第10話 等価交換だ
二週間もの長期休暇を取ったのは、社会人になって初めてのことだった。
休みの間は嵐のように過ぎ去ったが、いざ『日向設計コンサルタント』のプレートの前に立つと、妙な緊張が込み上げてくる。
席がなくなってたりして……。
思わず喉が鳴る。
いやいや、何をビビっているんだ。いまの俺は七人もの扶養家族をその双肩に背負う身。臆してどうする!
「あの……早く入ってくれませんか?」
美和の声がして振り返った。
少し疲れたような顔をした美和が鞄を抱えて立っていた。
「お、おはよう。今日から復帰する。長いこと休んでいて悪かったな」
「いえ、お父さんのこと、ご愁傷様です。それじゃ、失礼します――」
美和は一礼して、俺の横をすり抜けて中へ入っていった。
うーむ。まだ誤解されたままのようだ。高林さんは「任せておけ」と言っていたが、あの様子では何も伝わっていないに等しい。
社内へ足を踏み入れる。うちは社員数四十人ほどの中小設計事務所で、現場に出ている人間も多く、フロアにいるのは半分にも満たない。
「おはようございます」
挨拶すると、みんなが弔いの言葉とともに声をかけてくる。
休職中のお礼を言い、今日から頑張りますと答えて席に着いた。
ロッカーから戻ってきた美和が隣に座り、視線を合わせないまま軽く会釈を返してきた。
ひとまずパソコンを起動し、メールソフトを開く。案の定、新着メールが怒涛の勢いで押し寄せてきた。件数を確認しただけでめまいがする。これだけで半日は潰れそうだ。
「おはようさん」
高林さんが入ってくる。
席に着いたのを見計らって、俺は立ち上がった。
「おはようございます。今日からまた、よろしくお願いします」
「おはよう。どうだ、妹たちに囲まれての新生活は?」
「もう、どうすればいいのか。毎日、いっぱいいっぱいです」
「だろうな。ま、あんなカワイイ子たちと一つ屋根の下で過ごせるんだ。苦労も幸運だと思え。相談には乗れんが、愚痴なら聞く。面白そうだからな」
……他人事だと思って。
「相談なら、俺じゃなく美和にしろ。思春期の女の子のことなんて、自分の娘のことすらわからん」
「それが、まだ誤解されたままのようで……」
美和のほうに目をやると、彼女は真剣な顔でパソコンのモニターを見つめていた。
「俺はちゃんと伝えたぞ。まあ、七人も妹がいたなんて嘘みたいな話だからな。信じてもらえなくても仕方ない。そこは等価交換だ」
「等価交換?」
「B橋梁補修の件でトラブってる。先輩としてビシッと助けてやれ。アイツ、昨日は日付が変わるまで残業してたぞ」
「トラブルがわかってるなら、高林さんが相談に乗ってあげればいいじゃないですか」
「俺が出たら簡単に片付くだろ。若いのは失敗して学ぶもんだ。部下育成ってやつだ」
……ホントかな? 面倒くさいだけでは?
「俺が助け舟を出しても同じことですよ」
「ほう。俺と同じレベルで解決に導けると?」
高林さんは不敵に笑う。
うぐ……。この人は優秀だ。俺が同じようにできるわけがない。
「これはお前の育成にもなってるんだからな。ちゃんと導いてやれよ」
重いため息が出る。出社初日から残業は確定らしい……。
午前中は、メールの返信と家族関係の事務手続き、引き継ぎ事項の確認で瞬く間に過ぎた。昼休み。俺は、遥が持たせてくれた弁当箱をデスクに置いた。三十手前にして手作り弁当。なんだか気恥ずかしくて、周囲の目が気になる。
蓋を開けると、鯖の塩焼き、玉子焼き、かぼちゃの煮物。隙間を埋めるブロッコリーとミニトマト。赤、緑、黄色と、なかなかに彩りが鮮やかだ。栄養バランスも考えられている。
「お、手作り弁当なんて珍しいじゃないっすか」
「JKの妹さんがいたって。いいなー」
外食に向かう若手連中が、物珍しそうに冷やかしてくる。
「そんなお気楽なもんじゃない。すっごい気を使うんだからな」
「いやいや、贅沢な悩みっすよ!」
連中は笑いながらフロアから出ていった。
美和に視線を向けると、コンビニのサンドイッチを頬張りながら、難しい顔をしてマウスを操作している。何かトラブルが起きているのは間違いないようだ。
B橋梁の補修工事。高林さんが言っていたトラブルのあたりをつける。共有サーバーを開き、最新の更新ファイルをチェックする。役所に提出する報告書のドラフトだ。
俺は弁当を食べながら、その数十ページに及ぶデータに目を通していった。
遥が作ったかぼちゃの煮物は優しい味がした。
「美和。ちょっといいか?」
彼女が食べ終えるのを見て、声をかける。
「……すみません。いま、ちょっと手が離せなくて」
「B橋梁補修の報告書のことか?」
言い当てられて美和は息を呑んで俺を見た。
「とりあえず、昼休み中は休め。目をつぶるだけでもだいぶ違うぞ。そんなに気を張ってたらミスするぞ。大丈夫、なんとかなる」
美和はまだ半信半疑といった表情だったが、連日の残業で限界だったのだろう。小さなため息をつくと、俺の言葉に従って静かに目を閉じた。
【あとがき】
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