# 第47話:狂える巨獣と、最深部の入り口
「……見えてきたな」
テラが歩調を緩め、厳かな声で呟いた。
暗い通路の彼方から、これまで目にしてきたものとは明らかに異質な光が、ぼんやりと岩肌の壁面を照らし出していた。それは発光植物の放つ青緑の光でも、発光鉱石の琥珀色の輝きでもない。もっと遥かに古く、世界の根底からじわじわと滲み出るような、白みがかった冷たい光だった。
「あれが……最深部へと至る扉なのですか」
「そうだ」
テラの凛とした声音に、わずかな緊張の震えが混じる。
行く手が一気に開け、俺たちの目の前に巨大な石造りの大扉が厳かに現れた。その高さは十メートルを優に超えるだろう。扉の両面には、地脈の精緻な流れを示す古代の紋様が深く刻まれていたが、その線の多くが今は黒く変色し、無残にも腐りの汚染に侵食されていた。
「かつては、我ら地の民が世界の安寧と地脈への祈りを捧げた、最も神聖な場所だったのだ」
グラムが低く、沈痛な声を絞り出す。
「あの扉の先こそが、世界の『根の根』へと至る最終通路。そして――」
グラムが言葉を区切ったまさにその瞬間、俺の『作庭』の目が激しい警鐘を鳴らした。
(――いる……!!)
大扉の左右、周囲の岩盤に完全に同化するようにして潜んでいた「それ」が、地響きを立ててゆっくりと起き上がった。
――二体。
先ほど通路で退けた石獣とは、その規模が桁違いだった。一体の全高だけで、先ほどの怪物の優に三倍はある。装甲のごとき分厚い岩盤の外皮。その全身に、どす黒い腐りの魔力が太い大蛇のように絡みついている。二つの頭部に宿る赤黒い眼光が、じっとりと俺たちを品定めするように見据えていた。
「……これが、我ら地の民がどうしてもあの扉に辿り着けなかった理由だ」
テラが硬い声で拳を握りしめる。
「さすがに私も少し、足が震えそうなのですが……」
フィリアが白銀の杖を愛おしそうに抱きしめながら、引きつった笑みを浮かべた。
「私も同じです」
シアが俺のすぐ隣で純白の剣の柄を固く握りしめた。だが、その足取りは一歩も退かない。
「ですが……私には、アルト様がついていてくださいますから」
「ありがとう、シア。お前の剣を頼りにしてるよ」
「っ……はい!! 御意のままに、全力を尽くします!!」
◇
戦いの口火を切ったのは、やはりシアだった。
「聖剣術・二の型――【刹那】!!」
神速の踏み込み。右側に陣取る一体の側面へと瞬時に回り込み、外皮のわずかな継ぎ目を的確に斬り裂く。前回の石獣とは比べ物にならない装甲の厚みだったが、手入れによって極限まで研ぎ澄まされたシアの速度は、確実にその隙間を捉えていた。裂け目からどす黒い瘴気が一気に噴き出す。
「効いています!! このまま、もう一撃!!」
「グラム、左の一体を引き受けろ!」
「はっ!かしこまりました、姫様!!」
グラムが巨大な石剣を猛然と振り下ろし、左側の一体の脚部を激しく叩き割る。同時に、テラが右側の一体へと果敢に踏み込んだ。
「地拳術・二の型――【地割】!!」
テラの凄まじい踏み込みが岩盤の床を文字通り粉砕し、その衝撃の余波が石獣の足元を大きく揺るがす。巨獣がぐらりと体勢を乱した。
「今ですわ、逃がしません!」
エルダの放つ光と闇の魔力弾が、よろめいた石獣の頭部へと連続で炸裂し、その視界を奪う。
「フィリア、霧を払ってくれ!」
「はいっ!! ――『純白の羽ばたき《プラヴィナ・アーラ》』!!」
純白の光の幕が広域へと一斉に展開し、巨獣の周囲に立ち込めていた腐りの霧を根こそぎ吹き散らした。
視界が開けると同時に、シアが三度目の神速の斬撃を叩き込む。
「聖剣術・三の型――【貫】!!」
純白の剣が、石獣の前脚の付け根へと深く、深く突き刺さった。岩の外皮がバリバリと派手な音を立てて砕け散り、どす黒い魔力が大量に噴き出す。巨獣が苦悶の咆哮を上げ、ついにその場に膝をついた。
「やった……!! 崩れました、膝をつきました!!」
シアが興奮を隠せない様子で声を上げる。
グラムも左の一体に石剣の猛烈な連撃を浴びせ、崩れた足元を容赦なく叩き続けていた。テラもまた、地拳術の重い打撃を重ね、石獣の堅牢な装甲に蜘蛛の巣状の亀裂を走らせていく。
(……いける。この連携なら、このまま完全に押し切れる……!)
俺がそう確信した、まさにその瞬間だった。
激しく痛めつけられていた二体の石獣が、同時に奇妙な動きを止めた。
「……な、んだ?」
グラムが怪訝そうに分厚い眉を寄せた。
石獣たちは戦意を失ったわけではなかった。互いの傷ついた巨体を、引き寄せ合うようにしてゆっくりと重ね合わせ始めたのだ。
俺の『作庭』の目に、二体の体内を巡る腐りの魔力の系譜が、おぞましく絡み合い、一つに融け合っていくのが見えた。
「まずい……っ! 全員、今すぐそこから離れろ!!」
「え――っ!?」
「早く!!」
六人が一斉に後方へと跳び退いた直後、大扉の前で爆発的な轟音が炸裂した。
岩と岩がドロドロに溶け合うような、耳を塞ぎたくなるほどおぞましい怪音が通路に響き渡る。
やがて濃い砂埃が晴れた時。
そこに立っていたのは、もはや「石獣」などという生易しい言葉では形容できない異形の存在だった。
二本の屈強な足で大地を力強く踏みしめる、圧倒的な巨体。人間の胴体に酷似した上半身を持っているが、その大きさは先ほどの石獣一体分よりも遥かに肥大化している。頭部には大きく湾曲した二本の岩の角が左右にそびえ立ち、両の腕は丸太どころか岩盤そのもの。一度振り下ろされれば、周囲の地面ごとすべてを抉り取るだろう。
全身の継ぎ目から噴き出す腐りの瘴気は熱波となって肌を焼き、その赤黒い眼光は、二体分の憎悪を一点に凝縮させてこちらを睨みつけていた。
「……地の獄王」
テラが恐怖に声を戦慄かせ、その場に立ち尽くした。
「二体の守護獣が、融合した時にのみ生まれるという……地底の古代文献にしか存在しないはずの、伝説の怪物だ……」
「我らが善戦したからこそ、追い詰められた奴らが最後の手段に出た……ということか」
グラムが悔しげに唇を噛み締めた。
「シア!」
「御意に――っ!!」
シアの姿が地の獄王の側面へと掻き消えた。神速の斬撃が装甲の継ぎ目を正確に捉える。しかしその瞬間、獄王がただ無造作に振り払った巨腕が、シアの身体を容赦なく壁面へと弾き飛ばした。
「シアっ!!」
「……っ、大丈夫、です。まだ、立てます……っ!」
すかさずフィリアの広域展開魔法が直撃し、純白の光の幕が獄王の全身を包み込んだ。だが、それすらも一瞬にして濃厚な腐りの瘴気に呑み込まれ、あっけなく霧散してしまう。
「地拳術・三の型――【岩抱】!!」
テラが地の獄王の巨腕を強引に抱え込み、そのまま投げ技へと移行しようとした。だが、獄王の腕はびくともしない。逆にテラの身体が容易く宙へと持ち上げられ、そのまま冷たい岩盤の地面へと叩きつけられた。
「姫様っ!!」
グラムの石剣が獄王の脚部を猛烈に叩いたが、今度は刃が虚しく弾かれた。エルダの光闇弾が連続で炸裂するが、獄王はその爆風を意にも介さず、一歩、また一歩と圧倒的な質量でこちらへと迫ってくる。
誰の攻撃も、届かない。
(なぜだ……! こいつ自体が、深部から湧き出る腐りの流れそのものの『結び目』になっているんだ……! 単純に外側から剪定していくだけでは再生が早すぎる、全く別のアプローチが必要だ……!)
俺は腰のポーチに手を伸ばし、相棒の剪定鋏を逆手に強く掴んだ。
その、瞬間だった。
「…………っ!?」
手の中の剪定鋏が、突如として激しい光を放った。
鉄の刃の全体が、まばゆい白銀の輝きを帯び始めたのだ。それはまるで、鋏自身がこの先に待つ宿命を「知っている」かのように、歓喜に震えているようだった。
「アルト様……!」
壁際で痛みに耐えるシアが、真っ直ぐに俺を見つめた。その瞳には、恐怖など微塵もなく、ただ純粋な信頼の色彩だけが宿っている。
「あのハサミが、あんな光を……」
フィリアが息を呑む。
「庭師…!」
グラムが、巨大な影となって俺の隣に並び立った。その目は畏怖に揺れている。
「お前のその手にあるそれは……一体、何なのだ?」
(第47話 終)




