第3話 DNA的なほうで……
薄い線香の匂いで目を覚ます。
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。毛布が体にかけられている。
足元に置いていたビールの空き缶も消えている。遥だろう。
スマホを見ると、五時半過ぎ。玄関のガラス越しに、朝の光が滲み始めていた。
両手を大きく伸ばして肩の力を抜く。あくびをひとつし、顎に手を当てて髭の伸び具合を確かめる。
シャワーを浴びるか。髭も剃っておかないとな。
控え室を覗くと、遥が眠っている部屋の襖は閉じられている。いまは眠っているのだろう。
俺は静かに風呂場へ向かい、熱いシャワーを浴びた。
備え付けの髭剃りと歯ブラシで身支度を整える。
鏡の自分に呟く。もう、気ままな独身生活は終わりだ――。
美和は気を使って、昨夜に朝食用のサンドイッチとコーヒーを買ってきてくれていたが、さすがに遥の分はない。朝もやの中、近くのコンビニへ向かう。外の空気はひんやりとしていて、シャワーで火照った体をたちまち冷やした。
買い物を済ませて戻ると、ロビーの時計は午前六時半を少し回っていた。
「おはようございます」
控え室に戻ると、遥が出迎えてくれた。寝間着から制服に着替え、テーブルの上を布巾で拭いて片付けている。
「おはよう。少し早いけど、朝食にしよう」
彼女に見せるように、コンビニの袋を軽く持ち上げた。
「それと、ありがとうな。毛布、かけてくれたんだろ?」
遥は、遠慮がちに手を振る。
「いえ、そんな。ごめんなさい……。わたしが来たせいで、ソファで寝かせてしまって。拓真さんは今日も大変なのに」
今まで苦労してきたのだろう。遥は、ありがとうとごめんなさいが口癖になっている。昨日会ったばかりだというのに、もう何度聞いたか分からない。まずは会話から関係を縮めないと……。
「二人っきりの家族なんだ。遠慮はなし。それと、もうちょっと肩の力抜こう。……敬語もなしで」
俺の提案に、遥は目を丸くして――少し困ったような顔をした。
「はじめましての家族だけど、少しずつ慣れていこう」
「は、はい……」
遥は胸に手をあてて、精一杯といった感じの笑みを浮かべた。
朝食を済ませ、片付けを終える頃。廊下の向こうで物音がした。スタッフが出勤してきたのだろう。ロビーの電灯が順に点き、静かな葬儀場が少しずつ朝の活気を取り戻していく。
「おはようございます」
遥を伴ってロビーへ出ると、制服姿の年配の男性スタッフがお辞儀した。
彼は遥に目をやり、おやっとした表情を見せたので、離れて暮らしていた妹だと紹介する。
兄妹にしては年が離れすぎているからか、どこか釈然としない様子だったが、そこはプロだ。一礼するとすぐに持ち場へ戻り、遥が加わったことを受けて周囲に手際よく指示を飛ばしていく。
「日下部さん、そろそろ参列者の方々がいらっしゃいますので、玄関口での対応をお願いしてもよろしいですか?」
若い女性スタッフに「はい」と答え、俺と遥は玄関口に並んで立つ。シャツの一番上のボタンを留め、ネクタイを締め直す。視線を送ると、遥の顔は緊張でこわばっていた。
「大丈夫。俺が応対するから、遥は隣でお辞儀してくれればいい」
「は、はい。わかりました」
「敬語はなし」
「う、うん。わかった。お、お兄ちゃ……」
最後の方は、ほとんど聞き取れなかった。耳まで真っ赤にして俯いている。
——お兄ちゃん、か。こそばゆい。俺まで恥ずかしくなってくる。
スタッフが目で合図し、玄関の重い扉を開けた。朝の光が差し込む。白い外壁が反射して眩しい。冷たい風が流れ込み、式場の空気と混じり合った。
「あら、昨日のお嬢ちゃん。ちゃんと会えたのねえ。よかったわあ。あれから送ってあげるなり、連絡してあげるなりすればよかったって、主人と後悔してたのよお」
最初の参列客は、隣家に住む横井さん夫婦だった。
「――あ、昨日はありがとうございました」
見知った顔に、遥が安心したように笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。朝早くから来ていただいて。それに、この子のことも」
俺が言うと、横井さんの奥さんは「大したことしてないわよ」と手を振った。
「拓海さんは急なことで大変だったわねえ。その子は、親戚のお嬢さん?」
俺と遥を見比べながら、興味津々といった様子でたずねてくる。
「妹です。母親が違うんですが、事情があって離れて暮らしていて」
「あらま」
奥さんは驚いたように口元に手を当てた。
「こんな可愛い娘さんがいたんだ。知らなかったわあ」
俺は苦笑いで返す。――俺たちも知らなかったんです、とは口が裂けても言えない。
「お名前は?」
「水瀬遥です。これからよろしくお願いします」
遥が頭を下げると、奥さんはその手を取って言った。
「お父さんのことは残念だったけど、お兄さんと助け合って仲良くね。なにか困ったことがあったら、うちにいらっしゃい」
「はい、ありがとうございます」
「ほかの参列客もいるんだ。あまり長話をしてちゃいかん」
横井さんのご主人が奥さんをたしなめる。
奥さんは遥の手をそっと放し、俺たちに一礼して受付へ向かった。
次にやって来たのは、上司の高林さんだ。
「この度はご愁傷様です」
「わざわざ来ていただいて、ありがとうございます」
まずは型どおりの言葉を交わす。
「で。その子は?」
高林さんは遥へ視線を送る。横井さん夫婦のときとは違い、遥は急に硬くなった。
「妹です」
「へえ。あんまり似てねえな。お前にこんな可愛い妹がいたなんて初耳だ」
「まあ、母親が違うんで。これを機に、一緒に暮らそうってことになって……。すみません、手続きが色々あるんで、もう少し休暇を取らせてほしいんですが」
「分かってる」
高林さんは片手を上げた。そして懐から名刺入れを取り出すと、遥の前にしゃがみ込み、名刺を差し出した。
「はじめまして。おじさんはお兄さんの上司で高林といいます。何か困ったことがあったら、遠慮なく連絡して」
遥は最初ピクリと肩を震わせた。おそるおそる名刺を受け取り、「水瀬遥です。お、お兄ちゃんがお世話になっています」と深々と頭を下げた。
「水瀬遥ちゃん、か。――妹さんだそうだぞ」
高林さんはニヤリとし、玄関の外の方へ向かって声を張った。
その声に押し出されるように、なんとも気まずそうな顔で美和が姿を見せた——。
高林さんは立ち上がり、手をひらひら振って受付へと向かった。
美和は助け舟も出さずにさっさと立ち去る高林さんを恨めしそうに見送りつつ、おずおずと近づいてくる。
「こ、この度はご愁傷様で……」
らしくもなく、消え入りそうな声だった。
「いや、昨日はどうも……」
こちらも気まずい。俺も小さく頭を下げる。
「ごめんなさい! わたしのせいで、誤解をさせてしまって!」
遥が美和の前まで進み、勢いよく頭を下げた。
「頭を上げて。わたしが勝手に勘違いしただけだから――」
美和は両手を振って否定する。
「あの状況じゃ、誤解されても仕方ないよ。悪いのは俺だ。変に取り繕わず、正直に話しておけばよかったんだ」
「先輩、やめてください。少し考えたら、先輩が通夜の晩に女の子を連れ込んだりするわけないって分かりそうなものなのに。本当にすみません」
美和は遥の肩をそっと抱き、立たせる。
「昨日はごめんね。わたしは桐谷美和。お兄さんの職場の後輩。これからよろしくね」
「……よろしくお願いします!」
二人の間に笑顔が戻り、俺は胸をなでおろした。
「昨日の差し入れ、助かったよ。後でお金を払うから」
「いえいえ、あれくらい気にしないでください。お詫びということで受け取っていただけると助かります」
高林さんと美和の後も、パラパラと参列客がやってきた。ご近所さんの他は、飲み友達で、俺と遥には面識のない人たちばかりだ。親父自身が「親族の鼻つまみ者だ」と笑っていた通り、親族側の席は空席が続く。
大人に囲まれて、遥は居心地悪そうにしている。誰か話相手になる歳の近い子がいればいいのだが、ロビーを見渡すと、小学生くらいの女の子がソファに腰かけ、膝の上のノートパソコンを覗き込んでいるだけだ。
そんな中、一人変わった女の子が玄関口に現れた。
歳は高校生くらいだろうか、黒髪のロングヘア猫背気味、白のブラウスに黒のカーディガンを羽織り、黒のロングスカートという服装。長い前髪で顔はよく見えないが、少しおどおどした感じで、周囲を気にしながら進む。
俺と遥が頭を下げると、こちらがたじろぐほど深々と頭を下げた。前髪の隙間からちらりと見えた素顔は整った顔立ちの美人だった。
彼女の後ろ姿に視線を向ける。
どういう知り合いなんだろう。ガールズバーの店員と客とか?
彼女はスタッフに導かれて記帳を済ませると、式場の入口で立ち止まった。左右の座席を見比べ、あろうことか、一般席ではなく親族側の席へ腰を下ろした。
気になって、受付の香典帳をみると、『月城真緒』と書いてあった。
単に親族席と一般席の違いを理解していないだけかもしれない。席が空いているから座っただけのようにも見える。
男性のスタッフが確認に行ったようで声をかけると、彼女はあたふたとしたが、スタッフに言葉を返す。席を立つことはなく、男性スタッフは一礼して離れていった。
「ごめん。遥ちゃん、ちょっと行ってくる」と声をかけて、月城真緒という女の子の元へと向かった。
「今日は父のためにわざわざありがとうございます。日下部拓真と言います」
声をかけると、彼女はビクッと肩を震わせた。
「あ、はい。こ、こちらこそ、ありがとうございます」
上ずった声で、彼女は答える。
「失礼ですが、父とはどういう関係で? 情けないことに、親族関係を把握していないもので」
少しの沈黙。前髪の間から、切羽詰まったような瞳が覗いた。
「む、娘……です」
――ガン。脳天をハンマーで叩き割られたような錯覚がした。
動揺する胸をギュっと掴み、続ける。
「それは、その……親子同然、みたいな?」
「あ、いえ。DNA的なほうで……」
彼女はハンドバッグから、無地の封筒を取り出した。ものすごく嫌な予感を抱きつつ、中身を開く。
そこには、遥の手紙と一言一句同じ内容が記されていた。
「父から、自分に何かあった時にと、渡されていた手紙でして……」
彼女は申し訳なさそうに首を垂れた。
あのクソ親父――。
場を忘れ、俺は遺影を睨みつけた。あの呑気な笑顔が憎たらしい。
「あ、後で、またゆっくりお話ししましょう」
なんとか、それだけ言って立ち上がる。
あの子も妹。頭がくらくらしてきた。
【あとがき】
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