必要だ」
「空間認識能力……ですか?」
私は、よく分かっていなかった。剣を振ることしか能のない私に、難しい力は扱えないと思っていたから。
「エルダは、視力が落ちてた頃に鍛えた空間認識能力を持ってる。でも今は視力も戻って、魔法での感知能力も格段に上がった。あいつにはもう、要らない力だ」
アルト様は、まっすぐに私の目を見て言った。
「シア、お前が前だけ見て真っ直ぐ進めるのは、素晴らしい長所だ。でも同時に——攻撃を読まれやすいっていう、短所でもある」
その言葉に、私はガルドさんとの戦いを思い出して、唇を噛んだ。
あの時、私の振るう剣はことごとく読まれて、為す術が無くなった。ただ愚直に突き進むことしかできない自分が、悔しくて、情けなくて仕方なかった。
「この空間認識能力は、それを補う可能性を持ってる。前だけじゃなく、全部を感じられるようになる。……あとは、シアが使いこなせるかどうかだな」
◇
(そうだ。アルト様が、私に託してくれた力がある)
私の感覚が役に立たないなら。
速くなることも、避けることも、追いつくこともできないなら。
今は——その感覚を、いっそ捨てる。
アルト様。私、あなたがくれた力を、信じます。
私は、震える手で、剣の柄に手を添えた。
肩の矢が、まだ私の肉を裂き続けている。それでも、構わない。
「聖剣術・六の型——円……」
私は、静かに目を閉じた。
痛みも、恐怖も、ティラエルの嘲笑も、全部、遠くへ流れていった。視覚を捨て、聴覚を捨て、痛覚すら手放して——ただ、空間そのものと一つになる。
そして。
――私は、考えることを、やめた。
矢が、放たれた。
何も見ていない。何も考えていない。
なのに、分かる。
世界が、変わった。
背中の後ろも、頭の上も、足元も、全方位の空間が、自分の体の延長みたいに、肌の感覚として広がっている。風の流れ。空気の密度。ほんのわずかな魔力の揺らぎ。そのすべてが、目を閉じているのに、はっきりと「視えて」いた。
矢が、その空間を裂いて、私の間合いへと入ってくる。その軌道が、速度が、着弾点が——考えるよりも先に、手に取るように、分かる。
その、瞬間。
私の体が、勝手に動いた。
振ろうと思う前に、剣が鞘を走っていた。
チィン、と澄んだ音が、夜に響く。
両断された矢が、二つに分かれて、静かに地に落ちた。
「……はぁ?」
ティラエルの声が、初めて、揺れた。
空間認識能力によって極限まで研ぎ澄まされた居合は、もはや一つの技ではなかった。私の間合いに入ったものすべてを、思考を介さず自動で斬り伏せる——剣の結界と化していた。
「なんだよ、それ!」
ティラエルが、苛立たしげに矢を乱射した。
一本。二本。三本。立て続けに十本。
けれど、その全てが——私の間合いに入った瞬間、音もなく斬り捨てられ、地に落ちていく。一本たりとも、もう私には届かなかった。
「そんじゃあ……これならどうさ!」
ティラエルが、両手を大きく広げた。
無数の光の矢が、私を取り囲むように、空中へと展開されていく。前も、後ろも、左も、右も、頭上も。数えきれないほどの矢が、あらゆる角度から、私の急所だけを正確に狙っている。
ひとつひとつが、必殺の威力。それが、何十本。
それらが、ゆっくりと、ゆっくりと、確実に、私の体へと進んできた。逃げ場は、どこにもなかった。
「これで、僕が権能を解除すれば——全部の矢が、一斉に君へ向かう」
ティラエルが、勝ち誇ったように笑った。
「いくら剣が速くたって、全方位同時は捌けないよねぇ? これで終わりさ!」
その時だった。
「——焦りは、魔力を乱しますわよ? 天使さん」
声は、ティラエルの、すぐ足元から聞こえた。
「……っ!?」
ティラエルが、弾かれたように下を見る。
彼自身の影が、ぐにゃりと、意思を持って歪んでいた。
(第77話 終)




