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# 第46話:フードの下と、知られた名



 チョキィィィン――という、剪定鋏が噛み合った硬質な余韻が消え去ると同時に、石獣の動きが劇的に変化した。

 先ほどまで狂ったように暴れ回っていた巨体が、嘘のようにぴたりと硬直する。

 腐りの供給源を完全に断ち切られた石獣は、赤黒く燃え盛っていた両目の光を頼りなげに揺らし、全身の岩の隙間から噴き出ていた漆黒の蒸気も、みるみるうちに薄れていく。


「今だ……! このまま一気に仕留めるぞ!」


 グラムが吠え、巨大な石剣を頭上へと振り上げた。

 だが、石獣もただでは倒れなかった。最後の力を振り絞るようにして、その太い尾を横一閃に薙ぎ払ったのだ。壁に、天井に、そして通路全体に凄まじい衝撃波が走り、無数の亀裂が広がっていく。


「くっ……!」


 直撃を受けたグラムの巨体が、無様に後方へと弾き飛ばされた。後ろでフィリアが短い悲鳴を上げる。


「グラムさん!?」


「シア、フィリアのことは任せた!」


「はいっ!!」


 シアが咄嗟にフィリアの細い身体を抱きかかえ、神速の足さばきで後方へと飛び退いた。エルダが魔力の障壁を瞬時に展開し、天井から容赦なく降り注ぐ巨大な岩片を火花を散らしながら弾いていく。

 そして、手負いの石獣は残された全質量をかけて、俺に向かって突進してきた。汚染の源流こそ断ったが、肉体そのものに宿る野生の破壊力は未だ健在だ。


「アルト様――っ!」


 シアの悲鳴が響いた、まさにその瞬間だった。

 俺の目の前に、テラが恐るべき速度で割り込んできた。

 武器は持っていない。完全に、素手のままだ。


「地拳術・一の型――【天突てんとつ】っ!!」


 低い、しかし地底の底まで響き渡るような鋭い叫びとともに、その右の拳が、石獣の分厚い顎を下から真っ直ぐに突き上げた。


 ドガァァンッ!!!


 鼓膜が破れんばかりの爆音が炸裂し、石獣の巨体がふわりと浮き上がった。文字通り、岩盤の地面から完全に足が離れたのだ。大水牛ほどもある石の塊を、ただの素手一つで打ち上げるなど、到底人間の業とは思えない。


(何者だ……!! この常軌を逸した体術のキレは……!!)


 俺が驚愕に目を見張ったその瞬間、着地時の凄まじい風圧の衝撃によって、深く被られていたフードが激しく後ろへとずり落ちた。

 片手で慌ててそれを押さえようとしたが


――わずかに、間に合わなかった。


 漆黒の布地が滑り落ち、その素顔が完全に白日の下に晒される。

 そこにいたのは、白みがかった美しい肌と、地の民特有の涼やかで大きな瞳を持つ人物。しかし、その凛とした、どこか威厳に満ちた顔立ちは……。


「…………」


 それまで吹き飛ばされていたグラムが、岩の破片を口に咥えたままのように呆然と硬直した。石獣の動きが完全に止まったことも、通路の壁が崩れかけていることも、今の彼には何も見えていないかのようだった。


「貴方は……!」


 掠れた声が、静まり返った通路にぽつりと落ちる。


「グラム」


 低く、落ち着いた声で言った。


「……見てしまったな」


「姫様……!! 姫様が、なぜこのような危険な場所にまでっ……!!」


「姫様……!?」


 シアが漫画のように目を丸くした。


「お姫様なのですか、あの方っ!!!」


 誰もすぐには返事ができなかった。

 石獣はついに完全に力を失い、その巨体がゆっくりと崩壊していく。腐りを断ち切られた石の身体は、ただの動かない岩の塊へと戻り、通路の床に地鳴りのような重い音を立てて沈んでいった。

 しばしの、濃密な静寂。


「……完全に露見したな」


 テラが、観念したように短く息を吐き出した。

 白みがかった美しい顔に、初めて隠しきれない人間らしい感情が浮かんでいる。地王によく似た、しかしもっと若々しく鋭い眼光。それが今は、少しだけ決まり悪そうに俺たちのことを見つめていた。


「アルト様、最初からあの人の正体を知っていたのですか!?」


 シアが詰め寄るように俺の顔を見てくる。


「まあ……大体の見当はついていたよ」


「「本当ですか!?」」


 シアとフィリアの声が綺麗に揃って上がった。


「可能性の話さ。地王に直接直談判できるほど地底の深い事情に精通していて、四天王すら知らない隠し通路を熟知している。それでいて身分を隠して俺たちに接触する必要がある人物なんて、この国にはそんなに選択肢がないだろう?」


「なるほど……!!」


 シアが深く感心したように何度も頷く。


「さすがはアルト様です!! 洞察力まで神がかっています……!」


「グラム」


 俺は未だに彫像のように固まっている四天王の男を見た。


「お前は知っていたのか?」


「……気づいたのは、先ほどだ」


 グラムがまだ信じられないといった風に、掠れた声で応じる。


「あの拳の軌道、地王陛下が直々に体得されている一子相伝の武術だ。陛下のお血筋にしか決して伝わらないはずの……!」


「だから、戦いの最中に動きを見て一瞬止まったのか」


「……申し訳ございません、姫様。お守りすべき立場でありながら、このような場所まで同行を許すとは、四天王として恥ずかしい限りの失態を」


「構わない」


 テラが、きっぱりとした口調で遮った。


「私が自らの意志で、独断で付いてきたのだ。グラムに非はない」


 それから彼女はゆっくりと俺の方を向いた。先ほどの決まり悪そうな表情はもう消え失せ、そこには気高き王族の顔があった。


「名乗っておこう、地上の庭師。私の名はテラ。地王の一人娘、テラ・ガイアだ」


「テラ…!」


 俺はその響きを確かめるように繰り返した。


「よろしく頼むよ」


「……随分と淡白だな。お前は驚かないのか」


「驚いてはいるよ。ただ、俺がどれだけ大声を上げて驚いても、地脈の腐りが止まってくれるわけじゃないからね」


 テラは少しだけ虚を突かれたように間を置いてから、ふっと短く笑った。

 彼女が俺たちの前に現れてから、初めて見せる、偽りのない本物の笑顔だった。


「どこまでも変わった庭師だな」


「よく言われるよ」


「シアさん!!」


 フィリアがシアの袖を激しく引っ張った。


「お姫様ですよ!! 地の民の本物のお姫様が、私たちの同行者に!!」


「すごいです、大収穫です!!」


 シアも目をこれでもかと輝かせる。


「テラさん、これから最深部まで、ずっと一緒に行ってくださるのですよね!?」


 テラは地上の少女たちの予想外の熱量に、少し面食らったような顔をした。


「……お前たちは、なぜ王族を前にしてそれほどまでに動じないのだ」


「だって、もう同じ道を歩む仲間じゃないですか!!」


「私はまだ、お前たちの仲間になると言った覚えは……」


「口に出して言わなくても、もう心は仲間です!!」


 テラが困り果てたように俺を見た。まるで助けを求めるような目だ。


「諦めろ、テラ。シアがそう言ったら、もう絶対に仲間だ」


「……地上では、物事がそのように強引に決まるものなのか?」


「いいえ、我らの一行限定の規則ですわ」


 エルダが涼しい顔で、優雅に髪をかき上げた。


「ようこそ、テラ様。同じ高貴な身の上の者同士、道中は仲良くいたしましょう」


「私は姫だが……お前も貴族か?」


「ええ、では『お姫様同士』ということで、よろしくて?」


 グラムだけが、未だに気難しそうな表情で腕を組んでいた。主君の愛娘が、自分に内緒でこんな危険極まりない奈落の底まで潜り込んでいた事実に、頭の中で懸命に折り合いをつけているのだろう。

 テラはそんな彼の様子をちらりと横目で見て、小さく語りかけた。


「父上には、戻った後に私からしっかりと話を通す」


「……姫様」


「心配するな、グラム。私は自暴自棄になってここへ来たわけではない。この地上から来た庭師の手腕があれば、あの絶望の『根の根』であっても、再び息吹を吹き返させることができると確信したから、だから付いてきたのだ」


 グラムはしばらくテラを見つめていたが、やがてゆっくりと深く頭を下げた。言葉はなかったが、その背中がすべてを物語っていた。


「さて」


 俺は完全に沈黙した石獣の残骸を一瞥してから、その先へと続く暗い通路を見据えた。


「先は、まだまだ長いぞ」


「ああ」


 テラが力強く頷いた。もう、フードを被り直す様子はない。


「行くぞ、庭師」


「テラ、先頭の案内は任せるぞ」


「……私が先頭か?」


「地底の隠し通路を一番よく知っているのは、ここにいる誰よりもテラだろう?」


 テラは少しだけ考えるように顎に手を当てた後、一切の迷いのない、堂々とした足取りで歩き始めた。


「遅れるな、ついてこい」


 シアが嬉しそうに小走りで俺の隣へと並ぶ。


「アルト様! テラさん、とっても格好いいですね!!」


「そうだな、王族らしい凛とした強さがある」


「私も、あんな風に格好よくなれますかね……!」


「シアは、もう十分に格好いいと俺は思うけどな」


「えっ!!」


 シアの顔が一瞬にして、熟れた果実のように真っ赤に染まった。


「い、今、なんとおっしゃいましたか……!?」


「何でもないさ。ほら、置いていかれるぞ」


「待ってください!! 今、もの凄く人生において大事な言葉が聞こえた気がします!!」


 最前線を歩くテラが、前を向いたままぼそりと呟いた。


「……本当に、賑やかすぎて耳が痛い地上人どもだ」


 隣を歩くグラムは、今度は何も言い返さなかった。ただ、なんとも言えない複雑な表情のまま前を見据えていた。――たぶん、心の中ではテラの言葉に盛大に同意しているのだろう。


(第46話 終)

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