泣いてないよ、泣いてない 5
◇
眠っている一をじっと見つめ、考える。きっとまだ俺が見落としている何かがあるはずなんだ。
何だ……? 何が足りない?
……足りない?
――そうだ、足りないんだ。
彼奴が現実に戻ってくるための鍵。
ハルの日記。
一が現実に戻ってくるための鍵として夢の中に持って行ったはずのハルの日記がないんだ。そういえば、どの場面を見ても、彼奴はハルの日記をずっと持っていなかった。いったい、どこにやったんだろ?
それがないから、一は戻って来られないんだ。彼奴が夢の中の矛盾に気付くためには、あれが必要ってことだね。
ハルの日記を探すため、モニターで今までのデータをもう一度見返していく。
――――――どこにある。
――――どこにある。
――どこに。
あった……。
301号室。物が散乱した中に転がっている妹のバッグ。そこから赤色のものが少しだけはみ出ていた。
あとは、導き出した手順通りにやれば、きっと……。
相変わらず疲労感に包まれてはいたが、コレで最後だと自分に言い聞かせ、準備を整えてから再び椅子へと沈む。そして、隣にいる一の手に触れた。
「全く……。いつまでも呑気に寝てないでよね。俺もそろそろ疲れたよ。ホントのホントにこれで最後だからね」
眠っていても耳は聞こえているはずだと、一の脳に語りかけ、そして目を閉じた。
◆
先程同様、夢の中の“俺”や“ユキ”と入れ替わりながら上手く流れに乗って最終地点まで進んでいく。途中、妹の日記を入手してから“ユキ”を拐い201号室の向かいの部屋へと入った。遠ざかっていく一の足音に耳を傾けながら、目の前で俺の両手を握りベッドに腰かけている妹を見つめ、目を細める。
自分はベッドに上がらず、膝をついているため“ユキ”を見上げるかたちになっていた。
離れたくないな……。
君に会えるのも、これできっと最後だから。
何も言わず、ただただ見つめる俺の手を妹はぎゅっと握り返す。
「……泣いていいんだよ」
“ユキ”はそう言って俺に笑いかけた。
意外な言葉に少し驚いたが、俺の頬に涙が伝うことはなく、寧ろ笑みさえ溢れてしまった。
「それ、俺が父さんと母さんの葬式の時に君に言いたかったことだよ」
「知ってたよ? ずっと後悔してたことも、私のこと守るためにお兄ちゃんとして強く在ろうとしてくれてたことも」
ふふふっと無邪気に笑う君はあの頃と変わらず純粋で優しくて――。
「お互い、一緒に泣けばよかったね。そしたらさ、喧嘩することもなかったし」
「あれは、俺が一方的に辛く当たっちゃっただけだから」
「違うよ。あの時ね、ちゃんと怒ってくれたから。“俺の前でも無理して笑うなんて馬鹿じゃないの”って怒ってくれたから……、私お兄ちゃんの前でだけは……、ハルの前でだけは私のままでいられたんだよ? 強がっちゃってはじめ君には言えなかったけど、ハルには嘘も誤魔化しもなく全部打つけてたの」
「ユキ……」
ぽろぽろと涙を流す“ユキ”。
笑ったり泣いたり、忙しい子だね。ホントに。
「泣いていいよって言ったユキが泣いてどうするの?」
頬に両手を伸ばし親指でその滴を拭う。そのまま、ぎゅっと頬を摘まんでみた。そんなに力は入れずに。
「ふふっ、変な顔」
「ハル、ひどい……」
頬から手は離さずにそのままべぇーっと下を出し笑いかける。
「ふふ、ふふふ」
すると、俺の笑顔が伝染したように彼女も笑った。
「手、離してよー」
「ええー、どうしよっかな」
「離してくれないなら私も同じことしてやる」
えいっ、と両手を俺の頬に伸ばす妹。俺は上手くそれを避けながら暫く二人で戯れていた。
そして唐突に彼女の手を引っ張り、胸の中へと閉じ込める。離れていかないように、消えてしまわないようにと、ぎゅっと優しく力を込める。そんな急な俺の行動に驚いた“ユキ”は黙ってしまった。
俺は何も言わずただ彼女の頭を撫で続けた。
きっと俺の気が済むまで待っていてくれてたんだと思う。“ユキ”は何も言わず俺の背中に腕を回し、じっとしたままただそこにいてくれた。
君がいなくなって。
君に囚われ続けてきて。
きっと、俺はこれからも囚われ続けるんだと思う。
今すぐには無理だけど、少しずつ君のいない寂しさと向き合っていくから。
彼奴のことも、何とかするからさ。
「……ごめんね」
助けてあげられなくてごめん。
守ってあげられなくてごめん。
最期の願いも叶えてあげられなくてごめん。
俺は色んな気持ちをこの一言に全て込めた。
「そろそろ行くね。ユキはこの部屋にいてね」
最後に頭をもう一度撫でて微笑みかける。そして、振り返ることなく部屋を出た。目を閉じ、部屋の中の君に語りかけてから俺は一のもとへと歩き出した。
“ちゃんと、俺の後を追いかけて来るんだよ”




