生き延びるため
「はぁ…はぁ…はぁ…」
額にへばり付いた汗が無抵抗に流れ落ちる。風を切り裂くように、燃え尽きた家屋の隙間を縫うように走り抜けていると、体の内側の熱がさらに温度を上げたのを感じた。広めの道路に出ると、辺りを確認して道の真ん中を疾走する。飛び散ったまま、掃除されることなく放置された血痕や、積み上げられた人間だったものの山脈が視界の端に映る。
「ぬぅううおおおおお!!」
長い坂道を唸りながら駆け上がる。息を切らさず、ペースを落とさず、素早く確実にデッドゾーンに持って行き、セカンドウィンドに突入する術を身につける。安定した速度で逃げ切る為に。
大家さんに生き延びるための教えを請い、まず言い渡されたのは単純な身体能力の向上だった。
長らくハンドボールを続けていた俺にとって、そんなものは必要ない。戦うための術が必要だと異を唱えたが、人生初の師となった大家さんとの能力比べにて、俺は完敗を喫した。
項目は三項目。持久走、走り幅跳び、スクワットの三つにおいて、俺は初老の老人に対し完全に敗れたのだった。
俺たちの住む地域には3キロの長い坂道がある。そこの「掃除」に駆り出されたついでに大家さんと競争した。俺は、老人相手なら圧倒的な差をつけて勝利できると高をくくっていた。もともと、勉強がいまいちな分運動神経は良かった俺は、持久走の全国平均6分10秒なら余裕でクリアできる程の走力は持っていたし、ハンドボールという走り回り飛び跳ねる激しい動きをするスポーツもやっていた事もあって、2倍のコースで多少の勾配があっても15分あれば完走できると思っていた。
しかし、現実は非常なり。大家さんは年齢にそぐわないスピードで坂道を走り出すと、一度たりとも減速せずペースを徐々に上げながら走破してしまった。タイムはほぼ10分。後続を死に物狂いで走る俺と300メートル以上差をつけてゴールしたのだった。
走り幅跳びでもそうだ。ハンドボールはジャンプ力は切っても切り離せぬ要素であり、かく言う俺も自信はあった。7メートルは飛んだと確信していたが、大家さんは8.5メートル近く跳躍して見せた。世界記録が8.9メートルほどなので、記録だけで見れば彼は世界陸上でも十分通用するだけの能力を見せたという事だ。
スクワットも完敗だった。ひたすらスクワットをし、先に音を上げた方の負けという条件で行った。しかし、俺が限界を迎え立つこともままならなくなった時でさえ、彼はスクワットを延々と続けていた。
俺は彼の異常なまでの持久力と身体能力を見せつけられ、落胆するとともに、彼ほどの基礎能力がなければ生き抜けないのだと思い知らされた。そして、そんなハイレベルな彼に追いついてやるという決意を固めた。俺がいまこの坂道を走っているのも、その目標を達成するためだ。
もうかれこれ3時間以上は走っている。夏の日差しの中、肉の腐敗臭から逃れるためにも走り続けた。熱中症予防に適宜インターバルと水分補給を繰り返し、炎天下のなか白球を追う球児のようにひたすら鍛錬を続けた。
1日目は、大家さんとの競争で軽い筋肉痛になった。だが、その程度で立ち止まってはいられない。1週間で生き残る術を身に付けるためにも、今は鍛錬が必要なのだと奮い立たせ、1日をランニングと坂道ダッシュ、スクワット等、下半身を徹底的に強化するためのトレーニングを積んだ。翌日起床すると全身筋肉痛で動けなかったが、大家さんのケアにより午後には動けるようになり、その日は腕立てや腹筋等の筋トレで幕を閉じた。3日目からは、ひたすら走り、飛び跳ね、下半身を鍛えに鍛えた。大家さんにケアの方法も教えてもらってからは、次の日に疲れを持ち越すことなく鍛錬に打ち込める様にもなった。
5日目。美東親子は大家さんについていき、共に都内ヒルズを目指すと告げた。俺はその準備を手伝いながら、これから先の事についての二人の考えを聴かせてもらっていた。
サオリさんは、ユイちゃんの安全を第一に考え、少しでも安全性を高めるためにも大家さんについていきたいと語った。ユイちゃんがいくらしっかりしていると言っても、所詮はまだ幼い子供だ。世界の現状についても、まだ曖昧にしか理解できていないし、一滴の血を見ることなくここまでやって来た。幼い内に惨状を目の当たりにしては、一生トラウマを植え付けられてもおかしくないだろう。
サオリさんは、そんな幼い娘を護りつつ、あちらに着いて落ち着ける環境になったら、大家さんのサポートも担うとも言っていた。
「それって、結構大変じゃないですか?」
「だろうね。大家さんの話じゃ、仲間の数は30人程度だって。道中で何人かいなくなっても、それでも小さな教室一個分くらいはある。それも聞き分けのいい子供じゃない自律した大人たちが集まるの。リーダーシップのある大家さんでも、それだけの人数を導くことは大変だと思う。だから私は、そんな彼のサポートに回って支えてあげたい。・・・彼に助けてもらった恩もあるしね」
彼女は言葉を続ける。
「でも、それだけじゃない。・・・私は、これが現在の自分の『最適解』だと思うの。カズキ君も大家さんに言われたでしょ?まずは生き延びること。だから、カズキ君はひたすら鍛えてるんでしょ?それが最適解だと思ったから」
「・・・そうですね。俺は遠い未来が考えられなくて、近い未来に死ぬ危険を冒してまでここを出る必要は無いと思ってました。・・・だから、明日何が出来るかを考えて、辿り着いたのが現状の答えです」
「それが、生き延びるための『術』を学ぶこと?」
「・・・はい。一人で生きていくことが出来れば、後は何とかなると思ったんです」
俺は、将来を見据える事が苦手だった。一人暮らしを始めた時も、最低限明日の事しか考えないで、今を生きることに必死だった。だから今も、出来る事を愚直にやり続ければ、後はどうにかなると信じていた。
「・・・サオリさんは怖くないんですか?道半ばで終わることだってあるかもしれないのに」
「・・・・・・怖くない、っていったら嘘になる。ユイが生き延びられればそれでもいいけど、ユイも一緒に死んじゃう可能性だってあるんだからね。・・・でも、私が本当に怖いのは、何もできない、やらないままで終わっちゃうことなんだ。だから、私はやれることはしっかりやりたい。歩みを止めたくない。倒れるときは、前のめりに倒れたい」
彼女の本音を、しっかりココロで受け止める。俺には、最後の言葉が胸に突き刺さった感覚を覚えた。そして、彼女の信念と同じものを抱こうと思った。同時に、俺の信念の脆弱さを気付かされたようにも感じた。
「・・・俺は、サオリさんに比べたら歩幅は狭いんですかね」
「ううん。大事なのは前に進んでいるって事実なんだから、歩幅なんか関係ないよ。それに、私は自分で出した答えにバツをつける事はしないよ。だから、カズキ君がもし、独りで生きていくって答えを出したなら、私はその答えを尊重する」
「それにね、私は、カズキ君ならきっと大丈夫なんじゃないかって思うの。独りで生きていこうが、集団に所属しようがね。カズキ君には、それだけの適応力と、それに伴う力があると思う。自分がそれに気づいてないだけだよ。・・・じゃないと、鉄砲向けられて反撃できないからね」
サオリさんは、そういって俺を励ましてくれた。彼女の言葉に背中を押され、俺の胸中では、ひとつの粗い答えが顔をみせた。
まだ、その答えは粗いままだ。決断の時まで残り少ない。それまでに磨き上げてみせると、俺は彼女の激励に誓った。




