# 第73話:純白のキャンバスと、覚醒の絵筆
「……っ、この、化け物め……っ!!」
テラが歯を食いしばりながら吐き出した。
ラグエルは表情一つ変えなかった。ただ、その視線がゆっくりと、テラの頭部から伸びる一本の角へと移った。
「それは、お互い様だろう。龍の娘よ」
次の瞬間、ラグエルの丸太のような腕が伸びた。
巨大な手が、テラの頭を鷲掴みにする。
「ぐ……っ!?」
そのまま、まるで小石でも捨てるように、地面へと叩きつけた。轟音。石畳が放射状に砕け散り、テラの体が地面へとめり込む。さらにラグエルは掴んだ手を離さず、上から押さえ込んだ。テラの全身に、先ほどの倍以上の重圧が、容赦なくのしかかっていく。
「があ……っ、ぐ……うう……っ!!」
地龍の膂力を以てしても、振りほどけない。骨が軋む音が、フィリアの位置まで聞こえてきそうだった。
「テラさん……!!」
フィリアの心臓が、早鐘のように打ち鳴らされた。
(何とかしないと……何とかしないと、テラさんが死んじゃう……!!)
考えろ。考えろ。考えろ。今の自分にできることを。
フィリアは杖を構え、ありったけの魔力を込めた。
「純白の息吹!!」
牽制の熱線が放たれた。純白の光がラグエルへと一直線に伸びる。
しかし。
熱線は、ラグエルに届く前に「潰れた」。
見えない巨大な手に押しつぶされるかのように、光の奔流がぐにゃりと歪み、地面へとへし折れて霧散した。
「……っ!? そんな……魔法まで……!?」
重さは、魔法にすら作用する。
フィリアの背中を、氷のように冷たいものが伝った。あれは反則だ。近づくものも、飛ぶものも、放たれるものも、すべてが「重さ」の前に平伏してしまう。
(どうすれば……どうすればいいの……!)
それでも。
それでも、フィリアは思考を止めなかった。
諦めて立ち尽くすことだけは、しなかった。
その時だった。
フィリアの杖が、淡く、優しい光を放ち始めた。
◇
――数日前。馬車の旅の途中。
接ぎ木を終えた後、アルトはフィリアにこう言った。
「シアから移したのは、現代魔法の魔力回路だ」
「現代魔法の……回路……?」
「シアは聖剣術の使い手だ。剣に魔力を流す回路は使うが、魔法を組み立てるための回路はほとんど使わない。あいつの中で、ずっと眠ったままになってた」
「で、でも、私には古代魔法があります。今さら現代魔法をゼロから覚えるなんて……」
「違う。覚えるんじゃない」
アルトは静かに首を振り、フィリアの白銀の杖を指した。
「フィリアの古代魔法は、純白のキャンバスだ。今までのフィリアは、たくさんの絵の具を持っていたのに、絵筆を持っていなかった」
「……絵筆……」
「ああ。お婆さんに教わった魔法が全部、絵の具だ。でも絵の具だけじゃ、何も描けない。現代魔法の回路は、その絵の具を自由な形で画布に乗せるための絵筆だ」
アルトはフィリアの目を真っ直ぐに見た。
「この絵筆を握るかどうかは……フィリア、お前次第だ」
◇
(……絵筆)
フィリアは、杖を強く握り直した。
脳裏に、森の小屋の記憶が溢れ出す。
お婆ちゃんが教えてくれた、意味の分からなかった数々の魔法。属性干渉の理論。歌うような長い詠唱。使い道のない術式。「いつか必要になるから」とだけ言って、厳しく教えられた。
(そうだったんだ……)
全部、絵の具だったんだ。
赤も、青も、金も、銀も。私の中には、最初から数え切れない色が眠っていた。
足りなかったのは、それを画布に乗せる、一本の筆だけ。
(アルト様……私……)
フィリアは、大きく息を吸い込んだ。
燃える帝国の夜空の下、少女は宣言した。
「私、描きます……私だけの魔法を!!」
その瞬間。
頭の中に、澄んだ声が響き渡った。
『――個体名・フィリア。今昔の魔法回路の取得と、絶えることのない魔術への探究心を確認。条件を達成しました』
『スキル【古代魔術】が、覚醒。【大魔導】へと進化します』
眩い光が、フィリアの全身を包み込んだ。
体の中で、何かが繋がっていく。古代のキャンバスと、現代の絵の具と絵筆が。祖母の教えと、自分の意思が。バラバラだった点と点が、一本の線になっていく。
「ああ……アルト様……」
フィリアの翡翠色の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「全部が、繋がりました……今なら、お婆ちゃんが教えてくれたことが、全部、全部分かる……!」
フィリアは涙を拭いもせず、杖の切っ先を大地へと向けた。
古代の言葉が、現代の回路の上で踊る。
絵の具が、キャンバスに乗る。
「純白の土竜・地!!」
大地が、震えた。
純白の光を帯びた巨大なモグラが顕現し、瞬時に地中へと潜り込んだ。
ラグエルの重圧は、上から押しつぶす力だ。空も、地表も、すべてが重さの支配下にある。
だが——地面の下は、違う。
土竜は重さの影響を一切受けることなく、大地の懐に抱かれながら、地中を一直線に突き進んだ。
ラグエルの、真下まで。
「——ぬっ!?」
地面が、爆発した。
真下から突き上げられた純白の一撃が、ラグエルの巨体を、この戦闘で初めて宙へと浮かせた。岩のような巨体が体勢を崩し、テラを押さえつけていた手が、離れた。
「……っは!!」
テラが跳ね起きた。重圧から解放された肺へ、大きく空気を取り込みながら、一気に距離を取る。
「フィリア……! 助かった、見事だ!! 良い魔法だった!!」
「えへへ……っ」
フィリアが涙の残る顔のまま、誇らしげに、太陽みたいに笑った。
テラは立ち上がり、拳を構え直した。砕けた石畳を踏みしめ、その口元に不敵な笑みが浮かぶ。
「私も、負けてはいられないな」
テラの目が、まっすぐにラグエルを捉えた。
体勢を立て直しつつある巨大な天使へ向けて、テラは自分の胸に手を当てた。
「使うぞ、アルト! お前がくれた、この力——」
胸の奥で、眠っていた「もう一つの意識」が、目を覚ます。
「テイム!!」
(第73話 終)




